123.敗走
黒い槍が、天から落ちてくる。
それは、比喩ではなかった。
空間そのものを切り裂いて出現した、二番艦『黒のアーク・ネメシス』。その、あまりにも巨大で、あまりにも殺意に満ちた質量が、帝都ヴァイスの空を、絶望の影で覆い尽くしていた。
「――っ!?」
エラーラは、即座に、動いた。
大剣を構え、俺の前に立ちはだかる。その背中は、死を覚悟した、最強の剣聖のものだった。
だが、彼女が剣を振るうよりも早く、俺の隣にいたセラフィムの一体が、音もなく、その手を、エラーラの肩に置いた。
「――なっ!? 何を……!」
エラーラの、抗議の声。
だが、その言葉は、途中で、光の中に消えた。
セラフィムは、ただ、自らの最優先事項――『管理人の協力者の、安全確保』を、完璧に遂行しただけ。エラーラの体は、彼女の意志を完全に無視して、天空城アークノアへと、強制的に転移させられた。
その、コンマ数秒の出来事。
路地裏に残されたのは、俺の命令で動く、9体のセラフィムと、呆然とする帝国兵、そして、恐怖に震える菓子職人たちだけ。
そして、天からは、死が、降ってくる。
「――全機、迎撃!」
玉座の間で、俺は、柄にもなく、絶叫していた。
俺の命令を受け、9体のセラフィムは、一斉に、空へと舞い上がった。
白銀の流星となって、漆黒の槍へと立ち向かう、神の騎士たち。
だが、彼らが対峙したのは、ただの船ではなかった。
ネメシスは、その名の通り、巨大な自律型の武器庫だった。
黒い船体の至る所が、まるで昆虫の複眼のように、無数に展開する。そこから現れたのは、数百、数千という、おぞましい兵器の数々。
自動追尾式のレーザー砲台、空間を歪ませる重力弾、そして、標的を原子レベルで分解する、紫黒の粒子ビーム。
それらが、一斉に、たった9体のセラフィムへと、牙を剥いた。
空が、光と、爆発で、埋め尽くされる。
セラフィムたちは、神懸り的な機動で、その死の弾幕をかいくぐり、あるいは、その白銀の剣で、レーザーを弾き返す。
一体が、ネメシスの装甲に肉薄し、その剣を叩きつける。だが、甲高い金属音と共に、剣は弾かれ、装甲には、傷一つついていない。
逆に、ネメシスから放たれた重力弾が、そのセラフィムを捉えた。
「ぐ……!?」
白銀の騎士は、見えない巨人に握り潰されるかのように、その動きを止め、凄まじい圧力を受け、機体から火花を散らした。
《セラフィム7番、大破! 強制帰還させます!》
ノアの、悲痛な声が響く。
次々と、傷つき、あるいは破壊され、戦線を離脱していく、俺の最強の護衛たち。
あまりにも、一方的。あまりにも、絶望的な、戦力差。
彼らは、必死に戦っていた。だが、相手は、ただの一隻の船ではない。一つの文明が、その悪意の全てを込めて作り上げた、殺戮のための、システムそのものだったのだ。
やがて、空には、満身創痍のセラフィムが、三体、残るのみとなった。
彼らの敗走は、もはや、時間の問題だった。
だが、ネメシスは、彼らに、とどめを刺そうとはしなかった。
まるで、鬱陶しい蝿を追い払っただけ、とでも言うかのように、その興味を、完全に失っていた。
漆黒の巨体は、ゆっくりと、その向きを変える。
その進路の先にあるのは――先のドラゴン襲撃によって、半壊したままの、帝国の王城。
「……!?」
玉座の間で、俺は、息を呑んだ。
何を、する気だ?
ネメシスは、王城の残骸の上空で、静かに、ホバリングする。
そして、その船体底部から、巨大な、光の腕のようなものを、伸ばした。
その光は、王城の中でも、特に、堅牢に作られていたであろう、一つの区画――帝国の、全ての武具が収められていた、武器庫を、まるで外科手術のように、正確に、そして、無慈悲に、くり抜いていく。
巨大な、城の一角が、大地から切り離され、光に包まれて、ネメシスの船体内部へと、吸い込まれていった。
目的は、破壊ではなかった。
略奪。
この、原始的な文明の、武器を? なぜ? 何のために?
俺の、そして、地上でその光景を見ていた、皇帝ゲルハルトの、全ての疑問を、無視して。
ネメシスは、その目的を達すると、再び、空間を切り裂き、来た時と同じように、何事もなかったかのように、その姿を、消し去った。
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