反響④
朝の光を受けて荘厳とも言える存在感を放つ教会の傍らに二頭の馬が落ち着かなげに立っている。
粕毛の馬は首を巡らせて教会の中と外を出入りする主人を見ていた。
「トノノどうした? ワカンと一緒に草を食べに行って良いんだぞ」
イーサンは粕毛の馬にそう声をかける。トノノと呼ばれた馬は横目でチラリとイーサンを見た。
「なんだよそうやって俺を見てるのか?まあ好きにしたら良いけど、楽しいのかそれ?」
トノノはフンッと鼻を鳴らすと主人の観察を続ける。
教会の中ではエリックが椅子を動かしてより多くの人が入れるようにしていた。
配給の準備もそろそろ大詰めだろう。
「ラミアさん、ちゃんと道案内出来てるかな?もうそろそろ来るかな?」
端に移動させた椅子に座りながらエリックは言った。
「そうだな。もう来る頃かもな」
イーサンは高くなってきた太陽を教会のステンドグラス越しにチラリと見る。もうすぐ昼だった。
「イーサン昨日、ここで配給するって言って回ってくれたんだよね?沢山来るかな?余っちゃうかな?余ったら明日も配れば良いけど、」
エリックはさっきからずっとこんな調子だった。
緊張しているのか同じような質問を言い方を変えて何度もしている。イーサンはその度に律儀に答えてやっていた。
「きっと沢山来ると思うぜ。なんたって皆んな腹ペコだからな」
「そっか、そうだよね」
エリックが頷いた時、イーサンは思い出したかのように手を打ち鳴らした。
「あ!忘れてた!」
「なに?」
長身の男の疑問には答えず、イーサンはズカズカとエリックに近づく。そしてじーっとエリックを見上げた。
「どうしたの?」
「ううーん」
イーサンは難しい表情を浮かべる。相変わらずエリックの疑問には答えない。
「…うん!たぶん大丈夫だろ!」
「何の話?」
エリックは小首をかしげた。さっきまでのそわそわが嘘のように怪訝な表情を浮かべていた。
どうやらいつもの調子を取り戻したようだ。
「リリスが『旗印として人前に出るならキチンとした身だしなみをすべきです。エリックさんのカリスマ性が光りますから』って言ってたんだ。ラミアにも『イーサン最終チェック頼んだよ〜』って任されたし」
友人のその言葉にエリックは、今朝やたらと髪のハネや毛束の流れを気にしていた双子の事を思い出した。
「心配しすぎ、僕は大丈夫だよ」
エリックは小さく笑って言う。緊張は完全に飛んで行ってしまったようだった。
「大丈夫って、今は鏡が無いから自分じゃ分かんないだろ?」
「大丈夫」
エリックはキッパリと言い切る。
「だって、髪がハネててもちょっとボタンが留まって無くても皆んな僕を魅力的に思うもの」
「…へ、」
さも当然とばかりに放たれた言葉にイーサンは間抜けな表情を浮かべた。
「あ、ラミアさんの声が聞こえて来ない?」
エリックはそんなイーサンの反応に気付いた様子も無く背伸びして開かれた扉を見る。
遠くの方からかすかに声がしていた。それから複数の足音も。どうやらラミアはしっかり道案内出来たようだ。
「さあイーサン、いよいよだよ!」
エリックは張り切ったように言うと教会の扉へとゆっくり歩きだす。
「皆さん、こっちだよ。星骸が食料と防寒具を配給するよ」
エリックの柔らかなテノールにイーサンはようやく我を取り戻した。
向かってくる人々を迎えるかのように歩きながら教会を出て行くエリックの後ろ姿が見える。
その後ろ髪はわずかにうねっていた。
そんな姿を見たイーサンはひと言。
「お前はホント、旗印にふさわしいよ」
そう小さく呟くとエリックの後を追う。噂を聞いて来た人々は予想よりもずっと多かった。
エリックたちをここまで運んで来た二頭の馬が教会の周りで自由に草を食む。
人々に手を振るエリックが朝日に照らされて眩しそうに笑った。
教会は押し寄せる人で常にない程ごった返していた。ともすれば暴動さえ起きるのでは無いかという程の腹を空かせた人々。
冬の寒さと飢えで痩せこけてしまった手にエリックは順番にパンを乗せていく。
最初こそ我先にとエリックの元へ押し寄せていた人波も今は随分と落ち着いていた。
それは人々が、自分の番が回って来るだろうと思える程の食料がちゃんとあると思ったからかもしれないし、エリックがあまりに優雅にパンを恵んでいる姿に思わず魅入ってしまったからかもしれない。
あるいはその両方か。
どちらにせよ、イーサンとラミアは教会を押し倒さんばかりだった群衆の制御をする必要が無くなっていた。
「病気してたり怪我してる奴が居たら診てやるぞー」
