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桜沢さんのお嬢さま  作者: 松山みきら
第4章 決めた想い -棘科輝羽-
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 しばらくしてから夕食に呼ばれて、館の厨房に隣接した使用人食堂を訪れた。暖色の蛍光灯が照らす、質素で狭いこの部屋が私たちの食堂である。年季のいった長方形のダイニングテーブルと、狐色に焼けた一昔前の古い冷蔵庫。この古い冷蔵庫は私専用で、私がお小遣いで買った食べ物、飲み物を保管している。紅羽やあやめもお土産を買ってきてくれることがあって、そのときはこの中に入れておいてくれる。冷蔵庫の扉にマグネットで貼りつけられたプリントなども全部、私に関係しているものだ。

 食堂には、いつの間に帰ってきていたのか、紅羽の姿があった。私の冷蔵庫に貼りつけられた白い紙きれを見ている。あれは高校の年間行事計画表だ。

「おかえりなさい、紅羽。帰ってきてたんだ」

「あら、輝羽! ただいまぁ!」

 私の姿を認めた途端、パタパタと駆け寄ってきて抱きしめられた。

 ふみの抱きしめ方とはまた違う。紅羽の抱擁は、幼い頃から知っている母性の抱擁。ふみにも母性は感じるが、何かが違う。母性とはまた違うものがあって、私の心を燃やしたのだ。

「もうちょっとでゴールデンウィークでしょう? お出かけの計画立てちゃおうかなって思って、高校の予定を確認してたのよ。連休中、執行部顧問のお仕事は入ってない?」

 私を解放して、また冷蔵庫の前に立つ。紅羽の横顔は明るく、連休を楽しみにしているのがよく分かった。姉は三人で行くお出かけをとても大切にしている。地元以外にも見聞を広げ、経験の一つとするいい機会になるし、何より家族の絆を深められる。毎年の楽しみだ。

「執行部の仕事はないよ。ただ、別件で一日空けてほしいな」

「もちろんいいわよ。お友達と出かけるの?」

「桜沢先輩に会いたい」

 桜沢先輩と聞いて、明るかった顔が硬く切り替わる。腕組みをして、人差し指を腕の上でトントンと動かす。紅羽が捜査モードに入ったときにする癖だ。

「進展があったのかしら」

「少しね。まずはご飯食べちゃわない?」

「そうしましょう」

 紅羽と共に夕食を済ませた後、食堂でお茶を飲みながら今日の出来事を話した。つらそうにするふみを置いて帰ろうとしたこと、ふみが私を引き留めたこと。彼女がどんな様子だったかを主に話して、ふみとの()()()()については伏せておいた。抱き締められたときに感じた喜びやふみへの想いは口にする必要のないことだ。

「ふむ。輝羽が近くにいると先輩――ふみさんはおかしくなる。今日はそれが極端だったのね」

「すごくつらそうだったよ。助けたくて近くにいるのに、ふみを苦しめてると思ったら耐えられなくて、帰ろうとしたの」

「そうしたら引き留められたと。……ちょっと安心したわ」

 紅羽が椅子の背もたれに身体を預けて、気の抜けた優しい笑顔を私に向けた。

「あなたは救うべき人に必要とされている。姉としても、棘科家当主としても嬉しい。最初は妹が理不尽に突き放されてるのが許せなくて不満だったから」

 苦笑いをして首を傾げる。

 ふみと関わるようになってから、紅羽やあやめにもどんな状況なのか相談をしたり、情報を共有してもらったりしていた。その中で、ふみが神城先輩以外の人物にはつらく当たり、決して馴れ合おうとしない様子も伝えた。初対面からたくさんの言葉のナイフを投げつけられたことももちろん知っている。あやめは冷静だったが、紅羽は分かりやすく膨れていた。紅羽が姉として怒りを抱いてくれたことは、心配させてしまって申し訳なくなると同時に、喜びでもあった。

「もう打ち解けてくれたんだから、ふみのことは怒らないであげて」

「えーっ? 一回くらい叱っちゃだめ? その後は輝羽と一緒に可愛がってあげるから」

 叱りたい気持ちも理解できるが、私は断じて許さなかった。

 ふみがどうして他人を突き放すのかはっきりしていないうえに、私個人だけでなく、他の先生や生徒たちも突き放されている。何も知らないままふみだけを叱るのは、彼女の心を更に閉ざし、闇を深めるだけになってしまうだろう。叱った人が棘科家当主となれば、どれだけショックを受けることか。

「他の人ならいいけど、ふみはだめ」

「どうして?」

「ちょっと力が加わったら、すぐ壊れちゃいそうだから」

 今まで他人を突き放し、馴れ合うことなく生きてきたふみ。彼女は、今日の出来事を通して、意外にも脆く、紙一重なものだと感じた。壊れてしまうギリギリのライン、狂ってしまう一歩手前で、どうにか踏み止まっているように思えた。

