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桜沢さんのお嬢さま  作者: 松山みきら
第4章 決めた想い -棘科輝羽-
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 学校では今まで通り、放課後に図書館を訪れてふみに会うようにしていた。本棚に囲まれた狭い席で宿題をするところまでは同じだが、その後の過ごし方は少しばかり変化が生じた。

「飽きませんか?」

「飽きないよ」

 笑顔のない、きれいな顔を見上げながら答えた。膝を枕にして横になる私の頬を、ゆっくりと優しく、ふみが撫でてくれる。距離を近づけた日と同じだった。

 宿題を終えたら、ふみに膝枕をしてもらう。これが図書館での新しい過ごし方だ。私もふみも、図書館にいるのにすっかり読書をしなくなっていた。本棚に囲まれて、息苦しさすら感じる薄暗いこの場所で、互いの存在に触れて、確認し合う。来館者の少ない図書館は、私たちにとって秘密の場所となりつつあった。甘美で後ろめたく、興奮と安堵が同居する場所。それが、私たちの『図書館』だった。

 本を読むのではなく、触れ合う温もりから想いを読んだ。

 私に膝を差し出し、頬を撫でるふみ。

 ふみの膝に頭を預け、頬を差し出す私。

 言葉では伝えられないものを、読んでいた。

 私を見下ろす眠たそうな目。救いを求めて潤んでいた瞳とは違う。

 今この瞬間だけは、安心してくれていると思えた。

「ふみは嫌じゃない? 膝枕するの」

「いいえ。嫌だったら言います」

「……そうだね。ふみはいつも、はっきり言ってくれる」

 距離が縮む前、私が突き放されていたときはいつもはっきり私を拒絶して、遠ざけようと鋭い言葉を投げつけてきたふみ。図書館で明町に襲われたときも、恐れずに言い返して戦っていた。

 だが、そんなふみでも敵わない相手が、桜沢安珠――血の繋がった姉か。

 昔から力を振るわれて虐げられたのなら、相手に臆するのは当然だ。それが幼い頃からならなおのこと、苦手や恐怖とする対象が目の前にいなくとも身体が覚えていて、似た状況に陥れば怯んでしまう。あまり軽々しく口にはしたくないが、人はそれをトラウマというのだろう。

「ゴールデンウィークだけど」

 ふみの瞳を見たまま、口から言葉が滑り出していた。見上げる彼女の眉がほんの少し上に動く。微妙な表情の変化が嬉しかった。

「みどりの日に丸一日空きが取れたの。どうかな?」

「大丈夫です」

 眉が下がり、小さくうなずく。

「よかった。朝はゆっくり支度してもらって、正午に棘森駅集合。駅には執事と迎えに行くから、私の家でランチにしよう。ランチの後は、連れて行きたい場所があって――」

 私の頬を撫でる手が止まる。ふみの表情が凍りついた気がした。

「ちょっと待ってください。あきちゃんの家ですか?」

 口調が強く、早くなる。眠たそうにしていた瞼が開いて、瞳に光が見えた。相変わらず表情の変化は微妙だが、私の提案にたじろいでいるように見える。

「あきちゃんの家って、当主様も住んでいる棘の館でしょう?」

「うん、棘の館」

「私が招かれていい場所ではありません。分相応はわきまえています」

「それは断るって意味?」

 ふみの膝から顔を見上げたまま、腕を組む。ふみが遠慮していることは分かっているのに、いじわるしたくなってしまった。私が怒っていると思ったのか、頬に添えられているふみの手がぴくりと震えて、瞳が揺れた。言葉を探す暇を与えずに話を続ける。

「膝枕するほど仲良しなんだから、分相応とか気にしなくていいの」

「でも」

「まだ距離を感じる?」

「そういうわけでは……」

 目を逸らされた。頬に添えられていた手が離れて、彼女の胸にあるリボンを握りしめた。

「ぎゅってしてくれたのに?」

 声色をちょっと妖しく変えて、表情もわざとらしい微笑みにしてみる。ふみの目が私に戻って、喉が動いた。もう、眠たそうな顔は消えている。唇は震え、双眸はライトスタンドから届く光を浴びて、輝く海のように潤んでいた。

