3話 妹はバンドをご所望
微妙に腑に落ちない気持ちを抱えながら帰宅。門を開けてふと見ると、リビングのカーテンがわずかに開いていた。
そしてそこからこちらを覗く、パジャマ姿の美少女! 我が愛しの妹、月乃瀬 おりかは俺と目が合うと、パジャマの妖精みたいに微笑んで、小さく手を振った。
おりか……俺の帰りを待っていたのか?
『にぃに、まだかな……?』『早く帰って来ないかな……』『ぁ……! にぃに、帰ってきた……!』
「おりかーーーー! ただいまーーーーーーっ!」
一連の妄想(現実と大差ないに違いない)を一瞬の内に終えると同時、俺はリビングに飛び込んでいた。腑に落ちない気持ち? 何それ?
「寂しくなかったか? 何も危ないことしてないか?」
「うん……でも……」
悲しそうな声。落ち込んだ表情。
彼女が差し出していたのは宅配の不在票だった。出るのが怖くて、居留守を使ったんだろう。
「ごめんなさい……」
「おりかがいなければどうせ留守だったんだ。気にするな」
「うん……」
と。
きゅるるる、と可愛い虫の音。あっ、とお腹を押さえて、ハッ、と頬を染めるおりかに、思わず俺も顔が綻ぶ。
「そうかお腹空いたか! すぐにご飯作って……」
張り切って作ろうとして、気づく。まだ夕方だ。
「おりか、最近よく食べるな?」
「成長期……!」
わかりにくいドヤ顔で、わずかに胸を反らす。しかしそこに膨らみはなく、背も低いままのお子ちゃまだ。
とはいえ。
「うん。食べられるのなら俺も嬉しいよ。ちゃんと食べて、おりかは偉いな」
「むぅ……わたし、もう子供じゃない」
「いやいや本当に偉いぞ?」
むくれるおりかの頬には、しっかりと血色が見える。健康そうなおりかを見られるからめげずに頑張れ、と、昔の俺に言ってやりたい。
とりあえず夕食も近いから、軽く目玉焼きだけ。半熟を白いご飯の上に乗せ、その上から醤油をかけて、すぐに黄身を割ってご飯と目玉焼きを一緒に食べるのが、おりかの好きな食べ方だった。
空腹妹は目玉焼き丼(?)をぺろりと食べる。
「ごちそうさま」
「後で洗うから、流しに置いといてくれ」
いつもの流れ。
しかしおりかはゆるりと首を振った。
「……わたしが洗う」
「え?」
なんと、おりかが自分でやると言い出したのだ。彼女はそのまま流しへ行き、スポンジを手に取る。
今日は珍しいことがよく起きる日だな。俺はおりかの隣に立って様子を見守りながら口を開く。
「どうしたんだ? 俺に対して変な気を遣ってるなら、それはナシだぞ?」
「ん…………」
おりかは少し考え、
「……そんなことない」
そう言った。
「自分でやりたい」
「……そっか」
儚い瞳が、少しだけ強く見えた。
何かをやりたいってのは、おりかにとって非常に重要なことだ。外の世界に出られるようになる、その一歩目かもしれないからな。
おりかの頭を優しく撫でる。
「偉いな、おりかは」
「ん……」
おりかは抵抗することなくわしゃわしゃされると、洗い終えた食器を片付け……ようとした。慌てて引き止める。
「ちょっと待った。貸してくれ」
「……?」
「…………あー、やっぱりか」
半熟卵の黄身は意外とこびりつきやすく、見た目も黄色く見落としやすい。そして案の定、洗い残しがあった。
見せてやると、おりかはしゅん、とうつむいてしまった。
「……ごめんなさい」
「いいんだ。誰でも初めは失敗するさ」
「もっかいやる」
「今度はしっかり頼むぞ」
「任せてっ」
意気込んで再挑戦し、今度は無事綺麗に。一生懸命やった成果を見て、満足そうに微笑んでいる。
こんなことくらいって思うかもしれないが、おりかにとっては大きな成長なんだ。それを目の前にして、俺は正直ちょっとだけ泣きそうになっている。
誤魔化す。
「そういえば、俺に話があるんじゃないのか?」
「あ、うん……にぃににお願いがあるの」
「お願い?」
一体なんだろうか。改まって言わずとも、可愛い妹の頼みを断る兄なんか存在しないのに。
真剣そのものの彼女は食卓にちょこんと座り、俺も対面に。
そして、おりかは指先を合わせてもじもじしながら(可愛い)、呟くように話し出した。
「あの……ね……? その……」
「なんでも言ってくれ。遠慮はしない約束だろ?」
「うん…………でも、えっと……」