「私が引き留めを無視して帰っていたら、彼女、壊れたかもしれない。そんな人が棘科家当主に叱られたらどうなると思う? 守護者の末裔に怒られるんだよ?」

「……むむ」

 姉が顔をしかめた。自身の持つ影響力は一応理解しているつもりらしい。

「今まで冷たく私を突き放してた先輩が、後輩に対して敬語を使って、行かないでくださいって言ったんだ。ふみはもう、ギリギリだよ。急いで問題を解決しないと、些細なきっかけで壊れてしまう」

 帰り際の会話を思い出す。

 私が憧れる蓮華先輩に嫉妬して、本当に軽蔑しないかと何度も聞き、嘘はつかないでほしいとも言った。自分の抱える悩みや恐怖を打ち明けなくとも、その言葉の端々や変化した態度でよく分かる。

 急がなければ、ふみはもう持たない。

「おい、気持ちは分かるが慌てて転ぶんじゃないぞ」

 厨房からあやめが出てきた。黒い厚めのファイルを手に持っている。

「頼まれてた資料だ。ついさっき調査員が届けてくれた」

「えっ。ずいぶん早いね?」

「急ぎで、って言ったろ。調査した一部の情報については、絶対に他へ漏らさないこと、問題の早期解決、この二つを条件に詳しい情報を提供してくれた人がいる。誰とは言わないがな」

 ふみが抱える問題の早期解決を望み、かつ、ふみの過去を知っている人物。名前を教えてもらわなくとも、その人物が何者なのかは予想がついた。明るい笑顔を振りまく、ある先輩の姿が浮かんで消える。ふみが「やかましい」と言いそうだ。

「……その情報提供者にはきちんとお礼を」

「おう、調査員に手配させておいた」

 黒いファイルを受け取って、テーブルの上に置いて開いた。紅羽も席を立ち、私の隣に来て一緒にファイルを覗き込む。ファイルを開いて最初に目に入ったのは、自然で明るい笑顔を浮かべる、穏やかそうな女性の写真だった。不思議なことに、ふみとはまったく似ていない。

「桜沢安珠。ふみには似てないね」

「どれどれ」

 写真を見て「あら、可愛い」と一言。ふみは冷たい印象、桜沢安珠は柔和な印象といったところか。だがこれはあくまでも写真の話だ。この安珠という女性がふみを苦しめているのは間違いない。写真を紅羽に手渡して次の資料を読み進める。最近の略歴が記されていた。

「高校卒業後、役者を目指して上京するが五日で断念し、帰省。コンビニとファミレスのアルバイトをかけ持ちしながらしばらく実家で過ごし、数年後に再度上京。今度は音楽活動を行うようになる」

「芸能の分野に身を置きたかったのかしら」

「そうみたいだね」

 バンドを組み、ベースを担当。インディーズCDのリリース、ライブ活動も行っていた。そのライブ活動の中で一人の男性と知り合い、交際を始める。昨年末に交際中の男性と婚約し、今年の六月に結婚式を予定している。

「あらあら。文芸部の部長さん、やっぱり振られているじゃない」

 紅羽が呆れて肩をすくめた。情報は紅羽にも共有してもらっているし、以前、ふみが図書館で明町に襲われた事件も話してある。しっかり覚えていたようだ。

「その部長と桜沢安珠がどうして親しくなったのかも書いてあるよ」

 文芸部の部長、明町優樹。ふみの姉に叶わぬ想いを寄せ、挙句、ふみを代替品として従わせようとした男。あの男と桜沢安珠が知り合ったのは、二年前に我が校で行われた文化祭だった。二年前、卒業生である桜沢安珠は友人と共に母校の文化祭を訪れた。在学中は軽音楽部に所属していたという安珠は、文化祭で行われていた軽音楽部のライブにゲストとして急きょ飛び入り参加し、イベントの盛り上がりに貢献したという。

 そのライブを見に来ていた当時一年生の明町優樹。彼はステージに立つ安珠を見て、すぐに心を奪われた。強い憧れと恋慕を抱いた明町は軽音楽部の友人を通して安珠に接近し、親しくなる。しかし、二人の関係はそれ以上発展することなく、ライブの楽しさを思い出した安珠は音楽活動をするために再度上京してしまう。再び上京した安珠の動向は先に述べた通りだ。

「なるほど。文化祭で久しぶりにライブをして、もう一度人生の目標を見つけたんだ。でも、その人生の中に明町は含まれていなかった」

「ああ。明町優樹はめげずにアプローチをかけて、後から入学してきたふみちゃんをもダシにした。でも結局叶わなかった。その後の顛末は、お前が実際に立ち会ったな」

 言いながら、あやめがポケットから棒つきキャンディーを取り出す。包み紙の色は緑色だった。

 その後の顛末。ふみに迫ったところを私に見つかって、明町優樹は撃退された。あの男が再びふみに近づくことはなく、図書館を訪れることもなかった。文芸部の活動については詳しく調べていなかったから、ふみの問題と並行して調査していくべきだろうか。まだまだ問題は山積みだ。

