第六話 二つ目をしよう
「──ふむ、中々のものだったね。これはリピート候補として一歩リード確定かな」
「ご満足したようで何よりです……って、結局あたしも食べちゃってるし!」
「別にいいでしょ。それだけ日依が私との時間を楽しんでくれてたってことの裏返しでもあるし?」
「……その言い方は、なんか誤解招きそうなのでやめていただけると助かります」
佳澄が調達してきた宅配ピザがどう見ても彼女一人では消費しきれないボリュームを有していたため、仕方なく日依も手伝ったわけだが流石に二人になるとあっさり片付く。
元々味自体は日依も佳澄も気に入ったタイプの商品だったので、最初はあれだけ巨大に見えた円形のピザ生地はいつの間にやら完全に消え去っていた。
実際に終わってしまうと呆気なくも思えてくるのが不思議なところだ。
だがしかし、それ以上に…日依にとっては、今まさに佳澄から指摘された点の方が大いに情緒を掻き乱されてしまう。
…別に、そういった意図を始めから持っていたわけじゃない。
それでも佳澄の言う通り、日依が彼女と狙ったわけでは無くとも食事の時間を共にしたことで楽しいと感じたことは紛れもない事実だったのだ。
無論、そこに変な意味はない。
楽しいとはいってもそれはあくまで同級生とのこういった時間が新鮮だったからで、それゆえに慣れない体験に対する高揚感が一時的に気分を盛り上げていただけだ。
断じて佳澄のことをそういった目で見ていたとか、妙な意味を含ませたわけでは決してないのである。
しかしながら…そう告げてくる佳澄の表情は、どこか嬉々としたものであって。
口元に細くしなやかな指を当て、まさしくこちらを揶揄っているという表現がピタリと当てはまりそうな感情を露わにした佳澄が言わんとしていることは『日依が自分のことをそういう目で見てたんでしょう?』というのが丸わかりだ。
もちろん、佳澄のことは日依も好きだ。少なくとも好意的な印象は持っている。
されどそれは大前提、『同級生として』という前置きがついてくる文言に限られる。
いくら彼女の見た目が優れていようとも、学校で見せる落ち着いた雰囲気とは全く違った姿を曝け出してくれようとも…日依はそっちの趣味を持った覚えなど無い。
ゆえにどれだけ揶揄われたところで、日依が佳澄に抱く印象が一定の範囲内から飛び越える可能性など皆無なのだが………それはそれとして。
佳澄の方は、とんでもない勘違いでしかないことを指摘しても意味がないのは今までのやり取りを通じてしまえば分かり切っていることだ。
「そう? ならこれ以上は止めるけど…それならそれで、早速今日の分の『お礼』させてもらっちゃおっか」
「…っ!」
──と、それにそんなことを考えている間にも事態は更に突き進んでいく。
丸々一枚…とはいっても日依も多少は手伝ったが、Lサイズの宅配ピザ一枚はそれほど胃袋の容量が大きくない彼女らからすれば十分すぎる量。
完食する頃には既に満腹で、物理的にも精神的にも満足できたらしい佳澄が次に言い出してきたのは、ある意味当然の流れとも言える『お礼』であった。
しかし、そこについて触れられると日依は否応にも過剰に反応を示してしまう。
何せ『お礼』に関しては昨日、不意打ちだったとはいえ鮮烈な記憶を植え付けられたばかりであり…先日の頬にされたキスの衝撃がまだ消えていないのだ。
同性ではあっても、見惚れるような美しさを持った佳澄からそんなことをされれば誰であろうと動揺することは間違いない。
その事実を身をもって知らされた日依なんかは、そのせいで昨日の夜を『どうしてあんなことをしてきたのか…』という答えが一向に出てこない疑問によって悶々とした時間を過ごす羽目になった。
なので今日も似たようなことをされてしまったらおかしな感情でも湧きあがりかねないと警戒心を必要以上に高めてしまっている。
