118.盤上の女帝
「――またか!」
玉座の間に、俺の、この日十三回目となる悲痛な叫びが響き渡った。
床に広げられた巨大なボード盤『天空創世記』。その上では、俺が誇る最強の駒、『殲滅巨神ポテトカイザー』が、無残にも真っ二つにされ、盤上から取り除かれようとしていた。
その向かい側で、エラーラは、玉座にでも座るかのような、ふんぞり返った態度で、優雅に紅茶を啜っている。
「ふん。貴様の芋戦術など、もう見飽きたわ。芸がないのだ、芸が」
彼女が数日前に生み出した、新たなる駒、『紅蓮殲滅女王』。
その力は、あまりにも反則的だった。俺の、泥臭く、物量で押し切るサツマイモ軍団は、女王が振う漆黒の大鎌の前では、ただの芋畑も同然。刈り取られ、蹂躙され、俺は屈辱的なまでの連敗を重ねていた。
その、あまりにも不毛な戦いを、玉座の間の巨大モニターが、静かに見下ろしている。
モニターには、宇宙空間に浮かぶポセイドンの残骸と、その心臓部で稼働する無数のナノマシンの様子が映し出されていた。
《巫女マリーナの魂の再構成、フェーズ2に移行。記憶情報の断片を、仮想人格マトリクスへと同期中。全工程完了まで、予測時間、残り72時間》
ノアの冷静なアナウンスが、俺の敗北の感傷を、無慈悲に遮る。
そう。今、この城では、失われた魂を蘇らせるという、神の如き奇跡が、静かに進行しているのだ。
その間、俺たちにできることは、ただ、待つことだけ。
そして、そのあまりにも長すぎる待ち時間が、俺たちを、この盤上の泥沼へと引きずり込んでいた。
「……もう、やだ……。俺、このゲームの作者なのに……」
俺が、盤上に突っ伏して、本気でいじけ始めた、その時だった。
医療区画から、静かな通信が入った。エリスだ。
「……管理人様。エラーラ様。少し、盤面が乱れているようですから」
その声は、穏やかだった。だが、その言葉の奥に、絶対的な自信が滲んでいるのを、俺は感じ取った。
「もし、よろしければ、私も、一局、参加させていただいても、よろしいでしょうか」
暇になった、救世主の到来だった。
「エリス! 頼む! こいつの、あの女王の鼻っ柱を、へし折ってやってくれ!」
「ふん、面白い。方舟の巫女とやらが、どれほどのものか。この私が、直々に、遊んでやろうではないか」
エラーラは、完全に、調子に乗っていた。
かくして、エラーラ対エリスという、ドリームマッチの火蓋が切って落とされた。
エリスは、物静かだった。彼女が盤上に並べたのは、銀色の、騎士のような駒の一団。『星光の守護者』と名付けられた、優雅で、しかし隙のない布陣だった。
戦いは、静かに、しかし、熾烈に進んだ。
エラーラの『紅蓮殲滅女王』が、いつものように、圧倒的な攻撃力で、盤上を蹂躙する。だが、エリスの守護者たちは、決して崩れない。一体が倒されれば、別の一体がその穴を埋め、巧みな連携で、女王の猛攻を、少しずつ、しかし確実に、削いでいく。
「ちぃっ! 鬱陶しい!」
エラーラの表情から、余裕が消えていく。
そして、勝負が決したのは、ゲームの中盤だった。
「――そこです」
エリスの、静かな一言。
彼女の、一人の騎士の駒が、誰もが予想しなかった、トリッキーな動きで、エラーラの陣形の、ただ一点の隙間を、すり抜けた。
それは、女王を守る、最後の砦だった。
気づいた時には、もう遅い。エリスの守護者たちが、完璧な包囲網を形成し、孤立した女王に、一斉に、その銀色の剣を突き立てていた。
「……な……」
エラーラは、絶句した。
盤上から、高笑いを響かせていた、彼女の最強の駒が、音もなく、取り除かれる。
「……私の、女王が……」
「……勝負、あり、ですね」
エリスの、大圧勝だった。
彼女は、ただ、エラーラの動きを、完璧に予測し、その二手、三手先を、読んでいただけ。それは、もはや戦いではなく、冷徹な、詰将棋だった。
その夜。
玉座の間には、異常なまでの、熱気が渦巻いていた。
「「――いくぞぉぉぉぉぉ!!」」
俺と、エラーラの、絶叫がハモる。
俺たちは、二人で、エリス一人に、挑んでいた。
あまりの悔しさに、俺とエラーラは、史上最悪の、しかし、ある意味で最強の同盟を結んだのだ。
「エラーラ! 右翼が手薄だ! 俺のポテト軍団で、壁を作る!」
「分かっている! 貴様は援護に徹しろ! 私の女王が、中央を突破する!」
俺の、泥臭い物量作戦と、エラーラの、一点突破の攻撃力。
理論上は、最強のはずだった。
「――甘いです」
エリスの、静かな一言。
俺のポテト軍団は、彼女が仕掛けた、見えざる罠によって、動きを封じられ。
エラーラの女王の、決死の突撃は、彼女自身の駒と、俺の芋の駒を巧みに利用した、完璧な壁によって、その進路を塞がれた。
そして、俺たちの王の駒の、両脇に。
いつの間にか、二体の、銀色の守護者が、静かに、佇んでいた。
「……チェック、メイト、です」
俺とエラーラは、盤上に、大の字で、突っ伏した。
ボロ負け。それも、子供扱いされるほどの、完璧なまでの、ボロ負けだった。
「……もう、やだ……。俺、このゲーム、嫌いになった……」
「……サツマイモに負けるのも、巫女に負けるのも、もう、ごめんだ……」
俺たちの、あまりにも情けない、敗北の弁。
その光景を、医療区画から、フローラが、くすくすと、楽しそうに笑ってみていた。
そして、その背後のモニターでは、失われた魂の再構築が、着実に、その歩みを、進めていた。
神々の、長くて、そして、あまりにも平和な暇つぶしは、まだ、しばらく、続きそうだった。
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