やっとやりたい事が出来るようになったイーサンが、パン片手に教会を出て来る人々に呼びかけた。
教会の横に小さな人だかりが出来る。
いつもの光景だ。イーサンにとっては何ら変わらない日常。恵まれない者にいつでも医療を施してやるのだ。
一方ラミアはと言うと、空になってしまった箱を端に運んでいた。
「はぁ、結局雑用だもんなー。こんな事なら昨日みたいにチャックとリリィと一緒にあっちこっちにラピス置いて来る方が楽しかったかも…リリスと代わって貰わなきゃ良かった」
ラミアは今朝のやり取りを思い出しながらブツブツと独り言を言う。
「ねぇアンタ」
「んぇ?」
ラミアは予期せず話しかけられて素っ頓狂な声を上げた。
「アンタも星骸なの?」
話しかけて来たのは自分と同じぐらいかそれより少し若いぐらいの女たちだった。
「ああ、まぁね」
ラミアは作業の手を止めて答える。その返事に女たちは色めき立った。互いに顔を見合わせて何事か小さく話す。その要領の得ない反応にラミアは小首を傾げるともう一度口を開いた。
「今日の分の食べ物とか手袋はもうすぐ無くなっちゃうかもしれないけど、これで終わりって訳じゃない。いつになるかはまだ分かんないけどまた配給をするつもり、」
女たちは小さく歓喜の声を上げる。ラミアは構わず続けた。
「アンタらももちろんもう一度来ればいいし、家族や友達を連れて来たって良いよ。もし何か欲しいモノがあるなら一応聞いとく。もしかしたら用意出来るかもしれないしね。アタシたち星骸は、市民の味方だから」
そう言って軽く片目を瞑る。ラミアの言葉に女たちは何やらモジモジとアイコンタクトを取り合っている。その不可解さにラミアはわずかに眉をひそめる。
ーなにコイツら、何でなんも言わないの?なんかムカついてきたんだけどー
ラミアは自分の気分が急転直下で悪くなっていくのを感じていた。そんな時、ついに一人が口を開く。
「…次もっ、次もエリック様はいらっしゃるのかしら?」
「は?」
予想もしていなかった質問にラミアは目を瞬かせた。わずかに苛立ちが消える。
「私たち、次も彼に会いたいのよ」
そう言って女たちはエリックを振り返った。長身の男は上品な所作で市民の手にパンを握らせている。
整った顔から放たれる柔らかい笑みが老若男女問わず全員に等しく降り注いでいた。
市民一人ひとりと目線を合わせ、肩にそっと手を置く。
そのいっそ過剰なまでの距離の近さが多くの人の心を奪っていた。
「噂でエリック様のお名前を聞いた時はまさか貴族が私たちの味方だなんて信じられなかったけど、こうして目の前にいらっしゃると、なんというか、夢みたいだわ」
「ええ。それにただの貴族じゃない、イチアの領主様なのよ。そんなお方が私たちのような者にあんなに親身になってパンまで恵んで下さるなんて…」
「おまけにあんなに良い男、中々見ないわ」
「高貴な生まれのお方はお顔まで美しいのね」
「ああ、こんな事ならちゃんとしたモノを着てくれば良かったわ!」
女たちは熱に浮かされたみたいに言う。実際熱に浮かされているのかもしれない。恋という熱に。
「ほう…?」
ラミアはあまり理解出来ないという表情で顎に手をやる。
ー確かにエリックはめちゃくちゃ良い顔してるけど…でもそこまでかなぁ?ー
「ねぇ、それでどうなの?エリック様は次もいらっしゃるの?」
「え?ああ、来るよ。エリックは星骸の旗印だからね」
「星骸の旗印…」
女たちは噛み締めるように言う。ぼーっとエリックを見つめて動かなくなってしまった女たちを置いてラミアは箱の回収を再開した。
全く整備されていないむき出しの土の地面を二人の男が踏みしめる。ここは階級制度の最下層の人々が住むスクラップタウン。
痩せこけた人々の間を縫うように歩く二人は擦り切れたボロを着ていたが、明らかにこの町の住民では無かった。
ひとりは、禿げ頭の壮年の男。顔に刻まれた皺は濃く、その表情は不愉快そうに歪められていた。
もう一人は浅黒い肌の大男で、周りを伺うような視線を飛ばしている。
「なぜ俺がこんな所に、こんな奴と、」
禿げ頭の男が小さく独りごちた。
大男はその言葉に肩をすくめる。
「俺が気に入らないのは申し訳ございません。でもリンブル様のご命令ですので、」
大男が言った。
「ふん、そんな事は分かってるさ。出世の為にも何としてもこのお役目を成功させなくてはならない。だが、この臭いは我慢ならん!」
禿げた男は周りの人間の汚れた顔と服を見て、眉を顰める。あまりの臭いに鼻がもげそうだった。
