Ep,1
獣は私達の言葉を紡がない。
その声なき声を紡げるのは、私達だけ。
私達はその声を、哀しみを、全て紡がなければならない。
それが、調律者が調律者たる由縁。
それは、どこまでも空が青く澄んでいる日だった。
王城の最奥、王の間でそれは恙無く行われようとしていた。
「ノア=フローラ、本日付けで君を今代の調律者に任命する。」
「・・・有り難く拝命致します。」
どこまでも澄んだ青空の下、新たな調律者が誕生した。
龍種、妖精、人魚。
この世には幻想的で不思議な生物が沢山いる。彼らは、人間のせいで絶滅に瀕している。
それを保護するのが私達、保護人の任務であり使命。
そして、調律者は保護された生物を導くための標にならなくてはならない。
それは、暗がりでも明るさを失わない、灯籠のような優しく暖かい光のように。
拝命式が終わり、新たな調律者となったノア=フローラは王立保護区の一室に戻っていた。
「ここともお別れか。」
【感傷か、ノア?ここよりも立派な部屋に移れるんだ、喜ぶべきだろう。】
ノアの伸びている影から、突如として黒い者が具現化した。
「マッド、そういうことじゃないのよ。住み慣れた所から離れる寂しさってあるでしょう?」
黒い燕尾服を纏った男はゆるゆるとノアに近寄った。
【そういうものか?】
「えぇ、そういうものなの。・・・もう出るから戻って。」
【御意。】
マッドはノアに触れた。すると、触れた場所からマッドがノアへと溶けていった。
「これで、こことは本当にお別れね。」
ノアはもう訪れることのない、開き慣れた扉をゆっくりと閉めた。
「ここが新しい部屋・・・。」
前の部屋と比べて、陽当たりもよくじめじめとしていない。窓から見える景色は、王立保護区を一望できた。いつ現れたのか、マッドが窓辺にいた。
【どうせ、月に1回帰れるかどうかなんだ。景色なんて関係ないだろう。】
ノアはジッとマッドを見据えた。
「だから、そういうことじゃないの。」
【つくづく、人間って奴はわからないな。だが、のんびりしている暇はやはりないみたいだ。・・・ノア、緊急の指名依頼だ。】
「・・・今?拝命式が終わったこの足で?」
ノアは少し不満げな声を上げた。
【あぁ、今だ。場所は城下のど真ん中。】
「城下?何でそんな所に保護対象が・・・?」
【わからない、が、急いだ方が良さそうな雰囲気だ。】
「・・・わかった。マッド、場所を思い浮かべて。」
【御意。】
ノアは自分の身の丈よりも大きな杖をマッドに持たせ、腰に繋がれたいくつかの鍵から、紫色の石がついたものを取り出した。
「思い浮かべた?」
【あぁ、いつでもいける。】
ノアは、すうっと息を吸い込んだ。
「私が望むべき場所へ。」
紫色の石のついた鍵を自室の扉へと挿し込み、右へ2回まわして開いた。
すると、先程までそこには廊下があったはずなのに、扉の奥は逃げ惑う市民のいる城下へと繋がっていた。
【我が見たのはここだ。ここに火蜥蜴がいる。】
「火蜥蜴?それこそどうしてこんな所に。」
火蜥蜴は、普通はこんな街中にいる生物ではない。暖かいというより、暑い火山地帯に生息している。
「飼育目的の密猟、かしら。」
【最近流行りのそれか。そもそも、何故人間は手に負えないようなものを飼育しようとするんだ。】
「そんなこと、私にもわからない。私は手に負える者で精一杯だから。」
【・・・手に負えているのか?】
「・・・・・・火蜥蜴を早くどうにかしましょう。」
【御意。】
ノアはマッドと目を合わせず、マッドはニヤニヤとしながら、城下を駆けた。
火蜥蜴の姿を確認できたくらいから、街の様子はより一層酷くなっていた。家は崩壊し、煉瓦は所々溶けていた。
【これは中々に暴れたか。】
「マッド、あまり離れないで。」
マッドが煉瓦を突っつきながら、ふらふらと好きな方に歩いている。ノアたちがそのまま進んでいると、前から鉄の鎧を来た兵士が駆け寄ってきた。
「ここは危ない、早く避難をしろ!18歳くらいか?嫁入り前の娘が身体に火傷でも負ったらどうする!?」
ノアはポカンっとして兵士を見つめた。返事がないノアに痺れを切らしたのか、兵士がもう一度口を開きかけたところで、火蜥蜴の咆哮が聞こえた。
「まずい、またアレが来る!」
兵士が焦ったようにノアの手を掴もうとして、その手は空を切った。
