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ミラクルストーンⅡ  作者: 北石 計時朗
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最後の希望

 1 最後の希望


 今年の冬は特に寒い、世界的な異常気象なのか?氷点下の世界がいきなり訪れた。真冬でも比較的温暖な気候のこの街に、だから12月になったばかりだというのにもう雪が降っている。それも猛吹雪、それはもうブリザードと呼んでもいい天候だ。    

 外?は今そんな状況だ。

「お兄ちゃん、大丈夫かな?」

 窓の代わりの透明なアクリル板、そこから外を見つめて少女が呟く、

 その建物には壁がない、吹きすさぶ突風に激しく揺れるのは防水用のブルーシート、外との仕切りはそれ1枚だけ、だから中も外と気温はあまり変わらない、ただ雪が入ってこないだけだ。

 毛布を被りその寒さを堪える少女、そしてブルーシートの切り込みにガムテープで張り付けられた透明の板の外をただ眺める。

 ブルーシート、そして工事現場の足場に使う鉄パイプで作られた粗末な小屋、中はたいして広くない、床には品物を運搬するためのパレットが敷かれていてかろうじて床上を作っている。その上には防水布、そこに布団を敷いて寝転ぶ姿がある。

 周囲に酒瓶が散乱する。そのどれもがウォッカとかジン、アルコール濃度の高い酒だ。

 寝ているのは少女の父親、起きている時は酒を飲み喚き散らす。時には少女に暴力を振るうこともある。でも寝ている時は無害になる。

 もう酒を飲む事以外はしなくなり、その体はやせ細り、髪と鬚が伸びてそれはまるで殉教した救世主のような風貌だ。

 しかしこの男はそんな高潔な存在ではない、家族を、いや自分たちだけじゃない、この男の会社で働いていた社員やその家族をも不幸に陥れた存在なのだ。

 なぜか私欲に走ったこの男が、会社の金を流用して富を得ようとした。そうして失敗したのだ。

 全てを失った。

 あの住んでいた豪邸も、何台もの高級外車も、豪華なディナーも、綺麗な洋服も、学校と友達も、好きだった本も、あの1番大切にしていたぬいぐるみまで奪われしまった。

 そのせいで絶望した母親は自ら命を絶ったのだ。

 そして全ての人の信用を失ったのだ。

 こうして残された家族は流れ流され今はホームレスとなり、そんな生活がもう1年になる。

 この1家の収入は兄の稼いでくる僅かな金、しかし定住先がないせいでまともな仕事に就けない兄、だから仕方なく働くのは臨時雇いの工事現場、しかし、そこで汗水垂らして得られるのは普通の半分の金、労働力が不足してない不況の時代で賃金が安くても我慢しなければ働けない、しかしそんな思いで稼いだ金もその大半はこの男の酒代に消えている。

 凍えながら外を見つめる少女、突然めまいが彼女を襲う、歯をくいしばってそれに耐える。

 いつもの発作、症状の原因は極度の貧血、少女の持病がそれをもたらす。

 白血病、それもかなり性質が悪い種類の、だから病院に入院して適切な治療を受けても生存確率は五割を切る。しかし健康保険も何もない、それに何より金がない、だから進行する病に抗う事は出来ない、

 徐々に発作が起こる割合が増加していく、常に体のどこかが出血している。悪性に変化した血液が増え続け健康な血液が体から無くなってゆく、

 だからもうすぐ死ぬ、

 でも少女はそれでもいいと考える。

 こんな世界で生きていたってもう夢も希望も持てないのだ。

 少女が見つめるプラスチックの板の外は地獄の世界、それを白い雪が覆い隠そうとする。

 少女は待つ、地獄の中のたった1つの希望、そう思える存在が帰ってくるのを、

 朦朧とする意識、もう何も見えない、そうして我慢できず横たわる少女は風の音だけを聞く、それは世界の嘆き声、そんなふうに耳に響く、

 (もう全てが終わりを求めているんだわ)

