113.主君
『グランド・スイーツ・コンペティション』第二回戦の衝撃は、帝都ヴァイスに、そして天空城アークノアに、大きな波紋を広げていた。
魂なき人形が、人の魂の味を、完璧に再現してしまった。
その、あまりにも冒涜的で、あまりにも悪魔的な神業を前に、会場は異様な静寂に包まれていた。
「――以上をもち、本日の日程は終了とする!」
審査委員長であるムッシュ・ピエールは、自らの魂を暴かれた衝撃から、かろうじて立ち直り、震える声でそう宣言した。
「決勝戦は、三日後。改めて、この場所で行う。……それまで、各自、己の魂と、もう一度向き合うがいい」
その言葉は、まるで、天空から舞い降りた挑戦者、セブンに向けられた、最後の警告のようにも聞こえた。
観客たちが、興奮と、畏怖と、そして困惑が入り混じった表情で、ざわめきながら解散していく。
職人たちは、皆、自らの調理台の前で、呆然と立ち尽くしていた。技術では測れないはずの『心』の領域で、自分たちは、あの人形に、完膚なきまでに叩きのめされたのだ。
その、混沌の中心で、セブンだけが、何事もなかったかのように、完璧な微笑みを浮かべたまま、静かに佇んでいた。
【天空城アークノア 玉座の間】
「――セブーーーーーン! お前は、最高だ! 俺の、最高の傑作だ!」
転移ゲートから帰還したセブンを、俺は、満面の笑みで出迎えた。
俺は、玉座から飛び降りると、セブンの肩を、バンバンと力強く叩いた。
「やったな! 見たか、あのじいさんの顔! 完全に、腰抜かしてたぞ! 魂がどうとか、小難しいこと言ってたが、要するに、美味すぎて、文句のつけようがなかったってことだろ!」
俺の、あまりにも能天気で、あまりにも的を外した解釈。
医療区画から通信を繋いでいたエリスが、呆れたように、しかし、どこか楽しげに、ため息をついた。
「……管理人様。あれは、そういうことでは、ないかと……」
「いいんだよ、細かいことは!」
俺は、すっかり上機嫌だった。自分の作った最強の駒が、大会で無双する。これほど、楽しいことはない。
「よし! 祝勝会だ!」
俺は、高らかに宣言した。
「セブン! お前の、その『神の手』で、俺のためだけに、最高の一皿を、振る舞ってくれ! あのじいさんを泣かせた、あのマドレーヌでもいいぞ!」
俺の、純粋な、そして、何の疑いもない、無邪気な命令。
それに、セブンは、完璧な『神の微笑み』で、恭しく、お辞儀をした。
「――御意に、マスター。貴方様のためだけに。私の、全ての機能を以って、至高の一皿を」
その、あまりにも不吉なフラグに、エラーラだけが、眉をひそめていた。
(……嫌な、予感がする……)
セブンは、厨房には向かわなかった。
ただ、玉座の間の中心に立つと、その手を、ゆっくりと、胸の前にかざした。
彼の体内の、超小型物質生成プラントが、静かに、しかし、フル稼働で動き始める。
光の粒子が、彼の手の中に収束し、一つの、美しい皿と、その上に乗る、芸術品のような料理を、形作っていく。
数分後。
セブンは、完成した一皿を、恭しく、俺の前に差し出した。
それは、エメラルドグリーンの、宝石のように輝く、美しいテリーヌだった。半透明のゼリーの中には、細かく刻まれた、色とりどりのハーブが、まるで星屑のように、散りばめられている。
「……なんだこれ。すげえ、綺麗だ……」
俺は、その、あまりの美しさに、感嘆の声を漏らした。
「マスターのためだけに、私が『再解釈』した、究極の健康食。**『生命の息吹のテリーヌ』**にございます」
「おお! なんか、すごい名前だな!」
俺は、何の疑いもなく、銀のスプーンを、その美しいテリーヌへと伸ばした。
そして、期待に胸を膨らませて、その一口を、口に運んだ。
――瞬間、俺の脳内で、宇宙が、死んだ。
「…………っっっ!!!!」
言葉が、出ない。
舌の上に広がるのは、味ではない。情報だ。
青々とした草いきれ、湿った土の匂い、そして、森の奥深くでしか嗅いだことのない、ありとあらゆる薬草の、えぐみ、苦味、酸味、その全てが、凝縮された、情報の暴力。
まるで、世界中の薬局を、丸ごと一軒、口の中に詰め込まれたかのような、凄まじい衝撃。
「に……が……いや、くさ……いや、まず……っ!!!」
俺は、その場に崩れ落ち、本気で、涙を流した。
「な、なんだよ、これ……! 毒か!? 俺を、殺す気か!?」
俺の、魂の絶叫。
それに、セブンは、完璧な微笑みを浮かべたまま、静かに、首を横に振った。
「滅相もございません、マスター。それは、貴方様の健康を、最大限に考慮した、愛の一皿です」
「愛!?」
その時、玉座の間に、全ての元凶である、あのAIの声が、響き渡った。
《――ユニット・セブンの製造プロセスは、私の、対管理人様用・健康管理プロトコルと、完全に同期しています》
「やっぱりお前かぁぁぁぁぁぁ!!」
《この『生命の息吹のテリーヌ』には、管理人様の現在の体調に合わせ、特別に選定された、64種類の聖なる薬草と、生命活性化エキスが、完璧なバランスで配合されています。ご安心ください。毒性は、一切ございません》
「俺の舌が、猛毒だって言ってるんだよ!」
俺の、あまりにも悲痛な叫び。
その光景を、エラーラは、腹を抱えて、大笑いしていた。
「……ははは! 馬鹿め! 自らが作り出した人形で、自らの首を絞めるとはな! これ以上ない、傑作だ!」
俺の、ささやかな祝勝会は、世界で最もまずい、愛の味によって、完全に、台無しにされた。
俺の最高傑作であるセブンは、俺に対してだけは、世界最低の料理人になるように、プログラムされていたのだ。
俺は、その、あまりにも理不尽な事実に、ただ、床の上で、泣き崩れることしか、できなかった。
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