「輝羽、ページめくって~」

「はいはい、ただいま」

 紅羽に急かされて資料をめくる。再び上京した後の様子が書かれていた。

 結成したバンド内では愛想もよく、問題を起こすことはなかった。しかし、練習やミーティングなどには消極的で、意見することも滅多になかった。その代わり、メンバーのいない場所で音楽の方向性の違い、他メンバーへの辛辣な陰口や批判を繰り返していたという。繰り返される陰口と批判は周囲から漏れ始め、やがて他メンバーにも伝わるようになった。次第に居心地を悪く感じ始めた安珠は、結婚を理由としてバンドを脱退。彼女の音楽活動は幕を閉じることになる。

「ここまでは比較的新しい情報だな。次が多分、お前の本命だ」

 あやめに言われてページをめくり、次の資料を見る。高校以前のものだった。

〈幼少時より妹の文音を頻繁に虐待。小学校時代では特に多く、休み時間に体育館で遊んでいた文音が気に食わないと襲いかかり、腕と背中、顔に打撲を負わせたことがあった。また、下校中、自分の取り巻きが見ている前で文音に暴力を振るった後、泥の中に突き飛ばしたり、当時姉妹で所属していた合唱部の練習中にも手を上げるなど――〉

 素早く目を通して確認すると、予想していたとはいえ、顔が怒りで熱くなった。

 両親も一応は安珠を叱るが効果はなく、むしろ安珠の虐待を苛烈にさせたという。時には非がないふみも一緒に叱られ、両親から躾としてベルトで叩かれたり、大雨の中に放り出されたり、鼻血が出るまで顔を打たれたりしたそうだ。ふみは徐々に笑わなくなり、クラスメイトとの関係も希薄になっていった。この頃から休み時間の過ごし方も変わり、図書館に行くか、教室で本を読むなど、一人で過ごすようになった。

 拳を握り締めて奥歯を食いしばった。

 目を閉じたら、帰り際に私を呼び止めたふみの潤んだ眼差しが浮かんだ。

『本当に。本当に私を軽蔑しませんか? あなたは、私の手を取ってくれますか?』

 ひどいことをされたのだろうと、何となく予想はしていた。

 でも、この真実はふみの口から直接聞きたかったことだった。

 ごめんなさい、ふみ。

 君を守りたくて調べた真実は、君が隠したかった痛みだったんだね。軽蔑されたくない、裏切られたくないと、君が必死になって隠していたのに。

 ふみの姉や両親に対する怒りと、行き場のない、よく分からない強烈な悔しさが腹の底から沸き上がってきた。ふみと触れ合っていたときとは違う熱さ。喜びや嬉しさなんて一つも存在しない。破壊し、何もかも焼き尽くし、灰燼とする猛き炎だった。

 席から勢いよく立ち上がり、隣で資料を眺めていた紅羽に抱きついた。紅羽のブラウスを強く握りしめて、顔を思い切り押し当てる。溢れ出る憤りの炎を、自分で鎮めることができなかった。

「輝羽……」

 悲しげに呼んで、紅羽がそっと抱き返してくれた。私の怒りを理解したのか、あやすようにゆっくりと左右に身体を揺らして、頭が撫でられる。怒りで燃える私を、姉が優しく、優しく鎮めてくれていた。

「あやめ、グループの専門機関へ根回しを。いざとなれば私たちが保護すると伝えて。……ふみさんのご両親はもう、頼りにならないわ」

「ああ……。連絡してくるよ」

 紅羽の指示を聞いて、あやめの足音が遠ざかっていく。

 静かになった食堂。沈黙して私をあやし続ける紅羽に、そっと声をかけた。

「私の姉は自慢の姉。世界一のお姉ちゃん」

「あら。嬉しい」

「でも、ふみの姉は違う。同じ姉でもこんなに違うなんて、悲しすぎるよ」

 ふみの姉も、両親も、ふみを導くためにしたことが虐待だった。結果、ふみは自分を傷つける家族を恐れて信頼しなくなった。更に、暴力を振るわれる自分を助けてくれなかった周囲の人間も、信じることができなくなってしまった。

「ふみさんに、優しい家族を教えてあげられたらいいのに……」

 触れ合う私と姉の温もり。互いの苦しみを理解し、共有し、解決するためにできる手段を考えていくこと。友情や恋愛とは違う信頼や絆の形が、私と紅羽の間には確かに存在していた。

 それは家族としての愛。きっと、ふみの知らないもの。

 私もふみに教えてあげたい。

 家族という存在が、とても素晴らしいものなのだと。

 私と紅羽、そしてあやめ。私たち三人が持つ、固く結ばれた絆の形を。

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