第九話 同じ傘の下
「か、佳澄さん…狭くない? 入らせてもらってる身だから申し訳ないけど…」
「全然狭くないよ。むしろ日依の身体が小さすぎて余裕あるくらいだからね。…ちゃんとご飯食べてる? 無理なダイエットとかはしない方が良いよ」
「…してないから。単純にあたしの成長期がちょっと遅れてるだけだから」
日依が予想だにしていなかった雨に立ち尽くしながらも、仕方なく帰ろうとした場面に偶然居合わせたという佳澄からの提案。
彼女が手にしていた折り畳み傘を使って帰らないかという、日依からすれば願ってもいない救済案を出されたのでそちらさえ良ければという姿勢を維持したまま厚意に甘えることにした。
なので現在、彼女らは真横に並び立つ形で傘の範囲に収まりながら歩幅を合わせて歩いている。
……の、だが。
(や、ヤバい……最初は特に意識してなかったから何ともなかったけど、よく考えたらこれって相合傘じゃん。べ、別にそれくらい普通なんだろうけどさ…隣にいるのが佳澄さんだと、なんか緊張してくるよ…!?)
…今現在、表面上は冷静沈着な態度を装いこそしているが日依の実際の胸中は混乱真っ只中である。
何せ彼女の隣にいるのはあの佳澄であり、共に傘を使うという関係上どうしても彼我の距離は縮まることとなる。
さらに付け加えるのであれば、既に時間は放課後に突入しているからか佳澄のフードは下ろされているためその美貌も完全に露わになっている状態。
…そんな彼女が至近距離にいるという現状。
以前までならともかくとして、最近は『お礼』と称されて迫られる一連の行動を経たからか日依も佳澄の一挙手一投足に大げさな反応を示すようになってきてしまった。
また、仮にそれがなくともただでさえ彼女は容姿が優れているのだから真隣に立つのはそれなりにこちらにも勇気が必要になってくる。
状況的に断る選択肢はなかったとはいえ、こうなってくると彼女の隣に立つだけで不思議と胸に熱が込み上げてくるような───。
(──いやいや! あたしってば何考えてるのさ!? 佳澄さんにドキドキするとか…絶対ないからね!? そもそも、あたし女! 佳澄さんも女性! そういう気は一切無いし!!)
と、そこまで考えた辺りで日依は自分がとんでもない思考に陥りかけていることを自覚しブンブンと激しく首を左右に振り回した。
猛烈な勢いで振ったからか、何とかギリギリのところで湧き上がりかけた妙な思考回路を脳内から吹き飛ばすことには成功。
…突然そんな奇行をしてしまったため、現在進行形で横を歩いていた佳澄には訝しむような視線を向けられてしまったが。
「どうしたの、日依? 急に身体を振り回して…そんなに暴れたら濡れちゃうよ?」
「だ、大丈夫……このおかげで冷静さを取り戻せたから」
「あ、そう…まぁそれならいいけど。そんなことより、もう少し距離詰めたら? まだ真ん中に隙間あるから詰めていいよ」
「…え、えぇっと……そ、それは大丈夫かなぁ…あはは」
そうだ。そのようなことがあってはならない。
特に日依は今までの人生においても特定の女性を好きになったような経験など皆無であるし、趣味嗜好だってノーマル…なはず。
もちろん世の中にはそういった好みを持つ人らがいることも重々承知の上ではあれど、あくまで彼女自身はそちらの趣味を持った覚えはない。
だからこの動揺は、数日前から妙な距離感でやたらと密着したアプローチ紛いなことを繰り返してくる佳澄のせいに違いないのだ。
…しかし、まぁそれはそれとして。
ちょうどタイミングよく向こうから指摘されてしまった、傘の中央にある隙間については見逃してもらいたい。
いや、別に彼女との相合傘を嫌がっているわけでは無いのだ。
むしろ助けてもらった側としては感謝しかないし、後ほどしっかりお礼の言葉だって言わせてもらう。
…が、そうだとしてもこの状況で佳澄との間にある隙間を埋めてしまうのは些かマズい。
何しろ、現状で傘を二人で使っているのだから既に彼女らの距離はほとんど触れていると言ってもいいほど。
厳密には寸前のところで接触はしていないのだが、要するにそれほど近い距離に互いの位置があるということだ。