「それ、やめてください……」

 これだ。これがたまらない。

 私を引き留めた日の顔。私の中心を熱くする、潤んだ瞳。

 あの日、ふみから救いを求められると同時に、一つの好意も感じた。彼女の柔らかいからだから伝わった好意は、後輩や友人へ向けられるものとは違う。あの好意はきっと、恋に近い愛情の姿だ。

 彼女の好意を拒絶することもできた。同性同士、場所は学校。拒絶する理由の方が多かったのに、私はふみの抱擁を受け入れた。受け入れるどころか、幸福に感じたのだ。桜沢文音という女性から向けられた好意が嬉しくて、私自身も、彼女の感触を逃すまいと全身に意識を巡らせた。柔らかいからだ、豊かな胸から伝わる温もりと鼓動、私の髪をかすめていく甘い息遣い。すべてが、私にとって幸福だった。

 中学時代に男子から想いを告げられたこともあった。私からきちんと断り、交際はしなかったが、告白されたときは嬉しいと感じた。嫌悪感を覚える好意ではなく、あの男子から伝えられた好意には誠実な印象があって素直に嬉しかった。

 しかし。

 ふみからの好意は、あの男子以上だった。心の底から『幸福』だと思えた。

 誰にも渡したくない。手の届く場所にいて欲しい。

 言葉にされたわけじゃないのに、私の中心を熱くして想いを沸かせる人。

 彼女の好意に応じてもいいのだろうか。

 同性に抱くこの熱情は許されるのだろうか――。

 渦巻く自問自答の中で、以前、蓮華先輩に言われた言葉を思い出した。

『誰かに言われたから気がついた、誰かに言われたからそう思った、っていうのはだめ。あきちゃんのその気持ちは、自分で気がついて、認めなくちゃだめなことなんだ』

 これが、そうだったんだ。

 蓮華先輩の言っていたことは、この気持ちだったんだ。

 同じ女の子であるふみに感じる熱い、熱い感情。

 それは、愛情。

 私が誰を好きになって、誰に愛情を注ぐのか。

 その愛情は許されるのか、許されないのか。

 そんなの、誰かに決めてもらうことじゃない。

 私自身が決めることなんだ。

 そうだ。

 私が愛する人は、私が決める。

「ふみ」

 呼びながら身体を起こし、潤んだ瞳を見つめる。

 私の中で、一つの決心がまとまった。

 大好きな図書館で素っ気ない君を見つけた。誰とも馴れ合うことをせず、意地を張って孤独を貫いていた。そんな君の横顔を見て、何かに苦悩していることを知り、守護者の一族として守らなくてはならないと思った。守護者の一族としての使命感。きっと、それがきっかけだった。突き放されながら毎日を共に過ごし、そしてあの日、初めて君に必要とされた。君から向けられた好意は、私の中でぼやけていた情の形をはっきりと浮かび上がらせてくれた。

 同じ女性でも、私は君が好きだ。触れれば切られてしまいそうなほど鋭くて、冷たい先輩だった君が見せた儚さを支えたい。孤独に戦い続けた君を支えたい。打ち明けてくれたその弱さを、儚さを、私に守らせてほしい。

「ふみは私の大切な人。そんな人を家に招きたいと思うのはいけないこと?」

 まだ、本当の気持ちは言葉にしない。今はまだ早すぎる。縮まった距離から更にもう一歩近づくために、時間を共有する必要があった。

 ふみは黙って首を横に振る。リボンは握りしめたままなのが可愛らしかった。

「私、ふみともっと仲良くなりたいの。だめ?」

 もっと仲良くなりたい。縮めた距離をもっと縮めたい。

 そして、近い未来にこの想いを伝えたい。

 私が感じた好意が間違いでなければ、きっと、この恋は叶う。

 叶うと、信じている。

「……だめなわけ、ないです」

 仲良くなりたいという想いが伝わったのだろうか。

 返事をするふみの顔つきが、いつになく穏やかに感じられた。

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