134.残響
「……なあ、ノア。もう、帰っていいか……? なんか、腹、減った……」
俺の、あまりにも情けない一言が、絶対的な静寂の墓場に、虚しく響き渡っていた。
希望は、完全に潰えた。
七番艦エコーの隠れ家は、ネメシスにとって、最初の狩り場だった。俺たちがここに来たのは、ただ、無残な結末を、再確認するためだけだったのだ。
玉座の間のモニターの向こうで、エリスとフローラの姉妹は、言葉もなく、ただ、うなだれていた。
その、絶望に満ちた空気の中。
ただ一人、冷静なAIの声だけが、淡々と、事実を告げた。
《――管理人。一つ、不可解な点があります》
「……なんだよ、もう。これ以上、悪いニュースは聞きたくないぞ」
《いえ。逆です》
ノアは、続けた。
《『星を見る者』による、本宙域の超精密スキャンを完了しましたが、結論として、いかなる方舟の残骸も、戦闘の痕跡も、観測されません》
「…………は?」
俺は、その言葉の意味が、一瞬、理解できなかった。
だが、俺の隣で、ずっと沈黙していたエラーラが、はっとしたように、顔を上げた。
「……待て。残骸がない、だと?」
彼女は、モニターに映る、ポセイドンの無残な亡骸へと、視線を移した。
「ネメシスが、あれだけの巨体を持つ方舟を破壊したのなら、たとえ何十万年が経過していようと、必ず、何らかの痕跡が残るはずだ。微小なデブリ、空間に残るエネルギーの残滓……。だが、それも、一切、ない、と?」
《肯定します。この『静寂の墓場』は、完璧なまでに、『無』です》
その言葉に、うなだれていたエリスが、顔を上げた。
彼女の瞳に、信じられない、といった色の、困惑が浮かぶ。
「……では、ネメシスは、ここで、エコーを破壊したのでは、ない……?」
「だとしたら、エコーは、ここから、逃げたのか? いや、それもおかしい」
エラーラは、腕を組んで、思考を巡らせる。
「あの面倒くさがりの巫女が、わざわざ、お気に入りの隠れ家から、移動するか? それこそ、天変地異でも起きない限り……」
「……あ」
その時、フローラが、何かを思い出したように、か細い声を上げた。
「……そういえば、エコーは、昔、言っていました。『一度、見つかった隠れ家は、もう、秘密の場所じゃないから、つまらない』って……」
その、あまりにも子供じみた、しかし、あまりにも、あの面倒くさがり屋らしい、一言。
俺たちの頭の中で、バラバラだったピースが、一つの、驚くべき結論へと、繋がっていく。
マリーナの記憶。ネメシスが、この場所を見つけ出したのは、事実だ。
だが、それは、ネメシスが同胞を狩り始める、遥か昔の、ただの『かくれんぼ』の話。
究極の面倒くさがりであるエコーにとって、一度でも、他人に土足で踏み込まれた場所は、もはや、安住の地ではなかった。
「……まさか」
エリスは、震える声で、その結論を、口にした。
「あの子……ネメシスに見つかった後、とっくの昔に、ここから、引っ越していた……?」
そうだ。
ネメシスが、審判者として、この場所を訪れた時。
そこには、もう、誰もいなかった。
獲物がいなければ、狩りは、始まらない。戦闘の痕跡が、残るはずもなかった。
つまり、静寂の墓場には、はなから、いなかったのだ。
「……生きて、いる……!」
フローラの瞳から、再び、大粒の涙がこぼれ落ちる。
だが、それは、先ほどまでの、絶望の涙ではなかった。
希望。それも、確かな、希望の涙だった。
だが、その希望は、同時に、俺たちに、新たな、そして、途方もない、絶望をもたらしていた。
「……ちょっと、待てよ」
俺は、嫌な予感を、隠さずに、言った。
「じゃあ、その、エコーって妹は、今、どこにいるんだ? 手がかりは、完全に、ゼロになったってことか?」
《肯定します》
ノアの、無慈悲な宣告。
《彼女の、新たな『聖域』が、どこにあるのか。それを、この広大な宇宙から見つけ出すのは、現時点では、不可能です。あまりにも、面倒くさい作業となります》
「……」
せっかく見つけた手がかりは、ただの空振り。
そして、俺たちの、宇宙規模のかくれんぼは、完全に、振り出しに戻ってしまった。
「……もう、いい」
俺は、全てを、諦めた。
「帰るぞ、ノア! もう、知らん! あの引きこもりは、勝手にさせておけ! 俺は、もう、疲れた! 城に帰って、甘いプリンが食いたい!」
俺の、あまりにも情けない、ギブアップ宣言。
だが、その俺の服の袖を、モニターの向こうから、エリスとフローラの、あまりにも真剣な、そして、潤んだ瞳が、掴んで、離さなかった。
「「管理人様……! お願い、します……!」」
俺の、平和なスローライフ。
それは、どうやら、まだ、当分、戻ってきそうになかった。
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