 そう心で感じて少女は微笑む、

「なら辛いのは私だけじゃないんだから……でも……」

 そう呟く微かな声を風の音がかき消けしてしまう、

 そして少女の微かな声は世界の嘆きの1つになる。



 しばらくして少女が目を開いた時、小屋の中に光が燈る。

 ガスボンベで灯されたランタンの光の中で布団に寝かされた少女を心配そうな顔が見つめる。

「おかえりなさい、お兄ちゃん」

 起き上がりそう言って微笑みを浮かべる。

「また気を失ったのか?俺が帰ってくるのが少し遅かったら凍死していたぞ」

 そう言って少女を見つめる少年は懐から何か取り出す。

 取り出した袋の中には今川焼、こんがり焼かれた円形の生地の中にあんこが詰まる。

「美味しそう」

 少女の微笑みが大きくなる。大好物なのだ。

「まだ温かいんだ。走って帰ってきたからな、おいしいぞ、さあ食べてくれ」

 そう言って少女に手渡されるそれは何よりも温かく感じる。少年の体温で温められていたのだ。

「寒くなかった?」

 それを頬ばりながら少女が尋ねる。

「寒いなんて…そんな感覚はもう忘れているんだ。だから寒くなかったよ、雪が、あの突風が走るのに少し障害になっただけだ」

 そう言う兄は微笑んで、そして飲み物を少女に差し出す。

「オレンジジュースだ。好きなんだろ」

 受け取るその缶入り飲料、なぜかその缶は異常に冷たい、

 プルタブを起こしたそこにはシャーベットのように凍りつくオレンジの個体が…

「ありがとう」

 しかし笑顔でそう告げて少女は缶を口に運ぶ、

 飲めるはずがない、しかしなぜか美味しそうに飲むふりをする。

 満足そうにその様子を見つめる少年、その時、

「希一郎、酒は!酒は買ってきたのか?」

 そう問いかける男が濁った眼で兄妹を見つめる。

「ああ、買ってきた。今日はテキーラだ。こいつが1番強烈に利いてくれると工事現場のメキシコ人からそう聞いたんだ。だからきっと親父も満足できるはず」

 そう言って差し出す酒瓶、そのサボテンの絵と横文字のラベルを見て父親は笑いを浮かべる。

「こいつは利きそうだ。そうすれば全てを忘れられる。今度こそ、そうすれば俺は立ち直れるんだ」

 ひったくるように酒瓶を掴む父、そして封を解いて一気にラッパ飲みをする。

 強烈なアルコール、その刺激は中枢神経を瞬時に麻痺させる。

 目を向いて、それでも放さない酒瓶、

 アルコール中毒、しかし慢性になればその症状は緩和されてしまう、

 やがて正気を取り戻した父は喜悦の表情を浮かべる。

「こいつはいい、これなら忘れられるんだ。あの地獄を…」

 そう言ってまた一気に酒を口に運ぶ、アルコール度数70%以上の酒を、

 しかし麻痺した神経はもう覚醒している事を拒む、

 突然父は前後不覚に陥り寝息を立て始める。

 しかしその手にはしっかりと酒便が握られている。

「忘れられるだと…全てを、地獄を、そんな馬鹿ことはありえないんだ。そう生きている限りこの地獄は永遠に続くんだ。それに逃げているだけだ。あんたはいつも目を背けて、そして見ようとしないんだ。あんたが作り出したこの地獄を!」

 思わず現実に憤る希一郎、そんな父を睨みつけ拳を握る。

 やがて溜息を洩らすと目を逸らし、そして手の平を開いて妹に見せる。その手の平には虹のように煌く石がある。

「!?…綺麗……」

 それを目にした少女は驚いて、そして思わず感想を呟く、

「拾ったんだ。たぶん道端で、これが値打物だと思い売りに行ったけど相手にされない、だから多分ただのガラス玉なんだ。でも奇麗だろ?見ているだけで何か感じられるんだ。希望の虹、そんな感覚だ。だからお前にあげようと思って、これってお守りになるんじゃないかな?そう感じるんだ…」

 しかしその石の、その煌きを見つめて少女は目を伏せ首を振り、

「お兄ちゃん、私の運命はもう決まってしまったの、いまさらお守りなんか必要ないの、だからそれを持つ者はあなたがふさわしいの、そう感じる。私の事を思うのならあなたが願いを求めるの、私はこの世界の嘆きの1つ、もう誰にも救えない存在なの」

 茫然とした表情で妹を見つめる希一郎、手の平の石を再び握りしめる。

「なぜだ?なぜ救えない、美希子、お前が俺の最後の希望、それなのに…」

 そんな兄を見つめる顔は微笑んで、そして、

「大丈夫よお兄ちゃんまだ時間はあるわ。だからそんな臨終の席みたいな表情はしないで、でも…私は楽しみたい、生まれてきたこの世界を、それが地獄だなんて納得できないんだもの、この世界が、私が生まれてきたこの世界、それはいつも希望に満ち溢れていると信じたいから…」

 無言で妹を見つめる希一郎、その笑顔の眩しさに思わず眼を背けたくなる。

「どうして?なぜ?どうしてお前は笑えるんだ?」

 投げかける疑問、こんな地獄のような世界の中にいて、その世界に苦しめられ、そしてもうすぐ死んでしまう存在がこんな世界に何を求めて微笑むのだ。

「意味があった。かな?死んでいく者達はそれを求めてそれを残すの、だから笑えるのよ希望を託すことが出来ると信じたから、だから私は生きていた意味が知りたいの、自分のため、誰かのため、そうねそれは私が望む一人の為、それを確信したいの、ただ無意味に生きてきたんじゃない、そんな真実が知りたいの…」

 そう言って微笑む妹、しかし突然その笑顔が苦痛に歪む、

「どうした?大丈夫か!」

 希一郎は思わず叫んで妹の肩を支える。

「目が霞む、あの黒い霧が降りて来て…」

 そう告げて美希子は意識を失う、

 希一郎は支えるように妹を抱きしめる。

 外は吹きすさぶ猛吹雪、告げられた妹の最後の希望、それは叶えられるのだろうか?