とすると、これ以上佳澄との距離を詰めてしまえば彼女の身体に触れてしまうのは必然的なことで、そうなった場合…日依は自分が過剰に緊張するだろうことを確信している。
他の友人相手ならそうはならないはずなのに、こと佳澄に限ってはキスやら手を繋ぐやらの経験があることで少し身体を近づけるだけでもおかしな妄想が脳内で膨らんでいってしまうのだ。
…具体的な内容については、日依の名誉のためにもあえてここでは語るまい。
とにかくそういう事なので、彼女と密着するほどの距離を詰めるのはまだ日依にはハードルが高い。
折り畳み傘という覆われている範囲が小さめな中で隙間を空けてしまっている以上、ほんの少しだけ日依の肩がはみ出してしまっているがそのくらい些細なことだ。
──しかし、そんな小さなところまで彼女は目ざとく見つけてくる。
「駄目だよ。…ほらそこ、肩濡れちゃってるじゃん。もっとこっちに近づきな……っと」
「………っ!?」
こちらの位置関係など、向こうには全く悟らせないよう振る舞っていたはずなのに。
実にあっさりとした様子で日依の身体が傘からはみ出してしまっていることを見抜いてきた佳澄は、それが当たり前であるかのように……彼女を自身の下へ抱き寄せてきた。
腰に手を回し、大した力も入れていないというのにそんなことなど関係ないとでも言わんばかりに引き寄せられる。
するとどうなるか。
言わずもがな、日依は佳澄との間にあった距離をゼロとし、それだけに留まらず何と勢い余って彼女の身体に寄りかかってしまう始末。
……半ば不可抗力ではあったが、図らずも日依は佳澄と密着してしまったわけだ。
(う、うわぁ…こうして近づいてみないと分からなかったけど、佳澄さんの身体柔らかいよね…それに気のせいか何だか良い匂いがしてるような………はっ!? あたしは何を考えて…!)
雨の中、既に多くの生徒が帰宅を終えている時間帯で良かったと心の底から思った。
もしそうでなければこの状況を、一つの傘を佳澄と共有した上で彼女に抱きしめられているというシチュエーションを目撃されてしまい、下手な噂までも上がりかねなかった。
加えて、向こうと距離を縮めてしまったことで微かに漂ってきた佳澄のふわりとした爽やかな香りまでも意識のどこかで嗅ぎ取り……直後、正気を取り戻した。
「ご、ごめん! ここまで近づくつもりは無かったんだけど…!」
「どうして謝るのさ? それより暴れたら危ないよ……って、あぁそういうこと?」
「……え、なに?」
突発的なことだったこともあり抗えなかったとはいえ、流石にこれは近づきすぎた。
佳澄とてあくまでも日依の肩が傘から出てしまっているから、それでは濡れてしまうと気遣って身を寄せてくれただけだ。
だというのに、こうも身体を寄りかからせてしまうのはアウトだろうと思い慌てて過たわけだが…それに対するリアクションは謎の頷き。
日依の慌てようを見て、一人何かに納得でもするかのようにうんうんと首を縦に振っていた。
するとあちらから語られてきたのは、これまたおかしな結論である。
「日依ったら…私の身体に触ってそんなに興奮しちゃったんだね。もう、日依はえっちなんだから仕方ないなぁ…」
「な…っ!? …ち、違うから! 今のは事故で寄りかかっちゃっただけで、興奮とかしてないから!!」
「はいはい、分かってるよ。日依がむっつりなのは私も重々承知だからさ。そんなに強く否定しなくても全部理解してるよ」
「だから違うんだってばー!!」
やけに真剣で、それでいてどこか演技臭くも感じられる佳澄から告げられたのは何とも事実を歪曲された理解だ。
そのような事実は一切ない……いや、まぁ一瞬だけ佳澄の匂いに意識を持っていかれかけたという展開はあったかもしれないが断じて興奮などしていなかった。
けれどもそう反論したところで佳澄は聞く耳を持たず、まさしくこちらの嗜好は理解しているから心配しなくていいといった様子でのらりくらりとやり過ごされるだけ。
……本当に、どうして佳澄はこうも日依に特殊な癖を持っていると印象付けようとしてくるのか。
この数日で何度となく叫んでいる気がする自らの声を耳で認識しながら、日依は必死さのあまり熱くなったように思えた頬を誤魔化すように大声を張り上げていた。




