154.お風呂
「……どっちが、本物なんだ……?」
玉座の間で、エラーラが、俺と、俺の完璧すぎる影武者を、交互に見比べて、混乱していた。
無理もない。影武者は、ノアによる特別教育プログラム『英雄育成計画』を経て、もはや俺よりも管理人らしく、そして、明らかに俺よりも有能になっていた。エラーラとの盤上遊戯でも互角以上に渡り合い、エリスの難しい話にも的確に相槌を打ち、フローラの植物園では危険な植物を華麗に避けながら動物たちと戯れる。
俺が玉座でぐうたらしている間に、影武者は、完全に、この城の『理想の管理人像』を体現してしまっていたのだ。
「……まずいな、これ」
俺は、本気で、自分の存在意義について、悩み始めていた。
このままでは、俺が影武者で、あっちが本物だと、勘違いされかねない。いや、むしろ、そっちの方が、この城にとっては、良いのかもしれない。
「ノア……。こいつ、どうにかならないのか?」
《問題ありません、管理人》
ノアの、冷静な声が響く。
《対象:管理人クローンは、その役割を終えました。これより、分解プロセスに移行します》
「分解!? 殺すのか!?」
俺は、思わず叫んだ。いくら影武者とはいえ、自分と同じ顔をした存在が殺されるのは、さすがに寝覚めが悪い。
《いえ。殺害ではありません。対象を構成する、生体部品及び、機械部品を、ナノマシンレベルで分解し、城の資源へと還元するだけです。痛みも、苦しみも、一切ありません》
「……そうか」
俺が納得すると、影武者は、穏やかな、しかし、どこか達観したような笑みを浮かべて、俺に向き直った。
「――では、オリジナル。しばしの別れだ。君の、怠惰で、平和なスローライフが、永遠に続くことを、願っているよ」
その、あまりにも格好良すぎる、最後の言葉。
影武者の体は、足元から、ゆっくりと、銀色の光の粒子となって、霧散していく。
数秒後、そこには、何も残っていなかった。
俺は、そのあっけない幕切れに、少しだけ、複雑な気持ちを抱きながら、呟いた。
「……なんか、俺より、主人公っぽかったな、あいつ……」
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影武者騒動が一段落し、玉座の間に、再び、退屈な平和が戻ってきた。
俺は、ふと、一つの、根本的な疑問に思い至った。
「……そういえば、俺、この城に来てから、一度も、風呂とか、シャワーとか、浴びてないよな……?」
言われてみれば、そうだ。だが、不思議と、体が汚れている感覚も、汗臭い感覚も、全くない。
「なあ、ノア。俺の衛生状態って、どうなってるんだ?」
《管理人様の身体は、常に、本城の環境維持システムによって、最適な状態に保たれています。体表に付着した、あらゆる不純物は、不可視のエネルギーフィールドによって、常時、分解・除去されています》
「……つまり、風呂に入らなくても、大丈夫ってことか」
《はい。ですが……》
ノアは、珍しく、言葉を続けた。
《……記録によれば、古代の地上人類、特に、貴族階級においては、『入浴』という行為が、衛生維持だけでなく、精神的なリラクゼーション、及び、社交の場として、極めて重要視されていた、とあります。……そういえば、地上の人間は、そのようなことを、気にするのでしたな》
入浴。リラクゼーション。社交。
俺の頭の中に、一つの、素晴らしいアイデアが閃いた。
「そうだ! 風呂を作ろう! それも、ただの風呂じゃない! 地上の、王侯貴族ですら、体験したことのないような、究極の、至高の風呂を!」
俺は、再び、『機械製造指示』と『生命創造』の権能を発動させた。
設計には、仮想空間で、美しい『海』を管理していた、マリーナの意見も取り入れた。
そして、数時間後。
玉座の間の、隣に。かつては何もない倉庫だった場所に、俺の、夢の結晶が、完成した。
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そこは、もはや風呂というよりは、神殿だった。
壁も、床も、全てが、磨き上げられた純白の大理石(もちろんノア製)。天井は、プラネタリウムのように、満天の星空が映し出されている。
中央には、オリンポスの神々でも沐浴しそうな、巨大な浴槽。その縁は、黄金と宝石で飾られ、ライオンの口からは、絶えず、透き通ったお湯が流れ落ちている。
浴槽の周りには、熱帯の植物(フローラが提供)が生い茂り、小鳥のさえずり(もちろんノア製)が、心地よく響いていた。
「……完璧だ……!」
俺は、その、あまりの完成度に、感嘆の声を漏らした。
早速、俺は、服を脱ぎ捨て、その神聖なる湯船へと、足を踏み入れた。
その、瞬間だった。
「――あ゛づぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!」
俺の、魂からの絶叫が、神殿に響き渡った。
熱い。熱すぎる。これは、もはや、湯ではない。マグマだ。
俺は、慌てて湯船から飛び出した。足が、真っ赤になっている。
「の、ノア! なんだ、この温度は! 俺を、茹で殺す気か!」
《いいえ、管理人。これは、古代の文献に記された、『王族のための、最も健康に良い、理想的な湯温』……摂氏85度に、正確に設定されています》
「そんな馬鹿な!」
『……でも、管理人様』
仮想空間から、マリーナの声が響く。『私がいたポセイドンの記録でも、深海の熱水噴出孔近くの温泉は、生命の治癒力を高める、と……』
どうやら、この世界の『風呂』の常識は、俺の知るものとは、根本的に、違うらしい。
俺は、絶望した。せっかく、最高の風呂を作ったというのに、これでは、入れない。
だが、俺は、諦めなかった。俺は、管理人だ。
「……くっ……! 入ってやる……! 入ってやれば、いいんだろ……!」
俺は、覚悟を決めた。そして、真っ赤になった足を、再び、灼熱の湯船へと、ゆっくりと、沈めていった。まるで、修行僧のように、歯を食いしばりながら。
その、あまりにも馬鹿げた、俺の我慢大会。
その様子を、入り口で、エラーラが、心底呆れた顔で、見ていた。
そして、彼女は、一つの、根本的な問題点に、気づいた。
「……おい、管理人。それは、それとしてだ」
彼女は、俺と、そして、俺の隣で、平然と湯気に包まれている巫女たち(エリスとフローラ、そしてなぜか仮想アバターのマリーナまで)を、交互に見比べた。
「……なぜ、貴様らは、平然と、混浴をしているのだ……?」
「「…………え?」」
俺と、巫女たちの声が、ハモった。
言われてみれば、そうだ。俺たちは、性別など、全く、気にしていなかった。
「……この、破廉恥者どもがッ!」
エラーラの、怒号が響き渡る。
「ノア! 今すぐ、この神殿を、男湯と、女湯に、物理的に、分割しろ! 境界線には、決して越えられぬ、絶対的な結界を張れ!」
《……論理的な、必要性は認められませんが……エラーラ様の、強いストレス反応を考慮し、実行します》
かくして、俺の、究極の風呂は、完成と同時に、真っ二つに、分断された。
俺は、一人、灼熱地獄の男湯で、熱さに耐えながら、思った。
(……この城で、一番、まともなのは、もしかしたら、エラーラなのかもしれないな……)
俺の、ささやかなリラクゼーション計画は、今日もまた、たくさんの、予想外の出来事に見舞われながら、過ぎていくのだった。
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