「ちょ、ちょっと待って!? 先に言っておくけど、昨日みたいなことはナシだからね!」
「昨日みたいなこと…? あぁ、頬にキスしたこと? もしかして喜んでもらえなかったかな…」
「喜ぶとか喜ばないとか、そういう話じゃなくてね!? 何というか、そのぉ…あ、ああいうことにあたしが慣れてないので、なんか変な感じがするから駄目なの!」
「ふぅん…じゃあキスをしたこと自体を嫌がってるわけじゃないんだね?」
「へ? ……そ、それは確かにどうなんだろう…」
同じ女なんだからあのくらい何の問題もない、という佳澄の理論は分かる。
確かに同性で親しい相手であれば、時折場の雰囲気に任せて少し踏み込んだスキンシップを図ることだってあるだろう。
だからこれもその一環と考えるのなら、何らおかしいことではないと。
…ただしかし、それはあくまで親しい間柄の人物に限られること。
前提から思い返すがそもそも日依と佳澄はつい先日まともに会話を交わしたばかりであって、それ以上の親交は皆無に等しかった。
そのような相手からいきなりキスをされるなど、流石にナシだろうと判断して…佳澄の言葉によって日依は自分の思考を打ち止められる。
………そう、そうなのだ。
これがまた非常に面倒なことに、日依は彼女から頬に口づけをされた瞬間──不思議とそれを嫌だとは思わなかった。
胸中には激しい感情の濁流が溢れていたがその大半は唐突な行動への困惑と動揺であって、忌避感はまるで感じられなかった。
まるで、彼女とのキスを自分が望んでいたかのような──。
──いいや、そんなことはあるはずない!
自分の好みはあくまでノーマル! たった一度キスを、それも頬にされたくらいで気持ちが揺らぐほどチョロい女ではない! と頭をブンブン横に振ってその邪念を断ち切った。
そうして日依が己の胸の内にある複雑な感情とのバトルを展開していると、こちらがこう言ってくるのは想定していたのか意外なことに向こうからこんな打診をされる。
「まぁ平気だよ。流石の私も昨日はアクセル踏みすぎたかと思ってるから…今日はそんな激しいことはしないって約束するからさ」
「…本当かな。あまり信用しきれないんだけども……」
「ほんとほんと。だって今日の『お礼』として考えてることは健全そのものなんだから」
「……それってつまり、昨日のあれは健全じゃなかったのを認めるってこと?」
「───さて! それじゃあ始めちゃおっか!」
(…あ、逃げた)
佳澄曰く、昨日の頬へのキスはいくら何でもやり過ぎたと自覚していたのか流石にあれよりは積極性も下がるとのこと。
…だがそれは逆に言えば、先日のキスを彼女も不健全なことだったと認識していたということになる。
その点を目ざとく指摘した日依に対し、佳澄は状況が劣勢になりかけていると察するや否や明らかにこちらの発言を誤魔化す様な挙動を見せてきた。
いかにマイペース気味な傾向のある彼女といえど、その程度の自覚は持っていたか。
というかそれをしっかりと認識しているのなら、もっと節度を弁えた行動をしてほしかったと思わず考えてしまうも…言ったところで無意味か。
良い笑顔を浮かべながら未だそっぽを向いた彼女には全て今更のことだと意識を切り替え、溜め息を吐きそうになりながら問いかける。
「…それで? なら今日の『お礼』は何をするっていうのさ」
「色々考えはしたんだけどね。お世話になり始めたばかりだからここは一つ慣らしも兼ねて…日依。私と手を繋ごう!」
「……うん?」
──されど、そこで返されてきた佳澄の回答。
一体どのようなことをされるのかと内心で身構えていた日依の緊張感に対し、自身の白い肌と美しい掌をヒラヒラと見せつけてきた佳澄。
そんな彼女から持ち掛けられた礼の案は、様々な意味で予想外なものだった。