 寒さを寒いと感じない少年、それは自ら忘れた苦しみの感覚、だから身体的には何も感じない、でも寒さはそこにある。体が忘れようとも心が感じる。それが現実だ。

 凍りつく白い息、妹を布団に寝かせ小屋の端に歩み寄る。

 16リッター入りのオイル缶、その中に傍に置かれた木屑をくべる。

 そして父親の手からもぎ取った酒瓶、それを投げ込みライターで紙切れを燃やして火を付ける。

 これで寒い夜に少しでも抗える。

 見つめる炎、燃えるアルコールに揺らめく赤い炎、そこに幻影が現れる。

 それは照らし出す。運命を、それは炎に焼かれる多くの人々の姿、逃げ惑いそして力尽きる姿を、

 それを見て驚愕して思わず後ずさる。

 見つめる炎の幻影には黄昏の終焉が、それが降りかかるのはこの世界の…未来なのか?…

 生き残ろうとする者達を阻む、暗い赤色の空、その色に世界は染められる。

 そして最後に世界は暗黒に染められる。もう何もない暗黒の世界に…

 見つめているのは世界の終焉、その小さな赤い炎の中にそれが見える。

「何だ?これは一体なんだ?」

 疑問を放つその言葉、しかし今は答える者は誰もいない、

 やがて炎の中の幻影は消えていき、その火はブルーシートの隙間から入り込む隙間風に揺らめくだけとなる。

「幻覚?そんな物を見るなんて…俺は疲れているのか?」

 そうつぶやいて、今起きた事の理由にする。

 破壊を、世界の終焉を望む思いが希一郎にあれを見せたのか?

 垣間見た地獄の光景、それはこの世とは比べられない悲惨で悲痛な光景、そこに希望なんて微塵もない、それは真の絶望の光景、

 思わず身震いする希一郎、それは寒さのせいではない、恐怖の為でも、喜悦と興奮、なぜかその為だけに震えている。

「今見えた世界、あれが幻覚なんかじゃなく現実ならよかったのに…」

 垣間見えた望んだ世界、この世を地獄と感じる彼はもう自分だけの地獄では満足できない、その全ての者に地獄を、そんな願望が希望になる。

 でも、今はまだ1人だけ、そんな世界には居てはいけない者がいる。

 血の気の少ない青白い顔で眠る妹の寝顔を希一郎は黙って見つめる。

 その安らぎのない苦しい寝顔を見て、そして忘れていた感情を思い出す。

 悲しみ、そう、この地獄に落ちて、そして最初に忘れたと思った感情を、だがそれを感じても、もう涙は流さない、自分の為に泣く事を妹は嫌うのだ。

「泣かないで、不憫に思わないで、だから同情しないで、誰にそんな感情を抱かれてもどうしようもないの、もうどうする事も出来ない、私を見て助けたいと思う感情は助けられる者の事を考えていないの、助けたいと思う自分の為に浮かぶ感情なの、だから助けられない者を助けたいと願ってもそのどちらも最後には傷つくの、だからお兄ちゃんは最後の日まで普通でいてくれたらいいの、お願いだから私の為に泣いたりなんてしないでね」

 微笑みながらそう告げる美希子の顔、しかしその心にも秘めた願いはあったのだ。

「美希子、おまえの願い、それを叶えてやる。必ず。こんな地獄にも楽しい事があった。そして生まれてきてよかったと、そう思える気持ち、それを俺がプレゼントしてやる。もうすぐクリスマス、その日までに…」

