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5-4

「兄さん!」



 ルグレイが兄を呼び止める声が踊り場にこだました。自分を呼ぶその声にウキズミは立ち止まるが、弟を振り返ることはしない。



「……心配しなくても、俺だってとっくに諦めてる」

「そうじゃない」

「じゃあ、俺を笑いに来たのか? こんなバカげた計画に乗る、バカな兄だと」



 ウキズミはルグレイに背を向けたままそう言うと、はっと笑った。



「いや、わざわざ同情しにきたのか、哀れで惨めな兄に一言声をかけてやろうと追いかけてきたんだろう。昔からそうだ。お前は、祖父にも父にも反抗する勇気も無いくせに、同情した目で俺を見る。可哀そうで、惨めだと、そんなことは俺が一番分かっているんだ……! お前がそんな目で見るな……何も、する勇気もないお前が……!」



 それは恐らく、ルグレイが初めて聞く兄の激昂した声だった。ルグレイは自分は兄に嫌われていると知っている。けれどそれは意識的に距離を置かれていると気づいたから知ったことで、こうしてウキズミが面と向かって――実際は背を向けているが――ルグレイをなじったことは、一度も無い。

 そんな兄の激高を目の前にしてルグレイが感じたのは動揺でも、悲しみでもなかった。

 ルグレイはもう一度、力強く兄を呼ぶとその肩を強く掴んだ。そうして振り向かせた兄の胸倉をぐっと掴むと、強く引き寄せる。



「俺だって、兄さんが嫌いだ……!」



 双子の兄によく似た鋭い目を怒りに歪ませて、ルグレイは唸るようにそう告げた。そしてそれは恐らく、ウキズミが初めて聞く弟の声だった。



「兄さんはいいよな、やるべきことも、背負わされるものも、何も無いんだから。俺はそんな兄さんが正直羨ましいよ。でも兄さんは卑屈ぶって、自分を惨めだと思って自分の自由に気づかない。そういう兄さんを見てるとイライラするんだ!」



 初めてぶつけられた弟の怒りにウキズミは驚き、そして、ふつふつとわき上がる感情を露わにするように弟の胸倉に手を伸ばすとぐいと乱暴に掴みあげた。



「お前に何がわかる……」



 弟を憎悪を込めて睨み付け低く唸るが、ルグレイは怯まない。それどころか兄を強い瞳で睨み返し、その胸倉を掴む手に更に力を込めた。



「俺は兄さんの気持ちなんかわからない、でも兄さんだって、俺の気持ちなんか知らないだろ! 俺は、知ってほしいとも思ってない!」



 そうして怒鳴りつけてくる弟は実に生意気で、敵意がはっきりと見て取れるその目はまったく癇に障る。癇に、障る、のだが。



「……泣き虫の、いい子ちゃんが、言うようになりやがって」



 そう言ったウキズミの口角は上がり、ついにはふっと笑い声がもれる。



「そう言われるほど俺は泣いてない」

「俺に置いていかれるたびに泣いてたのはどこのどいつだ?」

「いつの話だよ、小さい頃のことをいつまでも引きずってるなよ兄さん」



 鏡のように口角を上げた目の前の弟の表情はやはり生意気である。ウキズミが笑えばどちらからともなくお互いの胸倉を掴んでいた手を離して笑い合った。



「……でも、さっき、兄さんが手伝えって命令したのは、小さい頃を思い出した」

「お前だって引きずってるんじゃないか」

「そりゃあ小さい頃は、兄さんは俺とハクジのヒーローだから」










 踊り場を見下ろす場所ではハクジが両の拳を握りしめ、感極まったというような顔をして笑い合う双子を見つめていた。やがて我慢の限界が訪れたのか大きく息を吸うと「お兄ちゃーん! ルグレーイ!」と叫んで目の前の階段を駆け下り、双子の間に飛び込んでいってしまう。

 ネブドロがははと笑い、タグロの肩を抱いて拘束したままその後を追うように歩き出そうとして、後ろを振り返った。ウノハたちに「行くぞ」と呼びかけるためだったのだが、振り返って見えた光景にネブドロはその言葉を飲み込んだ。



「あの、ラカリスさん……」



 ウノハがそう言ってラカリスを呼び止めているのだ。ネブドロが代わりにグラアスの名を呼ぶと、こちらを見たグラアスはネブドロの言いたいことを察したのかゆっくりとこちらに歩いてきた。それを見たロクロイもラカリスに「先に行ってるよ」と言うと、ウノハとラカリスをその場に残してネブドロたちと共に階段を下りていくのだった。



 階段に背を向けラカリスと対峙したウノハは相変わらず、ラカリスの顔で情けない表情をしていた。



「あの、本当に、ごめんなさい、わたしのせいで、こんなことに巻き込んでしまって……」

「……まあ、この場合はごめんなさいで正解かもね。あんたがとっとと記憶を取り戻してりゃ、あいつの正体も早くわかったんだから」



 その情けないツラには言及せずにラカリスがそう言うと、ウノハはますます申し訳ないといったように肩を竦めて「ごめんなさい」と繰り返す。ラカリスはそんなウノハ……自分の姿をしたウノハをじっと見つめ、小さくため息をついた。