思い出されるのはつい昨日の出来事。
自身が仕えるピーストップ家の一室での出来事だった。
贅の限りを尽くした天井の高い部屋に、壮年の男が呼び出される。
男の顔には深く皺が刻まれており、髪の毛はとうの昔に旅立ってしまっていた。
男は上等な服を着ており、その表情は硬い。
主人のリンブル・ピーストップからの呼び出しに緊張していたのだ。
男の名はゾラ、最近屋敷の東側の指揮をとる執事長の補佐になったばかりの男だった。
ゾラが部屋に入るとそこには先客がいた。浅黒い肌の筋骨隆々の大男だ。ゾラはその男をチラリと見ながら中央に置かれた椅子に座るリンブルの前に立つ。
「よく来てくれた」
リンブルは低い声で言った。
「何かご用でしょうか、リンブル様」
ゾラは声が上擦らないようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「うむ。呼び出したのは他でもない、息子のエリックを見つけ出して欲しいのだ」
「エリック様を、」
ゾラは耳から聞こえた言葉を繰り返した。
思い出されるのは昨日の新聞記事。新聞の一面を飾るのはピーストップ家次期当主の名前だった。
「息子を名乗る人物が革命宣言などとふざけた事を言ったのは知っているな?」
リンブルは苛立ったように指で机を叩きながら言う。
「はい」
主人の質問にゾラは頷いた。
この話題に関しては知らない方が難しいだろう。まだ事件からはそう日は経っていないが、町中はもちろん屋敷の中でもその噂話で持ちきりだったのだ。
「新聞の人物がエリックだという確証はまだ無いが、療養所に行っていた筈のエリックが姿を消しているのも事実。親としても、イチアの領主としても反逆者がエリックかどうかは確かめねばなるまい」
リンブルは一度言葉を切る。
「そこでお前たちにエリックを探しに行って貰いたいのだ」
リンブルは禿げ頭の男と大男を見て言った。
「ゾラ、お前はエリックに会った事が無いな?」
「はい。私がエリック様に謁見出来る執事長補佐になった頃にはエリック様は療養されていらっしゃいましたので」
ゾラの答えにリンブルは頷いた。
「アレクサンドル、お前はエリックが星骸にそそのかされているかもしれないと気づいたんだったな?」
「はい。ですが核心に迫る頃には革命宣言が起こってしまい、エリック様の行方も追えずじまいになっていました」
アレクサンドルと呼ばれた大男は神妙な面持ちでそう言った。
その言葉にリンブルは小さく頷く。
「どんな手を使っても良い、二人で協力しエリックの噂、星骸の噂がある所を徹底的に調べろ。そして本当にエリックが裏切ったのかを探るんだ」
主人の声は重苦しく、この任務の重大さを表すかのようだった。
貧民にふんしたゾラとアレクサンドルはゴミ溜めのような町を歩く。
スクラップタウンは下流階級下層のこの国で最底辺の階級の人間の集まる町だ。
そしてそれと同時に犯罪者の集まる町でもある。
革命を起こそうなどという反逆者が根城にするにはうってつけの町なのだ。星骸を探すならまずはこの場所から、そう言ったのはアレクサンドルだった。ピーストップ家の軍人で小隊長。
ゾラは自分よりも立場も年齢も低いこの大男を嫌っていた。
ほんの少し話しただけでも透けて見えるアレクサンドルの優秀さに、エリック発見の手柄を横取りされるのではないかと気が気では無かったのだ。
さらに、リンブルは他の人間にも息子を探させているらしいという噂を屋敷で聞いていた。
ゾラは他の人間も出し抜き、アレクサンドルも出し抜いて手柄を挙げたくて仕方がなかったのだ。
だからこそ、イチア地区最下層階級のスクラップタウンの住民のフリをするというゾラにとって耐え難い屈辱すらも我慢出来た。
この任務を成功させる事が出来れば執事長になるのも夢では無いのだから。
禿げ頭の男は、より貧民に見えるように足元の泥を服に擦り付ける。
「さぁ、星骸の尻尾を掴むぞ。そしてエリック様の居所も」
ゾラはそう言うと、荒屋に住む人々に声をかけに行った。
読んで下さりありがとうございます。
最近、昔見ていたドラマを見返していて続きを全然書けていません。ストックが切れるのも時間の問題かも。
ヤバいなーと思いつつシーズンの多いドラマで全然見終われない笑
なんなら見終わったらまた1話から見たいと思ってるから始末に負えない。
適度に息抜きして頑張ります!
次も土曜日の21:00になります。また来て下さい!




