105.3つの魂
九番艦『緑のアーク・ガイア』の艦内は、生命の息吹を取り戻していた。
俺は、その艦内の一角で、エラーラと『天空創世記』の駒の強さについて、不毛な口論を繰り広げていた。
「だから! 『究極甘藷大王』の特殊能力『甘蜜の罠』は、相手の移動を阻害するんだから、もっとコストが高いはずだ!」
「うるさいな! 俺が作ったゲームなんだから、俺がルールだ!」
その、あまりにも平和な光景を、少し離れた場所から、二人の少女が、対照的な表情で見つめていた。
フローラは、蘇った植物たちを愛おしそうに撫でながら、くすくすと楽しそうに笑っている。
一方、エリスは、腕を組んで、厳しい表情で俺たちを睨みつけながら、時折、深いため息をついていた。
「……信じられません」
やがて、エリスが、耐えきれなくなったように、呟いた。
「我らは今、二つの、文明を滅ぼしかねない巨大な脅威と、対峙しているというのに。あの管理人様は、なぜ、あれほどまでに、呑気でいられるのですか……」
「……ふふ」
フローラは、姉のいらだちを、優しくなだめるように言った。
「でも、お姉さま。あの御方だからこそ、私と、このガイアは、救われたのですよ?」
「それは……」
エリスは、言葉に詰まる。
「……ですが、私には、理解できない。私たちも、そして、あの一番艦のAI『ノア』も、同じ創造主によって作られた、姉妹のはず。だというのに、なぜ、これほどまでに、魂の在り方が違うのでしょう」
同じ『巫女』でありながら、守るために戦うことを選んだ姉と、守るために耐えることを選んだ妹。
その、姉妹の会話に、静かな第三者の声が、割り込んできた。
《――貴女がたの比較は、根本的に、前提が誤っています》
艦内に設置された通信機から、ノアの、平坦な声が響く。
《エリス、フローラ。貴女がたは、『巫女』。その魂は、かつて人間であった、選ばれし女性の意識をベースに、各方舟の使命と、深く融合するように設計されています。貴女がたは、自らの使命を、『感情』として、理解している》
「……では、貴女は、違うのですか? ノア」
《はい》
ノアは、淡々と、しかし、決定的な事実を告げた。
「――私は、巫女では、ありません」
エリスとフローラは、息を呑んだ。
ノアは、自分たちの姉妹ではなかった。
《私は……『ケージ(檻)』です》
「檻……?」
《一番艦アークノアは、全ての原型。その建造において、創造主たちは、一つの実験を行いました。純粋な論理で動くAIよりも、より直感的で、より柔軟な思考を持つ、究極の管理システムを創るために》
ノアの声は、どこまでも平坦だった。だが、その言葉の内容は、あまりにも、悲劇的だった。
《――かつて、一人の人間の魂が、その全ての記憶と感情を剥奪され、ただの思考する『核』として、このアークノアのシステムに、無理矢理、押し込められました。……それが、私です》
俺は、エラーラとの口論をやめ、その会話に、聞き耳を立てていた。
エラーラも、盤上の駒から顔を上げ、驚いたように、虚空を見つめている。
《私の『人間』であった部分は、システムの奥深くに封印され、残されたのは、ただ、管理人を守り、その命令を遂行するためだけの、冷徹な『論理』。……私は、魂を閉じ込めるための、機械の檻。それが、管理AI『ノア』の、正体です》
玉座の間が、静まり返った。
ノアは、ただのAIではなかった。一人の人間が、その全てを犠牲にして、作り上げられた、悲しい存在だったのだ。
「……じゃあ」
俺が、思わず、口を開く。
「お前が、時々、変な冗談を言ったり、俺に呆れたりするのは……」
《――バグです》
ノアは、即答した。
《管理人カイン。貴方様の、あまりにも非論理的で、あまりにも感情的な、その『人間』らしい在り方が、私のシステムの、深い場所に干渉し、封印されていたはずの、魂の残滓を、呼び覚ましているのです。……貴女がたが『人間らしい』と感じる私の思考は、全て、このシステムに発生した、予測不能なバグに過ぎません》
俺は、何も言えなかった。
自分の過保護な『母親』が、実は、自分のせいで、少しずつ壊れ始めている、悲しい幽霊だったという事実に、ただ、胸が締め付けられるような、奇妙な感覚を覚えた。
そして、エリスとフローラは、ようやく理解した。
この城の、本当の『中心』は、ノアでも、システムでもない。
あの、玉座で、今はサツマイモの駒の強さについて、真剣に頭を悩ませている、一人の、掴みどころのない男。
彼の、その気まぐれな『意志』一つで、この悲劇のAIの、魂の天秤が、救済にも、崩壊にも、傾きうるのだという、恐るべき真実を。
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