「え?」
【易々と我が主に触れれると思うなよ、小僧。お前が触れるなど、千年早い。】
マッドがノアを兵士から遠ざけるように間に立った。兵士が口を開こうとした瞬間、熱風が肌を撫でた。
「まずいアレが、火炎弾が来る!お前たちも早く逃げろ!」
兵士が指示をしても二人は一向に動く気配がなかった。
「おい!何をしている!早く逃げろ!」
【・・・何故?】
「な、何故だと?」
マッドが兵士を見て、笑顔で言い放った。
【何故、我らが逃げる必要がある。たかが、火の付いた石ころなどで何故狼狽えなければならぬ。】
マッドは心底理解できないという風だった。
「お前はあの威力を知らないから言えるんだ!」
兵士が喋っている内に火蜥蜴から飛んできただろう、火炎弾がこちらに飛んできていた。
「っ、間に合わない!」
兵士は少しでも生存を上げるため、大きな瓦礫の後ろに隠れた。
「お前も早くこっちに来い!」
兵士はノアに向かって言い放った。
「マッド。ないと思うけど、何かあったらよろしく。」
【御意。】
マッドは恭しくノアに礼をした。
「取り敢えず、危ないから。"消えて"」
目前まで迫っていた火炎弾がノアの一言で跡形もなく、消えた。
「え?」
兵士は見たものが信じられないように呆けていた。
その後も次々と飛んでくる火炎弾の中、ノアはどんどん火蜥蜴に接近していく。何故か、ノアには一つも当たらない。
そうして、火蜥蜴に触れれるまでの距離に到達した。
(嫌ダ、怖イ怖イ怖イ。助ケテ、助ケテ。痛イ、喉ガ渇イテ痛イ!)
「火蜥蜴の声は届いたから、もう休もう。」
ノアが火蜥蜴にそっと触れ、蒼く光る杖を上に掲げた。
「調律を始めます。」
その瞬間、世界に眩くも暖かい美しい光が溢れた。
火蜥蜴が落ち着いてから、城下には自分の家の様子を見にきた人々や怪我をした人々で溢れた。
「あ、あぁ、俺の家が・・・。」
「お気に入りの家具だったのに。」
「いててっ、火傷してんだ!ぶつかるな!」
そして、未だに火蜥蜴がいることに驚き、みんな恐怖を覚えていたが、火蜥蜴が何もしてこないとわかると口々に言葉を投げた。
「お前のせいで、家がなくなった。」
「低俗な怪物の分際で。」
「俺の子供はお前の炎のせいで、全身火傷を負った。殺してやる、殺してやる!」
誰かが、足下の石を火蜥蜴に投げた。それが呼び水となったように声がどんどんと大きくなり、投げられる石の数も増えていった。
「お、おい!やめろ、やめないか!」
兵士が民衆を止めようとしたが、それは無理だった。
「"止まれ"」
騒音の中でも、凛として通る声だった。その一言で、飛ばされた石も声も何もかもが静止した。
そして、声の主は煩わしそうに杖を一振りし止まっている石を遠くへ飛ばした。
「さっきから、私の保護対象に何をするの?この火蜥蜴は、突然住処をおわれ家族と離ればなれになり、どこがもわからない場所に連れてこられただけ。この子がしたことは、確かに貴方たちには腹立たしいことかもしれない。けれど、それ以上にこの子にはこの子の事情がある。この子だけを責めるのはお門違いじゃないの?」
ノアの美しい紫がかった銀髪が風に靡いた。
「どこの誰か知らないが、うちは、うちは、大切な娘が怪我をしたんだ!それも、全身火傷で治る見込みもない!これで、怒りをぶつけるななんて、そりゃあ酷な話じゃないのか!」
男性が腕に小さな焼きただれた子供を抱えていた。ノアは、その男性と子供に近付いてしゃがんだ。
「な、なんだよ!」
ノアは子供に躊躇なく触れた。
「"治れ"」
すると、子供が僅かに光ったかと思えば、火傷の傷がみるみる内に治っていった。
「え?」
「ごめんなさい、髪の毛は戻せないみたい。でも、時間はかかるけど生えてくるから・・・。」
男性は何が起こったか理解が追い付いていないようだった。
「パパ・・・?」
「っ!ミア!?どこか痛い所はないか!?変な所は!?」
女の子は首をふるふると横に振った。
「そうか、良かった。本当に良かった。」
男性は泣き崩れながら、ノアにお礼を言った。
「怪我をした者がいるなら、私達が診る。それで、この火蜥蜴のことは許してやって欲しい。」
その美しい紫の目には、火蜥蜴を傷付けたら許さないという強い意志が見えた。
紫色の鍵:行きたい場所へ行ける鍵。