「笑ったりしないよ。おりかから何か言ってくれるのは珍しいから、俺も楽しみなくらいだ」
「うぅ~……!」
「だから聞かせてくれ。な? 俺はおりかのにぃに、」
「こっちのペースで喋らせてっ!」
「………………ごめんなさい」
怒られました。今まで聞いたことのない大声で。ごめんよ、にぃに、つい楽しみな気持ちが急いてしまっただけなんです。あと、怒った顔もめっちゃ可愛いです。
おりかはゆっくり深呼吸すると、ポケットからスマホを取り出した。何か操作している。
なんだなんだ筆談か? 恥ずかしがり屋さんめ。そう思ったがそうではなかった。ある画面を開いて差し出してくる。
「ボイスレコーダー?」
「……聴いて」
言われるまま再生をタップしようとして、
「っ、にぃに、ちゃんとイヤホンしてっ!」
また怒られました。怒った顔も以下略。
「なんでだ?」
「そ、それは……いいからイヤホンしてよっ!」
「わかった、わかったから……」
これだけ必死なのだから何か理由があるんだろう。スマホにイヤホンを差して、今度こそ再生。
そこから流れてきたのはゲーソン。いや、キャラソンと呼ぶ方が正解か。ゲームのキャラ――正確には声を当てている声優――が歌う、そのキャラクターのイメージソングのようなもの。
今耳元で流れているキャラソンは、何がなんでも自分を貫くという、反骨精神溢れる少女の想いを歌った、攻撃的なロックだ。
広告でサビしか聴いたことなかったけど、かなりいいな。
待っている間そわそわしているおりかを横目に見ながら、とりあえず最後まで聴いた。聴かされたものだが、胸に染みる満足感は大きい。
「終わったぞ」
「ど、どうだった……?」
ははーん? これはあれだな、好きなものを共有したいってヤツだな? わかる。わかるぞその気持ち。
別に嘘を吐く理由もないし、俺は素直に答えた。
「初めて聴いたけど俺は好きだな。キャラにベストマッチな曲調と歌詞はもちろんだけど、なにより歌声がいい。なんつーか、闘争本能のままに歌ってる、って感じで」
「そ、そう……」
唇が震えたからかろうじて読み取れたものの、おりかの声そのものは聞こえなかった。たった今激しいロックを耳元で流したばかりだし、おりかもうつむき気味にぼそぼそ喋ってるし。
何故か羞恥に悶えるような仕草のおりかに、俺は問う。多分布教だろうけど、一応な。
「それで、この曲がどうかしたのか?」
「……………………の……」
「ぅん? ごめん、全然聞き取れなかった」
「………………し……の……」
「……もっと大きな声で喋ってくれるか? 多分俺の耳が遠いんじゃなくて、おりかの声が小さいんだと思うんだが」
「~~~~っ!」
何故かおりかは顔を真っ赤にして俺を睨むと、自棄っぱちのような声量で叫んだ。
「今の、わたしが歌ってたの!」
「……どゆこと?」
頭の中を大量の疑問符が駆け抜ける。
俺が聴かされたのは激しいロック調の曲で、俺の目の前にいるのは雪の精みたいな妹なんだが? あのキャラのCVがおりかってことは絶対にあり得ないし……おりかは何が言いたいんだ?
大真面目に首を傾げる俺。おりかはそれを意地悪だと言わんばかり、可愛く睨みつけてくる。
「だからっ! それはわたしの声を録音したやつなのっ! 歌ってみたのっ!」
「……? おりかの声はああいうカッコいい系じゃないだろ? 春の雪解けみたいに優しくて儚い声だ」
「~~~~っ! にぃにのばかっ!」
怒ってるのに可愛いなあ……。
真っ赤な顔で俺を罵ったおりかは目を閉じ、再びゆっくりと深呼吸した。しかし今度のそれは、さっきの緊張を落ち着けるそれとはまるで違う。
例えるなら……そう。スイッチを入れるように。
「――――っ!」
おりかが再び目を開けた時、俺は思わず息を呑んだ。
そこにいたのは、ひきこもりの可愛い妹ではなかった。殺意を剥き出しにする狂犬。戦を欲する狂戦士。恐怖すら呑み込む威圧感が、一瞬で部屋中に満ち満ちる。
まるで、あのキャラクターが乗り移ったような瞳だ。
そして。
「――――!」
歌。先ほど聴かされた、闘争の歌。おりかが喉を震わせる度に、あの声が、あの世界が、俺の目の前に広がっていく。
おりかが……俺を『にぃに』と呼んで微笑む、あのおりかが……さっきの歌声の主だってのか? 本当に?
