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偽名仮名の住所録  作者: まつかく
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第50夜 『秘密カタストロフ』

ある歯科医師が、患者の歯に仕込んであった極秘マイクロチップを、誤って取り出してしまう。


そして、あろうことか、そのマイクロチップを患者はゴクリと飲んでしまう。


――ああ、やってしまった。なにか妙なものが埋め込まれていると思ったら、マイクロチップだったか。ちくしょう。


歯のレントゲンを写した際に、虫歯の奥にソレはちゃんと映っていたのだ。

もっと言えば、マイクロチップを埋め込むために削られた場所から、虫歯が進行したのだ。

この患者は、いずこかの国のスパイに違いない。


「先生、どうかしましたか?」


阿呆のように口を開けた患者が言う。

黙れ! スパイめ! 反射的にそう叫びそうになるが、歯科医師とてプロである。動揺は表に出さない。


「いえ、なんでもありませんよ。J川さん。立派な虫歯に感心していたのです。これはやっつけがいがある」


「そうでしょう、そうでしょう。すごく痛かったのですから」


患者に気付かれないよう、適当にいろんな歯を削る時間稼ぎをしながら、歯科医師は迷う。

素直にマイクロチップのことを伝えるべきか。

あるいは、このまま黙っているべきか。


考えを巡らせていると、一つの懸念につきあたる。


もし、素直にマイクロチップを飲み込ませてしまったことを伝えれば、最悪の場合、自分は消されてしまうかも知れない。


飲み込ませたのがどうこう、と言う話ではなく、マイクロチップの存在を知ってしまった一般人は口封じのために殺されるかも知れないのだ。


そんなのは嫌だ。


――何のために医者の中でも地味なほうに分類される歯科医師になって、何のために細々とやってきたのだ。


すべては安定かつ平穏な人生のためじゃないか。華やかでなくとも、安定した生活を望んだからではないか。

それがなぜ、こんなスパイ野郎のために、ぶち壊されなくてはならんのだ。


不安が怒りに変わった頃、歯科医師の脳内を閃きが白く焼いた。


こいつは、スパイだ。スパイということは、いずれかの歯に自決用の毒薬を仕込んでいるに違いない。


そうアタリをつけて探してみると、にらんだ通り、マイクロチップとは逆側の奥歯に不自然な詰め物があった。

柔らかいコーティングを施してあり、なるほど舌でも取ることができそうだ。


エキスカを手に取り、少し削ってみると、内部から小さなカプセルが出てきた。やはりか、と歯科医師はほくそ笑む。

歯科医師は鉗子でカプセルをつまむと、喉の奥でプチリと潰した。


歯科医師は秘密結社から、医療ミスで訴えられた。




ある、検死官が胃の中から、怪しげなマイクロチップを発見する。

やや、これはきっと重大な秘密にちがいない。


この遺体となった人はこのマイクロチップのせいで消されたに違いない。

ああ、秘密を知った私は、消されてしまうかも知れない。


何のために地味な人生に耐えてきたのだ。コツコツ生きてきた私がこんな仕打ちに合うなんて納得できない。殺される前に逃げてしまおう。


検死官は姿を消した。




ある火葬場の職員が、焼けた骨に混ざったマイクロチップを発見する。

ああ、いわくつきのホトケだと警察関係者に聞いたが、このホトケはこのために殺されたに違いない。


周囲の者をおそった不幸も、コレを巡っての騒動だろう。

ああ、私は何のために誠実に生きてきたのだ。


まじめな私が秘密組織に消されるなんて、これほどの不幸があろうか? 思えば私の人生は不幸続きだった。ああ、だんだん落ち込んできたぞ。こんな人生を与えた神を呪ってやる。


火葬場職員はマイクロチップをトイレに流すと、首を吊って自殺した。




ある浄水場職員が、思い立つ。

浄化フィルターに引っかかったマイクロチップを発見したのだ。


図書館へ行って、マイクロチップの内容を確認する。

それはなにやら新兵器の図面らしかったが、ただの浄水場職員である男には、詳しいことはわからない。しかし、コレは金になりそうだ。


なにか参考になる書籍などはないだろうか?

すると、突然背後から襲われ、頭に一撃を食らい、男は意識を失う。




ある図書館司書は分厚い辞書を両手にほくそ笑む。


ようやく、私の退屈な人生にもチャンスが巡ってきたわ。このマイクロチップの内容は、間違いなく特殊な新兵器に関するものだわ。これは金になる。

知り合いの政府職員と交渉して、高値で売りつけてやるわ。


波しぶきが霧のように頬を打つ崖の上。図書館司書は最後の言葉を吐いた。「ど……どうして……」


政府職員は笑って銃を腰に戻すと、腹を押さえてふらつく図書館司書を、崖から突き落とした。


ふん。浅はかな女め。

このマイクロチップは政府の極秘機密だ。それを守るためなら、人間の命など、ゴミのようなもの。

個人の尊厳は、国家の安全と比べものにならないのだ。


だが、これほど価値のある情報を、黙って見過ごすのもアホらしいというもの。

この情報を闇組織に売れば、一生遊んで暮らせる金を得られるに違いない。


こんなバカらしい役人仕事ともお別れだ。



スパイのボスは、丁寧な仕事を好む。


情報提供者さえ消してしまえば、情報漏洩のリスクは低くなるのだ。ボスは容赦なくマイクロチップを持ちこんだ政府職員を撃ち殺した。

我が組織も、このところ失敗続きでパッとしない状況が続いたが、久々に汚名返上のチャンスだ。


このマイクロチップを持ち帰れば、本国でも評価されるだろう。そうしてボスは信頼の置ける部下を呼び出し、極秘任務を与える。



スパイはボスの命令に忠実だった。


指令通りに歯に穴を開け、マイクロチップを仕込む。敵に捕まった時に備え、逆側の奥歯にも毒薬を隠した。


「やれやれ、妙な削り方をしたせいか、歯が痛い。虫歯になったかな? まったく、我が組織おかかえの歯科医師は腕が悪いな。そういえば、J川さんも組織の歯科医師のせいで虫歯になったと言っていたな。デリケートな仕事なのだから、しっかりしてほしいよ。まったく。――ここはひとつ、街の歯医者に寄ってから出国するとするか」




《秘密カタストロフ 了》

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