121.足元の爆弾
ファイル名:指定対象:被験体ゼロ(サブジェクト・ゼロ) / 分類:原初のバグ(ジェネシス・バグ)
玉座の間の巨大モニターに、冷たく表示された、その一行。
それは、俺たちがこれまで追い求めてきた、全ての謎の答えであり、そして、全く新しい、底なしの謎の始まりでもあった。
玉座の間は、水を打ったように静まり返っていた。誰もが、その禍々しいファイル名から、目を逸らせないでいた。
「……おいおい、マジかよ……」
その沈黙を、最初に破ったのは、俺の、引きつった声だった。
「なんだよそれ……。うちの城に、そんなヤバそうなもんが、最初っから、入ってたってことかよ。……俺のスローライフ、呪われてんのか?」
「『被験体』……だと?」
俺の隣で、エラーラが、剣の柄を握りしめ、警戒を露わにする。
「それは、生き物だというのか。プログラムや、データではなく……」
「……全ての、元凶……」
モニターの向こうで、エリスが、絶望に満ちた表情で呟いていた。
「ネメシスが、同胞を殺してまで、追い求めていたもの。私たちの文明を滅ぼした、『大災厄』の、本当の始まり。……それが、こんな、私たちの、足元に……?」
その時、それまで沈黙を保っていたフローラが、怯えた声で、姉に問いかけた。
「お姉さま……。それじゃあ、ネメシスは、いずれ、ここに来る、ということですか……? この、『原初のバグ』を、破壊するために……」
その、あまりにも純粋で、あまりにも的を射た問い。
その可能性に、俺たちは、今更ながら、気づいた。
そうだ。ネメシスは、ハンターだ。
そして、その獲物は、今、この城の中にいる。
俺たちは、もはや、高みの見物人ではない。宇宙で最も危険な狩人に、その巣穴の場所を、特定されてしまった、獲物そのものなのだ。
「ノア! そのブラックボックスとやら、開けられないのか!?」
俺は、焦りを隠さずに叫んだ。
「鍵がないなら、こじ開けるしかないだろ! 中身が分かれば、対策のしようもある!」
《……不可能です、管理人》
ノアの返答は、無慈悲だった。
《この暗号化プロトコルは、私のマスターキーすら受け付けません。これは、我らAIや巫女にすら、その存在を秘匿するために、創造主自身が施した、絶対的な封印。……物理的な破壊を試みれば、内部のデータ、あるいは、そこに封印されている『存在』が、どうなるか、予測不能です。最悪の場合、この城ごと、消し飛ぶ可能性も……》
「……じゃあ、どうしろって言うんだよ! この城の中に、時限爆弾を抱えたまま、暮らせってのか!?」
俺の、あまりにも情けない絶叫。
だが、ノアは、静かに、一つの、可能性を示した。
《『鍵』を、探すのです》
「鍵?」
《はい。この封印を解くための、創造主レベルの権限、あるいは、それに匹敵する情報を。……幸い、我らには、手がかりがあります》
モニターの映像が、宇宙の墓標と化した、同胞たちの残骸へと切り替わる。
《『魂の揺り籠』計画。……破壊された姉妹たちの、深層記録をサルベージすれば、その中に、この『原初のバグ』に関する、断片的な情報が、残されているかもしれません》
「……!」
エリスとフローラの瞳に、新たな光が宿った。
姉妹たちの魂を救うという願いが、今、この城の、そして、世界の謎を解くための、唯一の鍵となったのだ。
「……結局、また、地道な作業かよ……」
俺は、うんざりして、玉座に深く沈み込んだ。
もっと、こう、一発逆転の、派手な展開はないのか。
「じゃあ、その作業が終わるまで、俺はゲームでもしてるから、あとはよろしくな」
俺が、いつも通り、全ての面倒事を、丸投げしようとした、その時だった。
ピピッ、と、玉座の間に、緊急通信を告げる、鋭い電子音が響き渡った。
ノアの、警告に満ちた声が、俺たちの気を、一瞬で引き締める。
《――管理人。地上より、緊急通信。……グラドニア帝国の、外交官ギュンターからです》
「帝国から? なんだ、また菓子の催促か?」
《……いえ。状況は、芳しくないようです》
モニターに、仮設王城の司令室で、血相を変えたギュンターの姿が映し出される。
『――聞こえるか、天空の主君! 申し上げます!』
彼の声は、切羽詰まっていた。
『貴殿に献上すべく、帝都で準備を進めていた、最高の菓子と、その職人たちが、つい先ほど、何者かの襲撃を受けました!』
「なんだって!?」
俺は、思わず、身を乗り出した。
俺の、菓子が!?
『犯人は、不明! ですが、その手口は、先日、帝都でテロを起こした、あのフードの集団、『沈黙の福音』の残党である可能性が高い! 彼らは、我らと、貴殿との、友好関係を、断ち切ろうとしているのです!』
俺の脳裏に、あの、苦いチョコレートの味が蘇る。
そして、聖女アンナと、楽しく食べた、チョコバナナの味が。
俺の、ささやかで、しかし、何よりも大切な、『おやつの時間』。
それを、邪魔する、不届き者がいる。
「…………」
俺は、ゆっくりと、立ち上がった。
その瞳には、もはや、怠惰も、退屈もなかった。
ただ、自らの最も神聖な領域を荒らされた、王の、静かな、しかし、底なしの怒りだけが、燃え盛っていた。
「……ノア」
《はい》
「――その、襲撃されたっていう場所、今すぐ、モニターに映せ」
宇宙の謎も、兄弟喧嘩も、今は、どうでもいい。
俺の菓子職人に手を出した馬鹿者どもを、俺は、絶対に、許さない。
俺の、個人的で、あまりにも個人的な怒りが、ついに、地上の混沌へと、その牙を、剥こうとしていた。
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