117.ポテトフライ
宇宙空間に浮かぶ、三番艦『青のアーク・ポセイドン』の残骸。
その周囲を、アークノアから放たれた無数のナノマシンが、銀色の霧のように覆っていた。彼らは、破壊された船体の隅々まで、まるで賢明な蟻の群れのように、静かに、そして精密に、探索を続けている。
その、あまりにも繊細で、あまりにも壮大な作業の様子を、アークノアの医療区画で、二人の姉妹が、息を呑んで見守っていた。
「……見つかりますか……? マリーナの、魂の欠片は……」
フローラの、祈るような声。
彼女の問いに、モニターに映し出されたノアのシステム音声が、無慈悲なまでに冷静な分析結果を返す。
《……動力炉『アニマ・コア』の破損が、あまりにも大きい。物理的な破壊に加え、二番艦ネメシスの攻撃による、情報汚染が深刻です。深層記憶領域の98.7%は、既に、意味をなさないノイズと化しています》
絶望的な報告。だが、エリスは、諦めていなかった。
「残りの1.3%に、全てを賭けるしかありません。ノア、スキャン感度を最大レベルに。ナノマシンを、さらに深層へと送り込んでください。どんな些細なデータでもいい。マリーナが生きていたという、証を……!」
彼女の、悲痛なまでの命令。
モニターの中で、銀色の霧が、さらに密度を増し、ポセイドンの、砕け散った心臓部へと、吸い込まれていく。
それは、失われた魂を探す、果てしない旅。
三つの、機械と巫女の魂が、一つの奇跡を信じて、静かな戦いを繰り広げていた。
【天空城アークノア 玉座の間】
その頃、玉座の間では、全く別の、しかし、ある意味で同等に熾烈な戦いが、繰り広げられていた。
「――見よ、愚かなる甘藷の王よ! これが、我が怒りの化身! 新たなる駒、『紅蓮殲滅女王』だ!」
エラーラが、高らかに宣言する。
ボード盤の上に、彼女がこの数時間、俺に隠れてこそこそと作り上げていた、新たな駒が、満を持して投入された。
それは、燃えるような真紅のドレスを纏い、その手に、禍々しい漆黒の大鎌を握った、女王の駒だった。見た目の格好良さ、強そう度、その全てが、俺のサツマイモ軍団を、遥かに凌駕していた。
「なっ……! ずるいぞ、エラーラ! そんな、見た目からして強そうな駒、反則だ!」
「ふん! 貴様のポテト男爵に、百回近く煮え湯を飲まされ続けた、私の屈辱を、思い知るがいい!」
エラーラの瞳は、本気だった。盤上遊戯に、ではない。俺を、完膚なきまでに叩きのめすことに、だ。
そこからの戦いは、一方的な蹂躙だった。
エラーラの『紅蓮殲滅女王』は、その美しい見た目とは裏腹に、鬼神の如き強さを見せつけた。
俺の誇る『究極甘藷大王』の特殊能力『甘蜜の罠』は、女王が放つ『煉獄の波動』によって、あっさりと無効化され。
俺の最後の砦、『殲滅巨神ポテトカイザー』は、女王が振るう大鎌の一閃、『魂狩りの円舞』によって、一刀両断にされた。
「……そん、な……」
俺は、自らの駒が、次々と盤上から消え去っていく光景を、ただ、呆然と見つめていた。
「とどめだ、管理人!」
エラーラの、勝利を確信した声が響く。
「必殺、『終焉のレクイエム』ッ!!」
ボード盤の上が、紅蓮の炎の幻影に包まれる。
やがて炎が消え去った時、そこに残っていたのは、無残にひっくり返った、俺のサツマイモ軍団の残骸と、ただ一人、高笑いを響かせる、紅蓮の女王だけだった。
俺は、ボコボコのボコにされた。完膚なきまでに。
「……ひどい……。俺の、俺のポテトたちが……」
俺は、盤上に突っ伏し、本気で、泣いた。
その、あまりにも平和で、あまりにも不毛な、復讐劇が幕を閉じた、まさに、その時だった。
玉座の間に、ノアの、いつもとは違う、静かだが、確かな『感情』を宿した声が、響き渡った。
《――……見つけました》
「……え?」
俺が、涙に濡れた顔を上げる。
モニターの中で、銀色のナノマシンの霧が、ポセイドンの、砕け散った動力炉の中心で、一つの、小さな光の点を、大切そうに、包み込んでいた。
《巫女マリーナの、魂の残響データ。……発見しました》
その報告に、医療区画から、エリスとフローラの、歓喜の悲鳴が聞こえてきた。
モニターに、再生準備を示すプログレスバーが表示される。
そして、再生されたのは、声ではなかった。
音でもなかった。
ただ、玉座の間に、温かい、潮の香りが、ふわりと、漂った。
そして、聞こえてきたのは、遠い、遠い昔の、優しい、クジラの歌声。
それは、マリーナが、最後に、その魂に刻み込んだ、彼女が愛した、青い楽園の、最後の記憶。
俺は、その、あまりにも優しく、あまりにも悲しい音色に、涙を流していた。
サツマイモの駒が負けた、悔し涙ではなかった。
失われた命の、最後の輝きに触れた、魂の涙だった。
その時、俺の隣で、エラーラが、ぽつりと、呟いた。
「……貴様も、たまには、まともな涙を、流せるのだな」
その声は、いつものような、嘲笑ではなかった。
ただ、静かな、戦友のような、響きを持っていた。
俺たちの、長い長い廃品回収は、一つの、小さな、しかし、何よりも尊い宝物を、見つけ出したのだった。
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