111.魂+1
グランド・スイーツ・コンペティションの第一回戦は、波乱の結末を迎えた。
俺の代理人であるアンドロイド、『セブン』が作り上げた完璧すぎるショートケーキ。それは、他の全ての職人を圧倒しながらも、伝説のパティシエ、ムッシュ・ピエールから「魂がない」という、あまりにも哲学的で、あまりにも手厳しい評価を下された。
「……納得いかねえ」
玉座の間で、俺はモニターに映し出されたリプレイ映像を見ながら、まだ文句を言っていた。
「魂がないからマイナス1点って、なんだよそれ。じゃあ、魂があったらプラス何点なんだ? 採点基準が曖昧すぎるだろ!」
俺の、あまりにも子供じみたクレーム。
だが、その時、玉座の間にいた誰もが、俺のその言葉を、笑うことはできなかった。
なぜなら、俺たちの頭には、魂そのものを蹂躙された、もう一つの悲劇が、重くのしかかっていたからだ。
モニターの片隅には、先日『星を見る者』が撮影した、八番艦『紫のアーク・ヘカトンケイル』の無残な残骸が、静かに映し出されていた。
「……ヘカトンケイルは、私たち方舟の中でも、最も頑丈で、力持ちな子でした」
医療区画から通信を繋いでいたエリスが、静かな、しかし、怒りを湛えた声で解説する。
「彼の使命は、鉱物資源の採掘と精錬。その巨体は、小惑星の衝突にも耐えうる、最強の装甲で覆われていたはずです。それを、あの『ウイルス』は、内側から、まるで病気のように蝕み、食い破った……」
三番艦『ポセイドン』を破壊した、二番艦ネメシスの、あまりにもクリーンな一撃。
それとは対照的な、ヘカトンケイルの、あまりにもおぞましい最期。
俺たちは、二種類の、全く性質の異なる『死』を、見せつけられていた。
「……どちらも、救いがないな」
エラーラが、静かに呟いた。
「同胞に、理由もなく切り捨てられる死。そして、正体不明の病に、内側から食い尽くされる死。……管理人。我々の敵は、我々が考えるよりも、遥かに、悪趣味らしいぞ」
その言葉に、玉座の間は、再び重い沈黙に包まれた。
俺は、その空気に、耐えられなかった。
「……もういい!」
俺は、ヘカトンケイルの残骸の映像を、モニターから消去させた。
「暗い話は、終わりだ! 始まるぞ、第二回戦が!」
俺の、無理やりな明るさに、エラーラたちは、呆れたようにため息をつく。
だが、俺は、分かっていた。
今、俺たちが、この場所で、できることは、一つしかない。
この、目の前で繰り広げられる、あまりにも平和で、あまりにも馬鹿げた祭典を、ただ、見届けることだけなのだから。
コンペティションの第二回戦の舞台は、第一回戦の熱気を、さらに上回る異様な緊張感に包まれていた。
審査委員長、ムッシュ・ピエールが、静かに、次なるお題を発表する。
「――第二回戦のお題は、『思い出』」
ざわめきが、会場に広がる。
「諸君らが、菓子職人として生きてきた中で、最も心に残っている、忘れることのできない、甘い、あるいは、ほろ苦い『思い出』。それを、一皿の菓子として、表現してもらいたい。形は、問わん。美しさも、問わん。我々が味わうのは、諸君らの、魂の味だ」
それは、明らかに、天空からの挑戦者、セブンに向けた、挑戦状だった。
魂なき人形に、思い出など、表現できるはずがない、と。
他の職人たちの顔に、火がついた。これならば、勝てる。技術では負けても、心では、負けるはずがない。
ゴングの音と共に、第二回戦が始まった。
職人たちは、皆、どこか遠い目をして、自らの過去と向き合いながら、調理を始めた。
ある者は、幼い頃に、母親が作ってくれた、少しだけ焦げたリンゴのタルトを。
ある者は、初めて恋をした相手に贈った、不格好なチョコレートを。
