106.一つ屋根の下
宇宙空間に浮かぶ、巨大なハイテク缶詰の中。
俺の日常は、妹艦『ガイア』の救出という一大イベントを終え、再び、退屈という名の平穏を取り戻しつつあった。
だが、その平穏には、一つ、大きな問題があった。
「……なんか、面倒だな」
玉座の間で、俺はモニターに映し出された二つの艦の内部図を、ぼんやりと眺めながら呟いた。
一つは、俺たちがいる、この天空城アークノア。
もう一つは、そのドックに収容され、修復中の九番艦ガイア。
エリスは、姉として、妹であるフローラの側にいてやりたい。だが、方舟の巫女として、この一番艦の状況も把握しておかなければならない。結果として、彼女は毎日、二つの船の間を、忙しなく行き来していた。
フローラも、姉に会いたいが、自らの艦と、そこに眠る生命たちから、長く離れるわけにはいかない。
姉妹は、すぐそこにいるのに、分厚い隔壁に隔てられている。
その、あまりにも非効率で、見ていてじれったい状況に、俺は、一つの、あまりにも単純な解決策を思いついた。
「なあ、ノア」
《はい、管理人》
「この二つの船、合体させられないのか?」
「…………は?」
俺の隣で、盤上遊戯の駒を磨いていたエラーラの、手が止まった。
「合体……だと? 貴様、船を、粘土か何かと勘違いしているのではないか?」
「だって、面倒だろ。二つあるから、行ったり来たりしなきゃいけない。一つにしちゃえば、全部解決じゃないか」
俺の、あまりにも子供じみた、しかし、ある意味で本質を突いた発想。
医療区画から通信を繋いでいたエリスが、慌てたように声を上げた。
「管理人様! お言葉ですが、それは……! ガイアは、ただの船ではありません! フローラという、一つの魂が宿る、生命そのものです! それを、このアークノアと、無理やり一つにするなど……!」
彼女の懸念は、もっともだった。それは、もはや改造ではない。一つの人格を、無理やり、別の巨大な人格に吸収させる、魂の冒涜行為に等しい。
だが、ノアの返答は、俺たちの想像を、遥かに超えていた。
《――管理人様の提案は、論理的に、そして、技術的に、実行可能です》
「え」
《『方舟融合』プロトコル。それは、我ら方舟が、有事の際に、互いの機能を補完し、進化するために、予め組み込まれていた、最終奥義の一つです》
ノアは、淡々と、その驚くべき計画の全容を語り始めた。
《ガイアの船体を、物理的に破壊するのではありません。ガイアの『魂』……その内部に広がる、亜空間そのものを、このアークノアの、未使用の区画へと、完全に『移植』するのです》
モニターに、CG映像が映し出される。
ガイアの船体が、ナノマシンの群れによって、光の粒子へと分解されていく。そして、その中心に残った、緑色の光の球――亜空間の核が、アークノアの内部へと取り込まれ、そこで、再び、元の美しい自然環境を、完璧に再構築する。
《ガイアは、消滅しません。ただ、その存在の形を変え、アークノアという、より強固で、より安全な『大地』に、根を下ろすだけです。フローラの魂も、その独立性を保ったまま、この城の、新たな一区画の、守護者となります》
「……そんな、ことが……」
エリスは、絶句していた。
その時、ガイアの艦橋から、フローラの、か細い、しかし、決意に満ちた声が、通信を通して響いてきた。
「……私……やります」
「フローラ!?」
「だって……その方が、楽しそうですから」
フローラは、ふわりと、微笑んだ。
「お姉さまと、ずっと一緒にいられます。管理人様や、エラーラ様とも、いつでもお話ができます。そして、私の子どもたち(動物や植物)も、一番艦の、無限のエネルギーがあれば、もっと、のびのびと、暮らせるはずです」
妹の、あまりにも健気な決断。
エリスは、もう、何も言えなかった。
「よし! 決まりだな!」
俺は、玉座にふんぞり返ると、高らかに、命令した。
「ノア! 融合、開始! 俺の城に、最高の動物園と、植物園を、作ってやれ!」
《――御意に》
その言葉を合図に、奇跡が、始まった。
ドックに収容されていたガイアの船体が、眩い光に包まれ、その輪郭を失っていく。城の内部では、一つの、巨大な区画の壁が、まるで水面のように揺らめき、その向こう側に、新たな世界が、生まれようとしていた。
数時間後。
俺たちは、居住区画の、一番奥に新設された、巨大なゲートの前に立っていた。
ゲートの上には、『ガイア自然公園』と、俺がたった今、命名したプレートが、輝いている。
「……本当に、大丈夫なのだろうな」
エラーラが、不安げに呟く。
俺は、何も言わずに、その扉を、ゆっくりと、押し開けた。
そこに広がっていたのは、以前、俺が訪れた、あのガイアの艦内と、寸分違わぬ、美しい光景だった。
いや、それ以上だ。
アークノアの、完璧な環境制御システムによって、木々はより青々と、花々はより色鮮やかに咲き誇り、小川のせせらぎは、宝石のようにきらめいている。
そして、その中央で、フローラが、一頭の、真っ白なユニコーン(の角を持つ鹿)を、優しく撫でていた。
コールドスリープから目覚めた動物たちが、彼女の周囲で、楽しそうに駆け回っている。
そこは、もはや、ただの船内ではなかった。
天空の城の中に生まれた、完璧な、生命の楽園だった。
「……すごい……」
エリスが、感極まったように、涙を浮かべている。
俺は、その光景に、大変満足した。
そして、近くにあった、ひときわ大きな木の、心地よい木陰を見つけると、そこに、ごろん、と寝転がった。
「……うん。ここ、いいな。最高の、昼寝スポットだ」
エラーラは、その、あまりにもマイペースな神の姿に、もはや、呆れる気力もなく、ただ、深すぎるため息をつくことしか、できなかった。
こうして、俺の城は、また一つ、俺のスローライフを、より完璧にするための、最高のパーツを手に入れたのだった。
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