「……あんたが、あいつの計画に乗り気だったんなら自分の見た目だろうが怒鳴りつけてやろうと思ってた」

「えっ……」

「でも、あんたは嫌だって言ったらしいから、今のわたしにはあんたを怒鳴る理由は無い」




 だからその情けないツラいい加減やめろよ、とラカリスが言って寄越せばウノハはきょとんとした顔をして――その顔も正直やめてもらいたい――、それから安心したように微笑んだ。――やめろそんな顔をするなと叫びたいのはぐっとこらえる――

 ラカリスが話はそれで終わりかと言えば、ウノハは「あっはい」と答えた後にまたごめんなさいと言った。それから珍しくウノハの方から「あの、じゃあ、行きましょうか」と促すようなことを言われ、ラカリスが一瞬驚いたような顔をした途端、ウノハの姿がぶれる。

 間抜けなウノハが階段を背に歩き出そうとしてそれを踏み外した、とラカリスが理解するのは一瞬だった。ラカリスが咄嗟に伸ばした手はウノハの手首を掴んだが、ウノハの体にはラカリスの体を引き戻す力も、留める力も無かった。

 重力に負けた両者の体は下へ引っ張られ、階段を落ちていく。ラカリスは目の前で落ちていく自分の姿に、確かにそれが自分の今の状況だと錯覚して、予期した来たるべき衝撃にぎゅうと目を閉じた。

 誰かがラカリスの名前を叫び、また別の声がウノハの名前を叫ぶ声がした。



 いつまでたっても床に打ち付けられた衝がは襲ってくることは無く、ラカリスは閉じていた目をうっすらと開ける。

 途端にずしりとした重みを感じて「うう」と唸った。上に、何か乗っている。本能的にそれをぐいと押しのけると「ひゃあ」という悲鳴が聞こえた。情けないそれは聞き覚えのあるものとは少しだけ違って、しかしラカリスの記憶を確かに刺激する。それは確か、ついさっきまでラカリスの頭の中で響いていた声で、不本意にも自分のそれであった声で……。

 そう考えたところでようやくラカリスは目の前に見える姿を確認し、大きく見開かれた山吹色の瞳・・・・・と目が合った。

 ひゅっと息をのみ、驚きのあまりに大きく目を見開く。ラカリスが何かを言うよりも、ウノハが驚きの声を漏らすほうが早かった。



「あ、ああああ……! も、戻ってる、戻ってますラカリスさんんん!」

「だあうるさい! んなのわかってるっての!」



 取り乱すウノハにラカリスがそう怒鳴りつければウノハはびくりとして「ごめんなさい」と言うが、すぐに「うわあああん」と情けない声を上げて泣き出した。ラカリスはそんなウノハを再び怒鳴りつけることはせず呆れたような視線を送りつつも、体がもとに戻った喜びをかみしめていた。

 怒鳴る声も、ウノハを押しのける力も、もとの自分のものだ……。改めて自分の体を見下ろして、ふうと安堵の息をついたその時。

 どんと背中を押されたと思うとそのまま体勢を崩し、ウノハの方へ倒れ込んでしまう。

 何事かと眼光鋭く振り返ると、そこにいたのはじっとこちらを見据えたルグレイだった。ラカリスが何しやがると睨めばルグレイはわずかに顔をしかめ小さく「助けてやったのに……」とつぶやいたが、すぐに気持ちを切り替えるようにふっと笑うとラカリスの頬へと手を伸ばす。



「……まあ、いいか。とにかく、戻ったんだな?」

「ちょっと、何……」



 ラカリスがそれを押しのけようと抵抗した手をルグレイの手が絡め取る。ラカリスがそれに驚く間にルグレイはもう一方の手を滑り込ませると、ぐいとその腰を引き寄せた。



「ひゃあっ」



 とは思わず両手で口を覆ったウノハとハクジ。ひゅう、と口笛を吹いたのはネブドロ。呆気にとられてぽかんと口を開けているのがグラアスとロクロイ、それからタグロで、呆れたというように片手で両目を覆い項垂れたのがウキズミだ。



「……ああ、その顔が見たかったんだ」



 思わずそう心の声を漏らしたのはルグレイで、恍惚とした表情でラカリスを見つめていた。

 驚きに見開かれた、切れ長の鋭い瞳。その頬は紅に染まり、まるでカラスの羽のような艶のある黒い髪に映えて美しい。そうして今起きたことをやっと理解したのか、ぐっと眉根を寄せる顔などは言いようも無く可愛らしく、この上なく愛おしいではないか。

 そしてラカリスは、()()()()()()()()()()()()()()()をわななかせ、大きく手を振り上げるとルグレイ目がけて思い切り振り下ろした。


 ルグレイが甘んじて受けたそれは思っていた以上の威力で、スパアン!と小気味の良い音を踊り場に響き渡らせるとルグレイの体をふっとばしてしまうのであった。










 こうして、ある日ひょんなことで自分とは正反対の相手と体が入れ替わってしまったことから始まるラカリスの苦難と苦労はようやく幕を閉じることになった。

 ……”それから少しの幸福”が、”確かな幸福”に実を結ぶことになるのは、またこれからのお話である。






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