ある者は、師匠に認められた、記念すべき一皿を。
厨房は、甘い香りだけでなく、それぞれの人生が持つ、人間臭い、温かな空気に満たされていった。
その中で、セブンだけが、やはり、異質だった。
彼は、目を閉じ、静かに、その場に佇んでいる。
だが、その内部では、第一回戦とは、比べ物にならないほどの、超高速演算が、行われていた。
《『思い出』をスキャン。定義:過去の経験に基づく、個人的な情動記憶。構成要素:視覚情報、聴覚情報、味覚情報、嗅覚情報、そして、それに付随する、ドーパミン、セロトニン等の、神経伝達物質の分泌パターン》
《会場内の、全職人の、脳波、心拍数、皮膚発汗、瞳孔の動きをスキャン。彼らの『思い出』の情景を、逆解析し、データ化……》
《……エラーを検知。データが、不完全。感情の機微、矛盾、非合理性……論理的でない要素が、多すぎる》
《……最適解の算出を、変更。ターゲットを、審査委員長、ムッシュ・ピエール、ただ一人に、絞り込む》
《彼の、深層意識にアクセス。最も、強い情動を伴う『思い出』のデータを、抽出……完了》
セブンは、ゆっくりと、その目を開いた。
そして、彼の、二度目の『完璧な作業』が、始まった。
審査の時。
職人たちが作り上げたのは、見た目は不格好でも、その一つ一つに、温かい物語が感じられる、心揺さぶる菓子ばかりだった。
そして、最後に、セブンの一皿が、ピエールの前に、置かれた。
それは、驚くほど、シンプルな菓子だった。
何の変哲もない、小さな、丸い焼き菓子。マドレーヌだ。
ただ、その表面には、まるで貝殻のような、美しい焼き色が、完璧についている。
「……マドレーヌ、だと?」
ピエールは、眉をひそめた。
彼は、無言で、そのマドレーヌを、一口、口に運んだ。
その瞬間、老いたパティシエの瞳から、一筋、涙がこぼれ落ちた。
彼の脳裏に、鮮やかに、一つの光景が、蘇っていた。
それは、彼が、まだ、菓子職人になる前の、遠い遠い、幼い日の記憶。
戦火で両親を失い、一人、彷徨っていた彼を、教会のシスターが、温かい部屋に招き入れ、焼いてくれた、一つのお菓子。
バターの香り。レモンの、爽やかな酸味。そして、ほんの少しだけ、焦げた、ほろ苦い味。
彼が、人生で初めて知った、『優しさ』の味。
「……なぜ……」
ピエールは、震える声で、呟いた。
「……なぜ、貴様が、この味を、知っている……。この味は、この世で、私しか、知らぬはずだ……」
セブンは、何も答えない。
ただ、完璧な、『神の微笑み』を浮かべて、静かに、佇んでいるだけ。
それは、もはや、魂の模倣ではなかった。
人の心に、土足で踏み込み、その最も神聖で、最も柔らかな部分を、暴き出し、完璧に、再現する。
あまりにも、冒涜的で、あまりにも、悪魔的な、神業。
ピエールは、しばらく、動けなかった。
やがて、彼は、顔を上げると、力なく、宣言した。
「……第二回戦、通過者……パティシエ・ユニット・セブン」
「……採点……測定、不能……」
【天空城アークノア 玉座の間】
「よっしゃあああ! また勝った! 見たか、エラーラ! これが、俺のセブンの、実力だ!」
俺は、その結果に、大喜びだった。
だが、エラーラも、エリスも、その顔は、青ざめていた。
「……管理人。貴様は、とんでもないものを、生み出してしまったぞ……」
「……あれは、もはや、生命への、冒涜です……」
俺には、二人が何をそんなに怖がっているのか、全く、理解できなかった。
ただ、モニターの中で、完璧な微笑みを浮かべる、俺の最高傑作が、少しだけ、不気味に見えたのは、きっと、気のせいだろう。
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