102.眠り姫
ワープ航法という、あまりにもご都合主義な超技術によって、俺たちは、一瞬で、目的の宙域へとたどり着いた。
玉座の間の巨大モニターに映し出されているのは、無数の小惑星が、互いにぶつかり合うこともなく、静かに漂う、星々の墓標。そして、その巨大な岩塊の影に、まるで傷ついた蝶のように、ひっそりと身を潜める、緑色の美しい船。
九番艦『緑のアーク・ガイア』。
「……いた……」
医療区画から通信を繋いでいるエリスの声が、歓喜と、緊張に震えていた。
「……よかった……本当に、生きて……」
「よし、ノア! すぐに通信を繋いでくれ!」
俺が、逸る気持ちで命令する。
「『兄ちゃんが助けに来たぞ!』ってな!」
「……その、あまりにも品のない第一声は、どうかおやめください、管理人様」
エリスに、真顔で窘められた。
《了解しました。ガイアへ、第一種優先通信を接続します》
ノアの冷静な声と共に、モニターに『通信中』の文字が表示される。
だが、数秒、数十秒が過ぎても、相手からの応答はなかった。ただ、虚しいコール音が、静かな玉座の間に響くだけ。
「……どうしたんだ? 留守なのか?」
「馬鹿者」
エラーラが、呆れたように言う。
「何万年もの間、敵から隠れ続けていた船だぞ。いきなり、正体不明の船が目の前に現れて、のこのこと通信に出るわけがなかろう。むしろ、最大限に警戒しているはずだ」
「じゃあ、どうするんだよ」
《……ガイアの外部センサーが、本城を『脅威対象』と認識。船体各所の隠蔽フィールドの出力を、最大レベルに引き上げた模様です。このままでは、物理的に接近することも困難かと》
なんと、頑固な妹だろうか。
エリスが、心配そうに声を上げる。
「……ガイアのエネルギーは、もう、ほとんど残っていないはずです。隠蔽フィールドを最大出力で維持し続ければ、いずれ、生命維持装置まで、停止してしまいます……!」
悠長なことをしている時間はないらしい。
「……仕方ないな」
俺は、玉座に深く座り直すと、この城の主として、伝家の宝刀を抜くことにした。
「ノア。俺の、管理人権限で、なんかこう、特別な、兄弟にしか分からない、秘密の合言葉みたいなやつ、送れないのか?」
《……承知しました。全方舟に共通して登録されている、最優先識別コード、『ジェネシス・コード』を、管理人様の生体認証と共に、ガイアへ送信します。これは、いかなる状況においても、拒否することのできない、絶対的な信号です》
ノアがそう告げると、玉座の間のモニターに、複雑な幾何学模様が表示された。
次の瞬間、その光の信号が、アークノアから、緑色の船へと、まっすぐに放たれる。
数秒の沈黙。
そして。
《……ガイアより、応答。隠蔽フィールド、解除されます》
モニターの中で、ガイアを覆っていた、空間の僅かな歪みが、すっと消える。
《……メインハッチが、開きます。入港を、許可する、とのことです》
「やった!」
俺と、エラーラ、そして、念のため数体のセラフィムを連れて、俺たちは、小型の連絡艇で、ガイアの内部へと足を踏み入れた。
その瞬間、俺は、息を呑んだ。
そこは、俺の知るアークノアとは、全く違う世界だった。
薄暗い。そして、寒い。
壁の照明は、最低限の光しか放っておらず、通路の至る所で、ショートしたような火花が散っている。空気は、どこか埃っぽく、生命感が、希薄だった。
「……ひどいな」
エラーラが、静かに呟く。
「エネルギーを節約するため、生命維持以外の、全ての機能を、停止させているのか。……よく、これで、何万年も……」
俺たちは、ノアのナビゲーションに従い、船の中枢、艦橋へと向かった。
やがてたどり着いた、巨大な扉の前。その扉は、俺たちが近づくと、軋むような、悲鳴のような音を立てて、ゆっくりと開いた。
艦橋の中は、植物園のようだった。
いや、植物園だった、と言うべきか。壁一面に、様々な植物が植えられていた痕跡があるが、そのほとんどは、完全に枯れ果てていた。かろうじて、数本の、光る苔のような植物だけが、か細い光を放っている。
そして、その中央。
艦長席であるはずの椅子に、一人の少女が、まるで祈るかのように、静かに座っていた。
緑色の髪、閉ざされた瞳。彼女こそが、九番艦ガイアの巫女。
その周囲には、無数の、半透明のカプセルが、まるで墓標のように、整然と並べられていた。中には、様々な動物たちが、仮死状態で眠っているのが見えた。
「……コールドスリープか」
エラーラが、呟く。
「自らのエネルギー消費を最小限に抑え、この船と、この船に乗せた命を、守り続けていたのだな。……たった、一人で」
俺は、何も言わずに、眠る少女へと、ゆっくりと近づいた。
そして、その、氷のように冷たい頬に、そっと、触れた。
その瞬間、少女の瞼が、ぴくり、と震えた。
「……だれ……?」
何万年ぶりかに紡がれたであろう、か細い声。
緑色の瞳が、ゆっくりと、俺の姿を捉える。
俺は、できるだけ、優しく、そして、安心させるように、微笑んで言った。
「――迎えに来たよ。もう、大丈夫だ」
その、あまりにも単純な、しかし、あまりにも温かい一言。
それを聞いた少女の瞳から、一筋、また一筋と、凍りついていたはずの涙が、静かに、こぼれ落ちた。
長すぎた、孤独な夜が、ようやく、終わりを告げた瞬間だった。
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