 そうつぶやく希一郎、そして毛布を被って蹲る。

 横になって眠る事は出来ない、ここは地獄、いつ襲いかかる者がいるかわからない世界、安心なんてものは何所にもない、それに今は守るべき存在がいるのだ。なおさらだ。

 浅い眠り、瞬時に覚醒して事態に対処出来るよう自然に身についた睡眠法、それが希一郎にようやく訪れる。

 やがて風の音は次第に止み静寂が訪れる。吹雪は去った。

 ただ静かに雪が降り積もる。

 地獄の世界、それを認めぬ神が全てを消してしまおうとするように、ただ白く世界は染まっていく。



 突然、異変を感じて覚醒する。

 小屋の中に入ってこようとする者がいる。

「誰だ!」

 辺りは薄暗がり、まだ夜明け前の時間、でも時間は午前6時頃、今は冬なのだ。

 その誰何の声に答える者は、

「あたし、リリーよ、キイは寒いの大丈夫?ミキも生きてる?パパさんは?」

 そう質問してくるのは同じようにこの小屋の隣で暮らす大陸系の不法滞在者の外国人、その家族の娘、漢字で書いて李璃、リリーと呼ばれる15歳の少女、

「俺が寒さなんて気にしないのは知っているだろ、それに美希子も無事だ。息をしている。親父はどうでもいいんだ。でも死んでいない、しぶといな…」

 そう言う希一郎の顔を見つめて、

「駄目なの!家族は大事、パパもママも、酒飲みだっても、会えないの死んだらもう、死ぬを言葉しちゃ駄目だから、呪いになるよ、家族は世界、家族と家族で世界、家族は世界の1番小さい世界、失くしたら小さい世界、小さくなるもっと、だから駄目」

 めちゃくちゃな日本語で話す。そんな説教顔のリリーを睨み目で見つめて希一郎は、

「そうかな?家族、それは大事なのか?こんな所にいる原因を作った男をそう呼べと言うのか?俺にはこいつが悪鬼にしか見えない、こいつが親というだけで俺は自由になれないんだ。親権を握られているんだ。未成年者の俺には自由はないんだ」

 しかしリリーは微笑むと、

「放したくないの、絆、あなた生まれた。パパがいたから、パパ望んだあなた、絆あるの、切れないの、無理に切ると血が出るの、苦しみの絆、呪いになるの、いけないのだから、そんな風に思うのは、違う間違い、おかしいの」

 そう言って微笑むリリーの顔を見つめて希一郎は美希子を指さし、

「なら、その絆が無くなるんだ。もうすぐに必ず。美希子は死ぬんだ。家族が失われるんだ。それをどうすることもできない、それも呪いなのか?家族の死を見た者は必ず呪われるんなら、この世は呪いの世界になる。違うか?」

 希一郎の目を真剣に見つめて少女は答える。

「違う間違い、ミキは死ぬの、でも誰も願ってない、あんたも、違う?死んでいいなんて思わない、だから、呪いじゃない、悲しみでもない…運命、なの、それは絆を太くする。役割がある。そう思う」

 しかしリリーが言う事の理解をしない、いや、理解出来ない希一郎は面倒くさくなり、

「もういい、こいつを、親父を死ね、なんてもう思わない、それでいいんだろ?ところでおまえ何しに来たんだ。得意の空き缶集めの日は明日だぞ」

 そう問いかける希一郎を見て思い出し顔のリリーは、

「あいやっ!やばいの、来るの、撤去、強制撤去、壊されて持っていかれるの、此処住むは駄目、そう言うお役所、いっぱいで来る。今日に、逃げないと失うの、全部、また1から、大変なの」

 その言葉を聞いて希一郎の目が細くなる

「強制執行だと!奴らよりによってこんな日に…俺たちを苦しめる。それが目的か!…」

 降り積もる雪の中、でもそんな事を意も解さない連中がトラックでここに乗りつけてくる。

 近隣住民の苦情、その大義名分を旗印に、あの役所が始まる午前9時、その時間に、

「急ぐ、公園、そこに行く、そこの強制執行半年前、だからまた半年いられるの、みんなもう行った。残っているの、あんただけ、言いに来たの、雪で見えないの、立札も、他の小屋ないのも、知らないはいけない、お父さん、そう言ったの」

 希一郎は両手を握り締め立ち上がる。

「地獄の世界の鬼達!落ちる者に容赦しない連中め、くそっ!負けるか!負けてやるもんか、お前らが作り出す地獄に抗ってやる。そして真の地獄に落ちるのはお前らだと教えてやる!」

 そう叫ぶと座ったまま眠る父親を揺さぶって起こす。

「起きろ!親父、場所替えだ。強制執行だ。もうすぐあいつらが来るんだ。またみんな持っていかれるぞ、そうなればまたあの商店街のアーケード下の道端で段ボールで寝る羽目になる。夏ならいいが今は冬だ。凍え死ぬぞ、いいのか?」

 起こされた父親は濁った眼で希一郎を見つめて、

「なら頼む、俺は動けない…」

 そう告げてまた眼を閉じ横になる。

「家族を守れない、守る気がない、それが父親だと?ふざけるな!」

 憤る希一郎、しかしそんな父親に構っている暇はもうない、

「雪のせいでリヤカーは使えない、だからテントをばらしても公園まで運べない、どうすればいいんだ!」

 頭を抱える希一郎にリリーが知恵を授ける。

「ソリになる、パレットの下にパイプを付けて雪滑らす。運搬容易よ、それで運ぶ、運べない物みな雪に埋める。目につかない、安全、小屋無いのに撤去ない、やつら帰るの役所、上役に完了と報告、それで終わる。だから頑張る」

