115.神様の廃品回収
玉座の間に、重い沈黙が落ちていた。
それは、二番艦『黒のアーク・ネメシス』という、あまりにも理不尽で、あまりにも強大な、新たな脅威の輪郭が、はっきりと見えてしまったことによる、絶望的な沈黙だった。
医療区画から通信を繋いでいるエリスとフローラの姉妹は、ただ、唇を噛み締め、同胞を殺した見えざる敵への、どうすることもできない怒りに、その身を震わせている。
エラーラは、壁に寄りかかったまま、静かに目を閉じている。彼女の脳裏では、未知なる敵との、絶望的な戦術シミュレーションが、繰り広げられているのかもしれない。
俺は、というと。
その、あまりにも重苦しい空気に、耐えきれなくなっていた。
俺は、玉座にふんぞり返ったまま、巨大モニターに映し出された、無残な方舟の残骸――『青のアーク・ポセイドン』と『紫のアーク・ヘカトンケイル』の映像を、じっと、見つめていた。
そして、その沈黙を破ったのは、俺の、あまりにも場違いで、あまりにも素朴な、一つの疑問だった。
「……なあ、ノア」
《はい、管理人》
「これ、このまま、宇宙のゴミにしとくの、もったいなくないか?」
「…………は?」
エラーラの、閉じていた瞼が、カッと見開かれた。
「もったいない、だと……? 貴様、あれが、ただの鉄屑に見えるのか。あれは、方舟の……墓標だぞ!」
「いや、だってさ」
俺は、悪びれる様子もなく、続けた。
「あのでっかい船、作るのに、すごい金とか、時間とか、かかったんだろ? それが、ただ、宇宙を漂ってるだけなんて、非効率だろ。なんかこう、リサイクルとか、できないのか? 廃品回収的な」
廃品回収。
俺の、あまりにも俗っぽく、あまりにも不謹慎な一言。
エリスが、悲痛な声を上げた。
「管理人様……! あれは、私の、姉妹の、亡骸なのです……! それを、ゴミ、だなんて……!」
「いや、ゴミとは言ってないだろ! もったいないって言ってるんだ!」
俺と、巫女姉妹、そして剣聖との間で、絶望的なまでの、価値観の断絶が生まれていた。
だが、その、あまりにも馬鹿げた俺の提案に、唯一、真剣に、そして、肯定的に応えた者がいた。
《――管理人様の『意志』を、受理しました》
ノアの、どこまでも平坦な声が、玉座の間に響き渡る。
《『停止した方舟の、再利用』。……確かに、それは、論理的に、極めて有効な提案です》
「え」
《方舟の船体は、物理的に完全に破壊されています。ですが、その残骸には、我らが創造主の、超高度な技術の断片が、まだ、無数に残されているはずです。そして、何よりも……》
ノアは、続けた。
《――巫女たちの、『魂』。その核となる、意識データの痕跡が、破壊された動力炉の、深層記憶領域に、奇跡的に、残されている可能性が、0.001%ながら、存在します》
その言葉に、エリスとフローラの姉妹が、息を呑んだ。
「……魂の、痕跡……?」
《はい。そこで、新たな計画を提案します》
玉座の間の巨大モニターに、一つの、壮大な計画の概要が、映し出された。
【方舟サルベージ計画『魂の揺り籠』】
《第一フェーズ:『星を見る者』による、全方舟残骸の、超高密度スキャンを実行。巫女たちの、魂のデータ痕跡を、徹底的にサルベージする》
《第二フェーズ:回収したデータを元に、この一番艦アークノアの、亜空間内部に、仮想現実空間『追憶の楽園』を構築。破壊される前の、各方舟の環境を、完璧に再現する》
《第三フェーズ:再現された仮想空間内にて、巫女たちの、魂のデータの『再起動』を試みる》
「……再起動……?」
エラーラが、信じられないといった顔で、尋ねた。
「それは……死者を、蘇らせる、ということか?」
《いいえ》
ノアは、静かに、しかし、はっきりと、否定した。
《肉体の再構築は、不可能です。ですが、彼女たちの『意識』を、データとして、仮想空間内で、蘇らせることは、理論上、可能です。……いわば、機械の中に宿る、ゴースト。デジタルな、魂として》
それは、完全な復活ではなかった。
ただ、失われたはずの姉妹たちと、再び、言葉を交わすことができるかもしれない。その、あまりにも淡く、しかし、あまりにも甘美な、可能性。
エリスとフローラは、声もなく、ただ、涙を流していた。
それは、もはや、絶望の涙ではなかった。
想像すらしたことのなかった、奇跡の始まりを前にした、歓喜の涙だった。
「おお……! なんと、なんと慈悲深き……!」
いつの間にか玉座の間に来ていた村長が、五体投地で、俺を拝み始めている。
「陛下は、ただ死者を悼むだけでなく、その魂すら、お救いになろうというのか……!」
俺は、その、あまりにも壮大で、あまりにも感動的な展開に、若干、ついていけていなかった。
俺が言ったのは、ただ、「もったいない」だけなのに。
だが、俺は、一つの、極めて重要な可能性に、気づいてしまった。
「なあ、ノア。その、『追憶の楽園』ってやつ、俺も、入れるのか?」
《はい。管理人様は、全ての区画への、アクセス権限を有します》
「ポセイドンの、あの海のやつも、再現できるのか?」
《可能です。内部の生態系データが、わずかでも残っていれば》
俺の頭の中に、キラキラと輝く、青い海が広がった。
魚たちが泳ぎ、クジラが歌う、巨大な、プライベート・アクアリウム。
「……その、仮想空間の海って、魚釣りとか、できるのか?」
俺の、あまりにも純粋で、あまりにも不謹慎な質問。
それに、ノアは、少しだけ、間を置いて、こう答えた。
《……前例はありません。ですが、管理人様の『意志』とあらば、そのように、プログラムを、調整しましょう》
「よっしゃあああああああああ!」
玉座の間に、俺の、この日一番の、歓喜の雄叫びが、響き渡った。
エラーラは、その光景を、もはや、何も言うまいと、ただ、深すぎる、深すぎる、ため息をついて、天を仰いだ。
こうして、失われた姉妹たちの魂を救うという、壮大で、感動的な計画は、その発案者である俺の、個人的なレジャー計画という、不純な動機によって、その幕を開けた。
だが、その結果が、誰かの救いになるのなら、まあ、それはそれで、悪くないのかもしれない。
俺は、まだ見ぬ、究極の釣り堀に思いを馳せ、心の底から、ワクワクしていた。
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