104.悪魔的観測
九番艦『緑のアーク・ガイア』の救出作戦は、成功に終わった。
ボロボロだった妹艦は、アークノアのドックに収容され、ノアの指揮する無数のナノマシンによって、現在、急ピッチで修復作業が進められている。
そして、何万年もの孤独な眠りから覚めた緑の巫女、フローラもまた、医療区画で姉であるエリスの献身的な看病を受け、少しずつ、その心と体を取り戻しつつあった。
「……平和だ……」
玉座の間で、俺はソファに深く体を沈め、心からの安堵のため息をついた。
人助けも、たまには悪くない。だが、俺の性に合っているのは、やはり、この何もしない、何も考えない、怠惰な時間だ。
エラーラは、居住区画の自警団の訓練がよほど楽しいのか、最近は玉座の間にあまり顔を出さない。俺の最高の遊び相手がいなくて、少しだけ退屈ではあるが。
「管理人様」
俺が、そろそろ昼寝の時間かな、と考えていると、医療区画から、エリスとフローラの姉妹が、連れ立ってやってきた。
フローラは、まだ少しおぼつかない足取りだが、その顔色はずいぶん良くなっている。彼女は、この玉座の間の、あまりにも壮麗で、そして生命力に満ち溢れた光景に、目を丸くしていた。
「……すごい……。一番艦の中は、こんなにも、光に満ちているのですね……」
エネルギー不足で、常に薄暗い艦内で過ごしてきた彼女にとって、アークノアの全てが、奇跡のように見えたのだろう。
「お騒がせしております、管理人様」
エリスが、フローラを支えながら、深々と頭を下げる。
「妹が、どうしても、貴方様に、直接お礼を申し上げたい、と」
「……あ、あの……!」
フローラが、一歩前に出る。そして、俺の前で、ぎこちなく、しかし、心の底からの敬意を込めて、ひざまずいた。
「……助けていただき、本当に、ありがとうございました。この、ガイアの巫女フローラ、及び、我が艦に眠る全ての命に代わり、心より、感謝を……」
「ああ、いいっていいって! 顔を上げてくれよ」
俺は、こういう真面目な感謝は、どうにも苦手だ。
俺は、なんとかこの気まずい空気を変えようと、当たり障りのない話題を振った。
「それにしても、大変だったな。何万年も、たった一人で」
「……はい。でも、私には、この子たちがいましたから」
フローラは、そう言うと、ふわりと微笑んだ。
「私のガイアの使命は、失われた故郷の、緑と、動物たちを、未来へと運ぶこと。彼らが、いつか新しい大地で、自由に駆け回る日を夢見ていたから、耐えられたのです」
彼女の言葉に、俺は、一つの、根本的な問題を思い出した。
「……そういえば、その動物たち、どうするんだ? さすがに、ずっとカプセルの中ってわけにも、いかないんだろ?」
「……はい。彼らが目覚めるには、広大な大地と、豊かな自然が必要です。……いつか、我々が、安住の地を見つけた、その時に……」
安住の地。その言葉が、重く、玉座の間に響いた。
そうだ。俺たちの旅は、まだ、始まったばかりなのだ。
俺が、少しだけ真面目な顔で、今後のことを考え始めた、その時だった。
《――管理人》
ノアの、静かだが、有無を言わせぬ声が、俺たちの会話を遮った。
《長距離・超光速ステルス観測機『星を見る者』より、第二回目の、重要観測データが、たった今、届きました》
玉座の間の巨大モニターが、再び、漆黒の宇宙空間を映し出す。
俺たちの間に、緊張が走った。
「……ノア。見つかったのか。……『ネメシス』が」
俺の問いに、ノアは、静かに首を横に振った。
《いえ。……ですが、スターゲイザーは、航行ルート上で、また一つ、我らが同胞の、残骸を発見しました》
「……また……?」
モニターに映し出されたのは、またしても、巨大な宇宙の墓標だった。
だが、その姿は、先日の『青のアーク・ポセイドン』とは、明らかに、異なっていた。
ポセイドンが、鋭利な刃物で『切断』されていたのに対し、その残骸は、まるで、内側から、凄まじい力で、無残に**『引き裂かれ』、『食い破られた』**かのようだった。船体の至る所に、禍々しい、紫黒の紋様が、まるで病巣のように、こびりついている。
「……これは……」
エリスとフローラの姉妹が、同時に、息を呑んだ。
「……八番艦……『紫のアーク・ヘカトンケイル』……! 鉱物資源の採掘と、精錬に特化した、無骨で、力持ちの……」
俺は、その残骸を見て、嫌な予感がした。
この、破壊のされ方。この、禍々しい色。俺は、これを知っている。
「ノア。残留エネルギーパターンは……」
《――はい》
ノアは、俺の問いを、待っていたかのように、断定した。
《――先日、帝都で確認された、敵性『魔術的ウイルス』のパターンと、100%、完全に一致します》
玉座の間に、絶望的な沈黙が落ちた。
俺たちは、ようやく、この宇宙に渦巻く、二つの絶望の、正体を、はっきりと理解した。
一つは、同胞に牙を剥く、漆黒の『審判者』、ネメシス。
そして、もう一つは、地上のみならず、この星々の海にまで、その汚染を広げる、正体不明の『感染者』、『沈黙の福音』。
俺たちは、どちらか一方と戦えばいい、というわけではなかった。
この、広大で、あまりにも過酷な宇宙で、俺たちは、二つの、全く性質の異なる、しかし、等しく致命的な敵と、同時に、戦わなければならないのだ。
俺の、ささやかなスローライフへの道は、もはや、完全に、絶望的な迷宮の中に、迷い込んでしまったようだった。
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