133.空振り
「……はぁ……。分かったよ、行けばいいんだろ、行けば」
玉座の間で、俺は、人生で最大級の、深いため息をついた。
目の前では、エリスとフローラの姉妹が、キラキラとした、期待に満ちた瞳で、俺を見上げている。その背後では、エラーラが、「早く決めろ、この優柔不断男」とでも言いたげな顔で、腕を組んでいる。
もう、俺に、逃げ場はなかった。
「ノア! ワープだ! 行き先は、その、なんだっけ……『静寂の墓場』! あの、引きこもりの姉妹がいるかもしれない、っていう場所だ!」
《御意に。超空間航行システム、起動します》
城が、再び、光に包まれる。
その、目的地へと向かう、わずかな時間。俺は、気になっていたことを、エリスに尋ねてみた。
「なあ、その、エコーって妹。本当に、そんなに、面倒くさがりだったのか?」
「はい……」
エリスは、遠い目をして、昔を懐かしむように、語り始めた。
「一度、数年に一度の、全方舟ネットワークの定時総会の時でした。全ての巫女が、アバターで仮想空間に集まる、大切な会議です。ですが、エコーだけは、時間になっても、現れませんでした」
「サボりか?」
「ええ。ノア様が、何度も、何度も、彼女の艦に呼びかけました。そして、ようやく返ってきた返事が……たった一言だけ」
『……眠い……無理……』
「……それだけです。結局、その年の総会は、彼女抜きで行われました」
「……大物だな」
俺は、思わず、感心してしまった。
「私なんて、まだマシな方です」
フローラが、くすくすと笑いながら、付け加える。
「昔、私が、ガイアの植物のことで相談を持ちかけた時も、彼女の返事は、こうでした」
『……光合成……させとけ……』
「……その、アドバイスのおかげで、助かったんですけどね」
その、あまりにも俺に似すぎた、究極の省エネ思考。
俺は、まだ見ぬ姉妹に、心の底からの、シンパシーを感じていた。
(……俺だ。それ、完全に、俺じゃないか……。会ってみたい。そして、一緒に、昼寝がしたい……!)
「……愚か者二人が出会えば、この宇宙は、怠惰の渦に飲まれて、滅びるかもしれんな」
エラーラの、心底呆れたような呟きが、俺の耳に突き刺さった。
《――ワープ、完了。目標宙域、『静寂の墓場』に到達しました》
ノアの冷静なアナウンス。
モニターに映し出されたのは、その名の通り、完璧な『無』の世界だった。
星の光すら、ほとんど届かない、銀河と銀河の狭間。ただ、漆黒の闇と、絶対的な静寂だけが、そこにあった。
「……本当に、こんな場所にいるのか……?」
エラーラが、眉をひそめる。
「ノア! スキャン開始だ! あの、面倒くさがりの姉妹を、見つけ出してくれ!」
《了解しました。広域・超深度索敵を開始します》
アークノアの、強力なセンサーが、静寂の墓場の、隅から隅までを、舐めるようにスキャンしていく。
俺たちは、固唾を飲んで、モニターを見守っていた。
一時間。
二時間。
……五時間が、経過した。
「……なあ」
俺は、退屈のあまり、玉座の上で、あくびを噛み殺しながら言った。
「……本当に、いるんだろうな……?」
エリスとフローラの顔にも、次第に、焦りの色が浮かび始める。
そして、ついに。
《――スキャン、完了しました》
ノアの、無慈悲な宣告。
《結論。この宙域には、いかなる方舟の反応も、存在しません。……完全に、空振りです》
「…………はああああああ!?」
玉座の間に、俺の、この日一番の、絶叫が響き渡った。
「なんだよそれ! 期待させやがって! 俺の貴重な昼寝の時間を返せ!」
「……おかしい……。マリーナは、確かに、この場所だと……」
エリスは、信じられないといった顔で、モニターを睨みつけている。
その、絶望と、怒りと、徒労感が渦巻く、混沌とした空気の中。
ただ一人、エラーラだけが、冷静に、腕を組んで、何かを考えていた。
そして、彼女は、ぽつりと、呟いた。
「……待て。……少し、考えろ」
「……何がだよ! いないもんは、いないんだよ!」
「……逆だ、管理人」
エラーラは、俺を、そして、エリスを、まっすぐに見据えた。
「……我々は、なぜ、この場所を知ることができた? 巫女マリーナが、覚えていたからだ。……では、なぜ、マリーナは、この場所を知っていた?」
「それは、ネメシスが……」
そこまで言って、エリスは、はっとしたように、顔を上げた。
そうだ。
この場所を、最初に見つけ出したのは、ネメシスなのだ。
エラーラは、静かに、そして、残酷な、結論を告げた。
「……ネメシスは、冷徹で、執念深い、狩人だ。そして、奴は、エコーという、最も見つけにくい獲物の、隠れ家を、知っていた」
「……」
「奴が、同胞への『審判』を開始した時。……奴が、真っ先に、探しに来る場所は、どこだと思う?」
その言葉に、俺たちは、全員、凍りついた。
そうだ。
ここは、エコーにとって、最も安全な、秘密の隠れ家ではなかった。
ネメシスにとって、最も分かりやすい、最初の、狩り場だったのだ。
そりゃ、そうだ。
いるわけが、ない。
ここは、とっくの昔に、狩り尽くされた、後の祭りなのだ。
俺たちの、あまりにも淡い希望は、自分たちの、あまりにも単純な、間抜けなミスによって、完全に、打ち砕かれた。
「……なあ、ノア」
俺は、力なく、呟いた。
「……もう、帰っていいか……? なんか、腹、減った……」
俺の、あまりにも情けない一言が、絶対的な静寂の墓場に、虚しく、響き渡った。
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