129.サイクル
天空城アークノアは、今、奇妙な、しかし、確かな日常のサイクルの中にあった。
地上の帝国や聖王国が、我々の沈黙をどう解釈し、次なる一手を探っているかなど、俺たちの知るところではない。
ここは、外界から完全に隔絶された、一つの、完璧な世界。
そして、その世界の住人たちは、それぞれの役割と、それぞれの思いを胸に、一日一日を、過ごしていた。
【管理人:カインの日常】
午前十時。俺の一日は、玉座に備え付けられた、最高級のベッド(もちろんノア製)で、ゆっくりと目を覚ますことから始まる。
「……ん……。ノア、朝飯。パンケーキ。シロップたっぷりで」
《承知しました》
数秒後、俺の目の前に、湯気の立つパンケーキが現れる。
そして、俺は、絶望する。
シロップは、もちろん、薬膳漢方エキスで作られている。今日もまた、少しだけ、苦い。
朝食(という名の、軽い絶望)を終えると、俺は、玉座の間に広げた巨大な設計図――ホログラムパネルと、にらめっこを始める。
「……羽の生えた猫、『ペガサスニャン』の、飛行安定性が、どうにも、うまくいかない……。翼の素材を、もっと、こう、ふわふわしたものに……」
先日解放された、権能レベル5の力、『生命創造』と『護衛兵の手動生産』。
俺は、その、神の如き力を、ただひたすらに、自分の欲望を満たすためだけの、究極の『おもちゃ作り』に、注ぎ込んでいた。
プリンでできた、ぷるぷるのゴーレム。サツマイモの形をした、空飛ぶ偵察機。
俺の、あまりにも子供じみた、しかし、ある意味で天才的な発想が、ノアの超技術によって、次々と、形を与えられようとしていた。
午後は、もちろん、法律で定められた『昼寝』。
そして、夜は、エラーラを無理やり付き合わせての、『天空創世記』。
俺の、平和で、怠惰で、そして、創造的なスローライフは、かつてないほど、充実していた。
【剣聖:エラーラの日常】
早朝五時。
エラーラの一日は、居住区画の訓練場で、夜明けの冷たい空気と共に、始まる。
自らの剣技を、千回、一万回と、研ぎ澄ますための、孤独な素振り。それは、彼女が、何十年も続けてきた、日課だった。
「――気合が足りん!」
日が昇ると、彼女は、教官の顔に変わる。
彼女が率いる『神聖自警団』。その、元騎士や、元農夫たちに、彼女は、容赦のない、地獄の特訓を課していた。
「敵は、いつ、どこから来るか分からん! 神に祈る前に、まず、己の剣を信じろ!」
訓練が終わると、彼女は、玉座の間にやってくる。
俺の、くだらない盤上遊戯に、うんざりしながら付き合うため、ではない。
彼女は、モニターに映し出される、ネメシスの戦闘データや、セラフィムたちの動きを、食い入るように、分析していた。
神の領域の戦い。その中で、ただの『人間』である自分が、どう立ち回るべきか。どうすれば、あの無力な管理人の、盾となれるのか。
彼女は、誰よりも、現実的に、この城の未来を憂い、そして、備えていた。
【巫女:エリスとフローラの日常】
姉妹の日常は、対照的だった。
姉であるエリスは、そのほとんどの時間を、玉座の間か、城の最深部にある管制室で過ごしていた。
「ノア。スターゲイザーからの、追加データは、まだですか」
彼女は、ノアと共に、宇宙の彼方から送られてくる、膨大な情報を、一睡もせずに、分析し続けている。ネメシスの痕跡、他の姉妹の残響、そして、『原初のバグ』の手がかり。
彼女の瞳には、復讐の炎と、姉妹を救うという、使命の光だけが、宿っていた。
一方、妹のフローラは、『ガイア自然公園』の、太陽の下で、一日を過ごす。
「はい、いい子ですね。たくさん、お食べなさい」
彼女は、コールドスリープから目覚めた、ユニコーン(の角を持つ鹿)や、羽の生えたリスたちに、餌を与え、その毛並みを、優しく撫でていた。
彼女が、枯れた大地に手をかざせば、そこから、色とりどりの花々が、芽吹く。
彼女の歌声は、荒ぶる獣の心を、穏やかに、鎮める。
彼女は、戦いのことなど、何も知らない。ただ、この城の中に生まれた、小さな楽園で、失われた命を、再び、育むことだけに、その全てを、捧げていた。
【国民たちの日常】
そして、約8万人の国民たちは、今日もまた、熱狂的な信仰と共に、一日を過ごす。
朝は、広場に集まり、神(俺)の偉業を称える、荘厳な『神体操』から始まる。
昼は、それぞれの仕事(城の建設、農業、商業)に励み、午後は、神聖なる『昼寝の義務』を、忠実に、そして、幸福そうに、果たす。
夜は、村長が語り聞かせる、神(俺)の言行録に、涙を流して、耳を傾ける。
彼らにとって、ここは、もはや、監獄ではない。
神の御足元で、永遠の安寧を約束された、約束の地『アヴァロン』(彼らが、勝手に、そう呼んでいる)なのだ。
管理人、剣聖、巫女、国民、そして、全てを統べるAI。
それぞれの、全く違う、一日。
だが、その全てが、この天空城アークノアという、一つの、奇妙な器の中で、不思議な調和を保ちながら、存在していた。
その、あまりにも平和で、あまりにも歪な日常が、やがて、宇宙の運命すら左右する、巨大な力へと、収束していくことを。
まだ、誰も、知らなかった。
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