152.暇な管理人
「ひーまーだーーーーーーーーーっ!!」
玉座の間に、俺の、魂からの絶叫が響き渡った。
地上に帰還してから、数日が過ぎた。懐かしい太陽の光(もちろん仮想ウィンドウ越しだが)は拝めるし、エデンや温室への立ち入りも自由だ。
だが、そのエデンも、温室も、俺にとっては、もはや見飽きた景色だった。
羽の生えたリスが駆け回り、ユニコーン(の角を持つ鹿)が草を食む光景も、最初の数日は珍しかったが、今となっては日常の一部。美しい花々も、毎日見ていれば、ただの背景だ。
俺は、この完璧すぎる楽園の中で、完璧なまでの『退屈』に、苛まれていた。
俺の、ささやかな楽しみだった『天空創世記』は、エラーラが俺の新兵器『変顔クィーン』に完膚なきまでに叩きのめされて以来、彼女が「二度と貴様のその悪趣味なゲームには付き合わん!」と固く心を閉ざしてしまったため、休戦状態。
菓子作り? 『生命創造』? それも、もう飽きた。
俺は、やることが、なかった。
「……何か……何か、面白いことはないのか……」
俺が、本気で、この城から脱走する方法を考え始めた、その時だった。
俺の頭の中に、一つの、天啓が閃いた。
そうだ。この城には、俺よりも遥かに、暇な時間を過ごすことにかけては、プロフェッショナルがいるではないか。
「ノア! あの、引きこもりの妹、エコーと、通信を繋いでくれ!」
《……了解しました。仮想空間『無の部屋』へ、接続します》
俺は、彼女に、弟子入りすることにしたのだ。
何万年も、ただひたすらに、眠り、あるいは、何もしないで過ごしてきた、究極の暇つぶしの天才。彼女ならば、この、耐え難い退屈を乗り切るための、秘訣を知っているに違いない。
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【仮想現実空間『無の部屋』】
そこは、相変わらず、ただの漆黒の闇だった。
その闇の中心で、巫女エコーは、完璧な『無』の状態で、静かに、浮かんでいた。
俺が、アバターでその空間に入ると、彼女は、億劫そうに、片目だけを、うっすらと開けた。
「……なに……?」
「師匠!」俺は、勢い込んで言った。「俺に、暇な時間の、過ごし方を、教えてください!」
「……ひま……?」
エコーは、心底、不思議そうに、首を傾げた。
「……なぜ……時間は……ただ、そこにある……だけ……なのに……わざわざ……何かで……埋めようと……するの……? ……エネルギーの……無駄……」
「……え?」
「……暇、が……暇じゃ、なくなる……ことが……そんなに……怖いの……?」
彼女の、あまりにも哲学的で、あまりにも本質的な問い。
俺は、何も、言い返せなかった。
そして、エコーは、こう続けた。
「……理解、できない……。……教える、こと……ない……。……だから……もう、寝て……いい……?」
俺は、師匠から、入門初日にして、破門された。
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玉座の間に戻った俺は、その、あまりにも理不尽な哲学問答への腹いせに、無理やりエラーラを呼び出し、『天空創世記』の盤を広げた。
「エラーラ! 勝負だ! お前の心が折れるのが先か、俺が飽きるのが先か、決着をつけようじゃないか!」
「……貴様……! 今日という今日は、そのふざけた変顔駒ごと、叩き潰してくれる……!」
エラーラは、屈辱をバネにしたのか、珍しく、闘志を燃やしていた。
結果は、言うまでもない。
俺が『爆笑必至! エラーラの変顔クィーン』を盤上に召喚した瞬間、エラーラの最強の駒『紅蓮殲滅女王』は、その特殊能力【精神崩壊】によって、戦意を喪失し、自ら盤上から転がり落ちた。
俺の、五連勝だった。
「…………」
エラーラは、ついに、盤上に突っ伏した。
その肩は、もはや怒りではなく、ただ、深い、深い絶望に、小刻みに震えている。
「……もう、いやだ……。私の、顔が……私の顔に、負ける……」
だが、勝利しても、俺の心は満たされない。
俺は、次に、医療区画のエリスの元へと、遊びに行った。
「エリスー、なんか面白い話、ないかー?」
「管理人様。ちょうどよかったです。今、ノアと、ネメシスの装甲材質について、新たな仮説を立てていたところで……。この、位相空間における、エネルギー減衰率の計算式なのですが……」
エリスは、目を輝かせながら、俺には到底理解できない、超高度な物理学の講義を始めた。
俺は、開始三十秒で、白目を剥いた。
次に、俺は、癒やしを求めて、『ガイア自然公園』へと向かった。
そこは、相変わらず美しい楽園だったが、もはや俺の心を動かすものは、何もなかった。
「フローラー、なんか、可愛い動物とか、いないかー?」
「あ、管理人様!」
フローラは、いつものように、優しい笑顔で俺を迎えてくれた。
「ちょうど今、新しいお花が咲いたんですよ。見てください、とっても綺麗でしょう?」
彼女が指差した先には、七色に輝く、美しい蘭の花が咲いていた。
「うわー、綺麗だな! ちょっと、触ってみても……」
「あ、ダメです!」
フローラが、慌てて俺の手を掴んだ。
「その花粉を吸い込むと、三日間、幸せな幻覚を見ながら、踊り狂ってしまうんです。あと、こちらの、可愛らしい蔦ですが……」
俺は、そっと、その楽園から、退散した。
最後に、俺は、居住区画へと、足を向けた。
普通の人間。普通の会話。それこそが、今の俺が、最も求めているものだ。
俺が、広場に姿を現した、その瞬間。
数万人の国民たちが、一斉に、俺に気づいた。
「「「かみいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」」」
「降臨なされたぞぉぉぉぉぉ!」
「おお……! 我らが神よ! どうか、我らに、新たなる祝福を!」
「いいいいあああああ! 触らせて! 御髪に! 御御足に!」
地鳴りのような絶叫。熱狂的な信仰の嵐。
俺は、あっという間に、人の波に飲み込まれ、もみくちゃにされ、危うく、神輿のように担ぎ上げられそうになった。
「や、やめろー! 近寄るなー!」
俺は、セラフィムたちに助けられ、命からがら、玉座の間へと、逃げ帰った。
俺は、玉座に崩れ落ち、天を仰いだ。
そして、心の底から、嘆いた。
「…………この城は、もう、だめだ……」
その、あまりにも情けない、俺の呟き。
それを、床で、まだ『変顔クィーン』の屈辱に打ちひしがれていた、エラーラが、聞き咎めた。
彼女は、ゆっくりと、顔を上げた。その瞳には、怒りでも、呆れでもない、ただ、純粋な、憐れみの色が浮かんでいた。
「……何を、言っている」
彼女は、静かに、しかし、はっきりと、言った。
「――お前の、城だろうが」
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