信じられなかった。普段のひきこもりの姿、そして儚く小さな声とは、あまりにかけ離れすぎているから。しかしそんなギャップさえ嘘だと言わんばかりにおりかの歌声は強く、苛烈で、俺を圧倒する。物分かりの悪い俺を力づくで引き込んでいく。
ワンコーラス聴いただけで、俺は認めざるを得なくなっていた。普段がどうあれ、おりかの歌声はこんなに力強いのだと。
歌い終えたおりかは、元の儚い妹に戻って言った。
「わかってくれた……?」
「あ、ああ……正直驚いてるが……歌うと声が変わるタイプなのはわかった」
声優にもそんな人が何人かいるよな。地声と歌声が丸っきり別人みたいな人。
「それでね、にぃに…………わたし……その……」
「…………」
……これが本題か。
固唾を飲む。おりかはまるで告白するかのように頬を染め、指先を合わせ、うつむき、しかしチラチラとこちらに目線をやって……そして大きく意を決して、言った。
「わたし……バンドがやりたい……!」
それは意外な言葉だった。ひきこもりで、しばらく俺以外の他人とは会話も交わしていないおりかが、バンドをしたいというそれ自体が意外。
それともう一つ、
「バンドってことは、楽器がやりたいのか?」
バンドと言うと、やはり歌というより楽器をやりたい人のイメージだ。歌がやりたいなら歌手って言ったはずだ。
しかしおりかは、ふるふると否定。
「楽器はどっちでもいいの。でも……でもねっ、わたしはバンドがやりたい……! バンドで歌いたいの……!」
「バンドか……」
ふと、校門前での出来事が頭をよぎった。
バンドってのはチームだ。スタンスが合わないとか予定が合わないとか性格が合わないとか、色々あるだろう。やりたいなら好きにさせてやりたいが、そこだけが心配だ。
俺が即答で賛成すれば、おりかは喜んでくれるだろう。満面の笑みで『ありがと、にぃに……!』って言ってくれるかもしれない。その笑顔の一言が貰えるなら、国民栄誉賞なんかドブに捨ててもいいと俺は思っているが……ここは心を鬼にして、おりかの決意がどれほど固いのか、どれくらい本気なのかを確認しないとな。
「いいか、おりか? バンドってことは、メンバーで集まって練習したり、打ち合わせしたりするんだぞ? そこに部外者の俺はついていけないわけだが、おりか一人でもちゃんとやれるか? というか、そもそも外に出れるのか?」
「無理」
「即答かよ」
なんという決意の弱さ……よくその心意気でバンドがやりたいって言えたな。外に出る気すら無いじゃねえか。
やれやれ、と俺は大袈裟に肩をすくめた。
「じゃあ無理だ。焦らないで、もう少し頑張れるようになってからにしなさい」
「うぅー……でもぉ……」
「でもじゃありません。無理なもんは無理」
「バンド、やりたいんだもん……誰とも顔を会わせないで……」
「いやそれかなり無茶な発言だからな? 誰ともってバンドメンバーとも顔を会わせないつもりだろ?」
「なんとかして、にぃに……っ!」
「なんとかと言われても……」
いくら可愛い妹の頼みでも限度がある。かの神龍でさえ、自分の力を超える願いは叶えられないんだぞ? 俺は神じゃないどころか、色々と人並み以下なんだ。
渋る俺を見たおりかは目尻に雫を溜め、泣き出す寸前の涙声で言った。
「お願い、にぃに……」
「わかった! にぃにに任せろ!」
……あっ。
そう思った時には既に手遅れ。可愛い妹による涙ながらの懇願に対し、俺は本能だけで『YES』を返していた。兄の習性を利用するとは、我が妹ながらあっぱれな策よ。
「わ……本当……!?」
夏の雨上がりのように、ぱあっと顔を輝かせるおりか。これはもう撤回不可能だ。やっぱり今のナシ、と言えば、おりかは今度こそ泣いてしまうに違いない。そりゃそうだ、無駄に上げて落としてるだけだからな。そんな鬼の所業、俺には出来ない。
いやでも、ひきこもりのままバンドって言ってもな……。退路を断たれ、無謀な背水進軍を強いられている俺は渋い顔をするしかない。
そしておりかは、少し頬を赤くした、満面の笑みで言うのだ。
「ありがと、にぃに……!」
……うん。他でもないおりかの笑顔のためだ。このために俺は生きているんだ。ちょっとだけ兄の本気ってやつ、見せてやるとするか!