 それを聞いた希一郎、だが感謝する暇もなく箱から工具を探り、そして手にしたレンチで小屋の骨組のパイプをばらし始める。

「手伝うの」

 それを見てリリーがブルーシートをパイプに結んだ紐を解き始める。

進む作業、やがて小屋の中と外との区別が無くなる。

 そこは白い世界、地獄には見えない白銀の世界、それは目に痛いほどの何色にも染められぬ世界、

 その世界にいて、そうして逃れるために蠢く自分、その存在の汚い色が唯一の世界の汚点、なぜかそう感じられる。

「くそっ!これは目暗ましだ!騙されるな」

 見つめる白い世界、そこで蠢く者は自分だけじゃない、そうだ!奴らもこの雪できっと苦しめられているんだ。これはこの地獄にもたらされた苦しみの1つ、そうだ!破滅、そこまでは行かなくとも、皆を苦しめる力はあるんだ。でも…それをもたらしたのは自分じゃない、この事態を望んだ者は誰もいないんだ。神?そんな存在、もしそれがいたら多分公平に苦しみを与える。それは事象の変化、運命の輪の中でのみ、例外のないそんな苦しみを、神は選択されるのか?苦しむ者を、でもそれは公平だとは言えない、だからそうじゃない、この世を支配するのは神ではなく魔王だ。その配下の悪魔が苦しみを演出し、そして悪魔に憑かれた悪鬼がそれを作り出す。

 そんな物想いにふけり作業の手が止まる。

「お兄ちゃん、白い雪が綺麗ね」

 そう言う声に我に返る。

 美希子が蒲団から起き上がり辺りを眺める。

「ミキ、起きたの、強制執行、だから公園に移動するの、今ないか?寒いの?カイロあるの、使い捨て、ママがくれたの」

 リリーがポケットから使い捨てカイロの袋を多数取り出して美希子に差し出す。

「ありがとう、もらうわ」

 そう言って美希子は1つだけそれを手にして封を解いて手で揉み始める。

「温かくなってきた」

 そして微笑んで美希子は兄とリリーを見つめる。

 それを見つめる希一郎は目を逸らすとパレットに結ばれたロープを握る。

「行くぞ」

 そう告げてそれを引く、

 雪の上を妹と、そして意識のない父親が蒲団に横たわる木の枠がゆっくりと動き出す。

 白く染まる冬の朝、だが姿を見せたくないと願うのか太陽は、だから赤く染まることのない東の空、厚い雲の向こうにしかない夜明け、見えない、だから今は希望を抱けないその輝きに、

 止んでいた雪がまた落ちてくる。

 白い破片、それは絶望に凍りついてしまった世界の涙か…



「これで大半は運んだ」

 そう言った希一郎の顔は寒空に汗が流れる。

「小屋はまだ出来ないのか?」

 そう言う父親は寒さに震え布団を被る。

「全部運びきれていない、戻ったら奴らがいたからな、写真を撮ってやがった。記念?俺を苦しめた記念撮影だ。残りは雪の中、残りのパイプとそれを組むボルトもその中だ。今日は小屋が組めない、だからあんたの今夜の寝床はこの中だ。公衆便所、でも安心しろ、掃除はしてある。だから匂いも気にならないはず、でも気にしないか、あんたは…」

 布団が敷かれているのは公園の公衆トイレの男子用、寒いが雪は入ってこない、

「ふざけた場所だ。父親を寝かす場所がこれか?お前俺を殺す気か!」

 叫ぶ父親に差し出す。一升瓶を3本も

「焼酎だ。これがあれば場所なんて関係ない、そうだろ?」

 それを見て、そして微笑む父親は、

「そうだ。わかっているじゃないか、それこそ我が息子、さすが全国模試トップ、とにかく、頭がいいんだ。お前は昔から、だから、俺が全てを忘れられたら、そうしたら、1流の大学に入れてやる。将来は総理大臣だ。俺がお前の未来を作ってやる。望めば叶う世界を、だから俺を大事にしろ」

 そういう父親は一升瓶をラッパ飲みし始める。

「摘みはこれだ。少しは食え」

 袋に入った缶詰を置いてから希一郎はそこを後にする。

 缶を開ける音、それが後ろから聞こえる。

 そして向かう先、そこには雪の中に粗末な小屋が立ち並ぶ、

 その1つの円形に作られたその小屋、その入口代わりの天幕の切れ目を持ち上げる。

 明かりが灯されたその中は意外に広い、そこに5名の男女がいる。

 そこに声をかける。

「李さん、妹をお願いします。今日は稼ぎがない、食べるものを買う金で酒を買ってしまった。だから稼ぎに今から行きます。あの夜勤の地下鉄工事現場、その現場監督が前の現場の人で、だから使ってくれるはず。俺は人の2倍は働きますから、だから認めてくれたんです。名刺ももらいました。だから行ってきます」

