109.スイーツ・コロシアム
俺は、ここ数日、一つのことで頭がいっぱいだった。
『グランド・スイーツ・コンペティション』。
その、あまりにも甘美で、あまりにも魅力的な単語の響き。
玉座の間の巨大モニターには、帝都の復興祭の様子が、四六時中映し出されている。そこでは、大陸中から集まった菓子職人たちが、自らの店の看板を掲げ、来るべき決戦に向けて、試作品の美しいケーキや焼き菓子を並べていた。
それは、俺にとって、地獄の光景だった。
最高の馳走が、すぐそこにあるのに、手が出せない。見ているだけしか、できない。
「……もう、我慢できん」
俺は、玉座から立ち上がると、部屋の隅で黙々と剣の手入れをしていたエラーラに、決意を込めて告げた。
「俺、あのコンテストに、出るぞ」
「…………」
エラーラは、剣を磨く手を止め、ゆっくりと顔を上げた。そして、心底、汚物でも見るかのような目で、俺を睨みつけた。
「……貴様、今、何と言った?」
「だから、コンテストに出るんだよ! 優勝すれば、最高の菓子が食い放題だろ!」
「正気か? 貴様が、どうやって地上に降りる。また、あの神の軍勢を引き連れて、ピクニックにでも行くつもりか。今度こそ、帝国も聖王国も、本気で貴様を『敵』と見なすぞ」
エラーラの、あまりにも正論な指摘。
だが、俺には、秘策があった。
「俺が行くんじゃない。俺の『代理』を、行かせるのさ」
俺は、ニヤリと笑うと、ノアに命令した。
「ノア! レベル4の権能、『機械製造指示』! 俺の、完璧な分身となる、アンドロイドを一体、作るぞ!」
そこからの俺は、水を得た魚のようだった。
玉座の間に、巨大な設計用のホログラムパネルを展開させ、俺は、自らの夢と欲望の全てを、その設計図に叩き込んでいく。
「まず、見た目だ! 誰もが一目惚れするような、超絶イケメンにしろ! 髪は銀髪! 瞳は蒼! 常に、爽やかな風が吹いているような、謎の演出も忘れずにな!」
「戦闘能力は、どうしますか?」
「いらん! そんな物騒なもん、いらん! 代わりに、搭載するのは、最高の機能だ!」
俺は、熱弁した。
「第一! どんな菓子でも、一口食べただけで、その材料、配合、製法、そして職人の精神状態まで、全てを完璧に分析できる、『神の舌』!」
「第二! 大陸中の、ありとあらゆる菓子作りの技術を、完璧に再現、いや、凌駕する、『神の手』!」
「そして第三! どんな時でも、完璧な営業スマイルを崩さず、相手に一切の警戒心を抱かせない、『神の微笑み(ゴッド・スマイル)』だ!」
俺の、あまりにも偏った、しかし、あまりにも真剣な要求。
それを、ノアは、淡々と、しかし完璧に、設計図へと落とし込んでいく。
その様子を、エラーラは、もはや何も言うまいと、ただ、遠い目で眺めていた。
(……こいつは、本当に、救いようのない馬鹿だ……)
数時間後。
俺の、夢の代理人が、完成した。
玉座の間に、音もなく現れたのは、俺の指示通り、完璧な容姿を持つ、一人の青年だった。
「――お初にお目にかかります、マスター。私の名は、『Pâtissier Unit-07(パティシエ・ユニット・セブン)』。通称、『セブン』と、お呼びください」
青年――セブンは、完璧な仕草で、恭しくお辞儀をした。
その微笑みは、確かに、神がかっていた。
【帝都ヴァイス・コンペティション受付会場】
その頃、帝国の役人たちは、殺到する参加者の対応に追われていた。
その、喧騒の中に、ふわり、と。
まるで、最初からそこにいたかのように、一人の銀髪の青年が、姿を現した。
その場にいた誰もが、その、人ならざる美しさに、息を呑む。
青年は、受付の役人の前に立つと、完璧な微笑みで、一枚のカードを差し出した。
「――エントリーを、お願いします」
役人が、震える手で、そのカードを受け取る。
そこに書かれていたのは、あまりにも、衝撃的な所属だった。
『天空国家アークノア代表:パティシエ・ユニット・セブン』
役人の上げた悲鳴が、会場に響き渡った。
その報せは、瞬く間に、仮設王城の、皇帝ゲルハルトの元へと届けられた。
【仮設王城 最高司令室】
「……代理人、だと……?」
皇帝ゲルハルトは、魔水晶に映し出された、銀髪の青年の姿に、眉をひそめた。
「……ギュンター。これは、どういうことだ。あの男、何を考えておる」
「……分かりませぬ。ですが、これは、間違いなく、我らに対する『メッセージ』にございます」
老練な外交官ギュンターは、その老獪な頭脳を、フル回転させていた。
「考えてもご覧ください、陛下。あの御方は、自らの姿を見せることなく、完璧な『人形』を、我らの前に送り込んできた。それは、すなわち、『私と、貴様らでは、格が違う。私の代理人で、十分だ』という、絶対的な自信の表れ」
「……」
「そして、その代理人に、戦闘能力ではなく、『菓子作りの能力』だけを与えた。これは、『私は、貴様らを、武力で屈服させるつもりはない。ただ、貴様らが最も誇る、文化の土俵で、完全に、蹂躙してやろう』という、あまりにも高度で、あまりにも屈辱的な、宣戦布告にございます……!」
ギュンターの、あまりにも深読みしすぎた解説。
だが、その言葉は、皇帝の心に、妙な説得力を持って響いた。
「……ククク。面白い。面白いではないか」
ゲルハルトは、不敵な笑みを浮かべた。
「よかろう。その挑戦、受けて立ってやろうではないか。全職人に伝えよ。帝国の威信にかけ、あの人形の鼻を、へし折ってやれ、と!」
【天空城アークノア 玉座の間】
その頃、俺は。
「おお! 映った映った! 頑張れー、セブン! 優勝して、最高のケーキ、持って帰ってこいよー!」
セブンの視界とリンクしたモニターを、まるでテレビのグルメ番組でも見るかのように、味のないポップコーンを片手に、全力で、応援していた。
俺が仕掛けた、ただの食い意地が、地上では、国家の威信をかけた、代理戦争として、勝手に、盛り上がっていることなど、全く、これっぽっちも、知る由もなかった。
――ここまで読んでいただきありがとうございます!
面白かったら⭐やブクマしてもらえると励みになります!
次回もお楽しみに!