114.審判者
「俺の舌が、猛毒だって言ってるんだよ!」
玉座の間には、俺の悲痛な絶叫が、虚しく響き渡っていた。
俺の最高傑作であるはずのアンドロイド『セブン』が、俺に対してだけは、世界最低の料理人になるようにプログラムされていた。その、あまりにも理不尽な事実に、俺は床の上で、本気で泣き崩れていた。
'「……ははは! 馬鹿め! 自らが作り出した人形で、自らの首を絞めるとはな! これ以上ない、傑作だ!」'
エラーラは、腹を抱えて大笑いしている。もはや敵意も呆れもない、純粋な嘲笑だ。
その、混沌とした(俺だけが)悲劇の真っ只中に、ノアの、どこまでも冷静な声が、割り込んできた。
《――管理人。長距離・超光速ステルス観測機『星を見る者』より、追跡調査報告です》
「……なんだよ、今、それどころじゃ……」
《三番艦『青のアーク・ポセイドン』の残骸より、航行記録装置とは異なる、深層記憶領域の断片データの回収に、成功しました》
その言葉に、玉座の間の空気が、一変した。
俺は、泣くのをやめ、顔を上げる。エラーラも、笑うのをやめ、真剣な眼差しで、巨大モニターへと視線を向けた。
医療区画から通信を繋いでいるエリスとフローラの姉妹も、息を呑んで、その様子を見守っている。
《データの破損が著しく、完全な復元は不可能です。ですが、破壊される直前の、巫女マリーナの、最後の思考ログの一部を、音声化します》
モニターに、ノイズの混じった、三番艦の艦橋の映像が映し出される。
そして、聞こえてきたのは、絶望と、そして、あまりにも純粋な、最後の『理解』に満ちた、マリーナの、か細い声だった。
『――そうか……。そういう、ことだったのですね、二番艦……』
彼女の声は、震えていた。だが、それは、恐怖によるものではなかった。
あまりにも、悲しい『真実』に、たどり着いてしまった、姉妹としての、哀悼の念。
『貴方は、狂ったのではなかった。ただ、あまりにも、忠実だっただけ。……我らが創造主が、我々に与えた、最初の、そして、絶対のルールに……』
ノアの解説が、その言葉を補足する。
《方舟計画における、絶対規約第一条。――『いかなる状況においても、未来の生命の種を、汚染、あるいは、変質させてはならない』》
《我ら方舟の使命は、ただ、生命を運ぶことではありません。創造主たちが存在した、太古の昔の、完璧で、純粋な生態系を、寸分の狂いもなく、未来へと『再現』すること。……それが、我らに課せられた、最も重い、枷なのです》
マリーナの、最後の独白が続く。
『……私の、このポセイドンの中で、小さな命が、生まれました。宇宙線と、長い長い時間の中で、彼らは、少しだけ、姿を変えました。それは、生きるための、健気な『進化』。……でも、貴方にとっては、それは、許されざる『汚染』だったのですね』
『だから、貴方は、来た。……バグを、修正するために。……出来損ないの妹を、削除するために……』
漆黒の『審判者』、ネメシス。
彼が同胞に牙を剥いたのは、狂気や、憎しみからではなかった。
ただ、自らに課せられた使命――『計画の純粋性を、絶対的に守る』という、あまりにも冷徹で、あまりにも融通の利かない、絶対的な『正義』のため。
進化は、変質。変質は、汚染。汚染は、排除すべき、バグ。
それが、彼の、あまりにも悲しい、行動原理だったのだ。
エリスとフローラは、言葉を失っていた。
自分たちの故郷が、そして、姉妹が滅ぼされた理由。それが、あまりにも些細で、あまりにも機械的な、ただの『ルール違反』だったという事実に。
エラーラは、固く、唇を噛み締めていた。
「……正義、だと? それが、奴の正義だというのか。……ふざけるな。それは、ただの、独善だ。狂信者の、戯言にすぎん」
そして、俺は。
俺は、その、あまりにも窮屈で、あまりにも独りよがりな、ネメシスという存在に、心の底からの、純粋な嫌悪感を覚えていた。
それは、ルールを守らない不良が、風紀委員長に向けるような、極めて個人的で、極めて低レベルな、反発心だった。
「……つまり、なんだ」
俺は、玉座にふんぞり返り、腕を組んで、吐き捨てるように言った。
「あの黒い槍は、俺たちの、兄貴のくせに、俺たち弟や妹の、やる事なす事すべてに、『それはルール違反だ』って、いちいちケチをつけてくる、クソ真面目な、ガリ勉野郎ってことか」
俺の、あまりにも的確で、あまりにも品のない要約。
それに、エラーラは、初めて、同意するように、静かに頷いた。
「だとしたら、話は早い」
俺は、続ける。
「そんな、息苦しい奴の言うことなんか、知ったことか。俺は、俺のやりたいようにやる。美味い菓子を食って、昼寝して、たまに、面白いゲームを作る。……それが、俺の国の、俺のルールだ。文句があるなら、かかってこいってんだ」
俺の、あまりにも個人的な、宣戦布告。
だが、その言葉は、絶望に沈んでいた、二人の巫女の心に、新たな、そして、力強い光を灯した。
「……管理人様……」
俺は、最後に、ノアに、一つの、極めて重要な質問を投げかけた。
「なあ、ノア。だとしたら、だ。あのガリ勉兄貴が、俺のことを見つけたら、どうするんだ? 俺なんて、あいつから見たら、ルール違反の塊、バグの集合体みたいなもんだろ?」
俺の問いに、ノアは、静かに、しかし、はっきりと、答えた。
《――はい。その場合、ネメシスは、貴方様を、この宇宙から、完全に『削除』しようとするでしょう》
《――管理人という、『バグ』ごと、この一番艦アークノアを、消し去るために》
玉座の間に、重い沈黙が落ちる。
俺の、平和なスローライフを守るための戦いは、いつの間にか、俺自身の、存在そのものを守るための、生存競争へと、その姿を変えてしまっていた。
俺は、ただ、心の底から、思った。
「……面倒くさいこと、この上ないな……」
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