 そう言って去ろうとする希一郎にリリーが慌てて声をかける。

「あいやーあんた今日は5キロの道、雪の中引きずって歩いた。往複何度も、家族と家を、疲れている。いないおかしいの、仕事?それやめて、ここで寝る。いいのそれ、食べ物あるの、笑いもあるの、ミキも楽しいの、行くは間違い、中はいる。いいか?」

 しかしそう言われても希一郎は首を振り、

「明日の食べ物、その明日も、それを買う金は俺が稼がなければいけない、俺たちの面倒をあんた達がずっと見られない、そう言う事情はお互い様だ。だから甘えられないんだ。他人に、家族じゃない、だから親切はいらない、これ以上親切にされるとお互いが不幸になるんだ」

「なら、なるの家族、リリーは希一郎が好きなの、結婚する。なる家族、親切当たり前に、とてもいいの、結婚いますぐ、行かなくていい仕事、みんなで笑えるの」

 それを聞いて、そして、しかめ面をすると希一郎は、

「またそれか…おまえまだ15だろ、この国では女は16歳からしか結婚できないし男は18歳、俺はまだ17だし…それに俺は誰に好きだと言われてもそんな言葉が信用できない、俺は誰も好きになれないからな、酷い心だ。だから好きをと言って言いよってくる奴はみんな完全武装の殺し屋に見えるんだ。だからおまえに好きだと言われる度におまえが逆に恐ろしくなっていくんだ。だからもうそう言うな」

「恐れるないの、愛ある。愛あれば幸せあるの笑えるの、愛しあう、2人、2人の家族も愛し合う、大きくなる愛、広がる愛、それで、世界は家族、そして、その愛あれば救われるの」

「その愛って何だ?誰もそれをはっきり言えないその中身、それは適当に誤魔化す時の言葉じゃないか!もしそんな物があったとしても日がたてば曖昧に戻るんだ。そんないいかげんなもの、それをこんな地獄の世界にいる俺が認められるか?いい加減にしろ!」

 憤る希一郎、信じられない言葉を投げつけられてリリーを睨む、

「もういい、李璃、彼を行かせなさい」

 その時、李さんと呼ばれた鬚顔の中年男、その男は今まで目を閉じて希一郎とリリーの会話を聞いていたが、しかし突然目を開いてそう言う、

 その言葉にリリーは顔を伏せ何も言えなくなる。

「行きなさい、仕事に、娘が我まま言って申し訳ない、だから美希子君の事は安心して我々に任せてくれ、済まなかった…」

 それだけ言って李さんは再び目を閉じる。

 希一郎は思わず男を見つめる。でもこの男は必要以外では決して口を開かない、だから問いかけても答えない、そんな男だ。

 無言で天幕を出て行こうとする希一郎、しかし振り返ると、

「ありがとう」

 そう告げて外に出て行く、

 それを無言で見つめるリリー、やがて視線を父親に向ける。

「ありがとう、彼はまだそう感謝できるのだ。希望はある。まだ飲み込まれていないのだ。自分が創り出す地獄に、彼がそれに耐えられれば…」

 それに答える見開いた目、彼の視線の先には横たわる美希子の姿が、

「愛はある。その事実はここにある。彼は認識していないだけだ。でもすぐに失われる。それを、それに代われるか?李璃、彼の希望になれるのか?」

 無言のリリー、やがて首を振ると、

「なれない無理、絆が細いの、李璃、キイーを助けたい、でもキイー李璃を助けない、だから仕事行った。大事はミキ、何よりも、それ失う、絶望、大きすぎて希望は無理駄目、なれない、だからどうすればいいか?」

 問いかけるリリー、しかし目を閉じた父親はもう返答はしない、

「尽くすのよ、彼に、そうすれば生まれるわ、きっかけが、彼があなたを想う気持ちの、家族でない人の、そのかけがえのない者になるのは難しいわ、その人にそう想わせるには力がいる。だから絆を太くしたいのなら失わせる苦しみを与えてはいけない、あなたがミキを救う、その心を、そうすれば必ずあなたは認められるわ、彼の心に」

 そう言って微笑むのはリリーの母親、そして着ている服のポケットから何かを取り出す。

 それは輪の形の髪飾り、黒い竜の縁取り、その真ん中には陽光に煌く石が埋め込まれている。

「これは祖国の伝説の秘宝、希望の髪飾り、この陽光の石は求める希望を叶えると言われているわ、これをあなたに…その力になる。そう願うから」

 それを受け取る娘の、その手を父は目を開いて見て、そしてまた閉じて涙を流す。

 今、この場所で母から娘に継承されたそれは彼ら家族が祖国にいられなくなった理由『奇跡の石』その種類の中でレアストーン、そう呼ばれるランク外の分類の石達の最高位、その力は突出している。光の強さが、それが吸収力をもたらす、渇きを与える力に、それを手にすれば望めば世界の全ての富を得る事が出来るかも知れないのだ。

 石の秘密を知りそう考えた。だから石を持つ妻の力で祖国の全ての富を得ようとした。この石の力を得るように妻を意図的に絶望させたのだ。美しかった妻は自分がもたらした。その知っていた絶望に差し出したのだ。富を得る度に家族を失うことを、やがて失われていく家族、一族に生まれる子供、その全てが死んでいく、自分の母も父も、妻の両親も、弟も妹も姉も兄も…そして得られた巨万の富、しかし祖国はその所有を認めない、日上がった者達が更に強い力を欲したのだ。それを拒む彼に強力すぎる武力が襲いかかる。それに富の力で抵抗する。その力で買われた兵器、雇われた兵士、そして戦い、そして敗れる。

 金が尽きたのだ。戦うための新たな資金を求めた時、ようやく気づく、妻に残された家族、それは1人の娘と年老いた。いや、生きている事が奇跡のような妻の祖父の祖父の祖父の祖父の…そして自分しかいないこと、もし世界の全ての富を得られても分かち合う者がいないのだ。そして世界はそれを許さないのだ。無意味なんだ。そんな願いは…得られても失う、全てを、そう感じた時、彼は残る金の全てを使い友好国の工作船でこの国にいた。幼い娘、まだ乳飲み子、そして妻と仙人のように何も言わず何も食べず何も飲まない、だからいつも寝ている老人と共に、それから彼は求めない、金を、そんな物がなくても生きていける。そう信じたいと思うから、妻もそれに賛同して、そしてこの国で金のない生活が始まる。しかし娘は、最後に生まれたこの娘はそれを求めたのだ。それは自分の為には使われない、食べたい物を買うんじゃない、綺麗な服も欲しがらない、人のため、自分たちのように、追われて負われて終われて生きる者達の為に、それを欲するのだ。

「失うもの、その選択を誤るな」

 父は魅入られたように髪飾りを見つめる娘に告げるが、

 しかしその言葉に答える返事はない、

「これは肉親にのみ継承できる奇跡、あなたは私のように間違わないで」

 そう告げる母の言葉も聞こえない、

 その時、いつも、いや、初めて見た時からずっと寝ていた老人が突然身を起こす。

 驚愕する夫婦、生きている。そう呼べない存在が突然身を起こしたのだ。

 開かれた目、しかしそれは両目とも普通の眼球ではない、

 砕けた宝石のような流砂に刻一刻と流れる煌き、水面を映る景色のように移り変わる風景の煌き、その2つが辺りを見廻し、そして呟く、

「刻限が近い、それが全てを看ろと求めたか…」

 そして笑い出す。

「はっはっはっはっ」

「李源!なぜ目覚めた!」

 叫ぶ李徳、それに答えるのは微かな微笑み、そして両手で指さす2人の少女を、しかし首を振って、

「目覚めたじゃない、ずっと見ていたのじゃ、お前達の事も世界の事も、求める世界が訪れるまで何も出来ない、でも存在する。そう言った状態になっていただけじゃ、意識を世界の全てに同化させて、ようやく我が願いは叶えられる時がきたのじゃ、しかしまだここには足りない、鍵は3つ、それが揃えば未来はある。どれが欠けてもいけない、特にメインキーこれが世界を開いてしまう、それを残る2つの鍵を使えば閉じられるのじゃ、ハハハッ、地獄の女王め、わしに見せるか?何も無き世界からの放浪者め、あそこで形を得た唯一の存在め、無を望む者が有を見てどうさせる気だ?わしが望んだ自分の存在の全ての無を、2つの石に同時に望みしその代償の、無がない世界が起きた時に完全に消滅する。その時が訪れたのか?なら有とすればいい、世界の全てを、ならば真のわしの願いは叶えられるのじゃ、なら見てやろう、あの女が創り出すシナリオをドラマを、無に還った父親から真紅の石の力を得たのなら出来るじゃろう、運命に抗うのではなく、創り出す事が、楽しみじゃ、しかし魔王がいるのじゃ、抵抗する力を握っているぞ、それは意志じゃ、絶望的な理不尽な結末、それを呪い、破滅を求める心を集める1つの石を、それを自ら作り出しだのじゃ、人間の手で、それはこの世界の抵抗の意志、暗黒にも勝る憎悪の意思、それが全て揃えば世界の破滅が訪れるのじや、争うのだ。それに抗うのだ。この世界が、それも永遠に、勝利する者がない争いが起きるのじゃ、そこは真の地獄と呼ぶべき世界になるのじゃ」

 そう言う老人の顔がその体格が変化していく、そして子供の姿に変わる。

「見るべき事は公平、この姿はそれにふさわしい」

 子供はそう言うと唖然とする夫婦を見つめ、

「天使に会ってくる。海の石じゃ、お前らは月の石の行くえに惑え、そこのメインキー、それは使用されることが約束されたのじゃ。だから虹色の扉を開く、それを閉じるのには2つの鍵が必要なのじゃ、これは無の世界に生まれた大いなる意志が望んだこと、そして運命、そいつがその流れる先を作り出した。光の女王、かってそう呼ばれた地獄の女王によって翻弄されろ、抗ってみろ、希望の先に絶望があると知るなら何もできないか?それとも絶望の先に希望があると今でも信じるか?全てを見て、そしてどちらが先か教えてやろうか?」

 小学校高学年、12歳ぐらいの姿に変貌した老人はあどけなさとは無縁の笑顔で、そして移ろうように煌く両の眼で絶望の先の結末に翻弄された夫妻を見つめる。

「教えてもらわなくとも希望は常にある!」

 叫ぶ李徳は娘を指さす。

 それに目を細めて李源は、

「はははっ、絶望を知らない男、ただ妻に絶望させその力を利用しただけの存在が大口を叩くな、ならば絶望を知れ!これを掴め、そんな負け犬に相応しい代物じゃ」

 そう告げると口から何か吐き出す。

「煌かない、輝かない、しかし力は得られる。濁った石、汚水の石、あらゆる色が溶け込み色をなさない醜い石、それを与える。あの地獄の女王からの贈り物じゃと思え、マーブルストーン、それは色と呼べない石達の最低位、ならお主にふさわしい」

 投げられた石、受け止めた李徳、そして魅入られたように石を見つめる。

 流れるように多色が揺れるその石を、

「さてと、我が子孫の娘よ、服が合わない、それに金もいるのじゃ、用意しろ」

 そう言われた李陽、李徳の妻は立ちあがり小屋の隅に行き探り始める。

 しばらくして衣類とそして紙包みを李源に差し出す。

「ほーっ、金無し生活の割には随分ため込んでいたな、その力で得たのか?」

 紙包み、その中身にそう告げる李源に李陽は、

「この人の野望の残滓、それをとっておいたの、いましめの為に、もう使われないために…」

 悲しそうにそう言う李陽、しかし服を着替える李源は、

「サングラス、それは無いか?この眼は世界に晒せない」

 しかし李源はそれに答えず。物を求める。

 李陽は首を振り、そして物入れを探ると無言で取り出す眼鏡ケース、それを受取りそして苦笑いを浮かべる李源、

「レイバン?いつの時代の物じや?角型なんて今の時代に合わない、ふざけるな!」

 そう言ってもそれを嵌める。その時、

「超爺ちゃんカッコいいの」

 そういう声にそちらを見る。

 長い髪を髪留めで集めたポニーテルの娘が微笑んでいる。

「そう思うか?ならこれでいい」

 李源はそれを聞いて、もう子孫と呼んでもいい、そんな娘を微笑んで見つめる。

「超爺ちゃん、子供変なの、サングラスも変、でも似合うの、見たくない世界、それを見るのは無理まともじゃ、だから似合うの」

「そのとおりじゃ…ははははっ、ははははっ…」

 微笑みは大きくなり笑いとなり、

 そうして出された服に着替え終わった姿は小学生、そう呼んでもいい幼い姿、そのサングラスだけが異彩を放つ、

「では、行くとするか、でも最後にこの娘に挨拶しておかないとな」

 そう告げる李源は自分の笑い声で目を覚ました少女の傍に歩み寄る。、

「心配ない、動いているのだ。世界は、だが扉は開かれるのじゃ、その鍵はお主じゃが…しかし開いた扉を閉ざす鍵もあるのじゃ、その扉を開かせようとする者、それが呼び込んだ絶望を希望が滅するのじゃ。それはお主のかけがえのない者、そう信じていればいいのじゃ」

 そんな子供の子供らしくない言葉、それに違和感をなぜか覚えない美希子、そして微笑むとリリーを見つめて、

「やっぱりお兄ちゃんの事を考えてくれる人達はいるのね…あなたもその1人、だからそれを手にした。そして希望を掴んだあなたになら託せるの、私の全ての思いを」

 その微笑む先には同じように微笑む娘、その美しい、そう呼べる微笑みに希望がある。

「苦しいじゃろ、石を出しなさい、もう願いは叶えられたのじゃ、お主が望んだように扉は創られたのじゃ、あとはそれが開かれた先の事、それが開かれる鍵になった娘よ、その雨の石を出してみよ」

 突然襲い来る眩暈、それに抗いながら、しかし美希子は水色の石を、それが埋め込まれたブレスレットを腕から外す。

 水色に見える石、しかし実は無色透明、その雨粒のような石は色に染まる。それが落ちてゆく世界の色に、

 落ちる世界を選べない雨の石は今の世界の色に染まる。その雨粒に映し出す世界の色は、、

「水色か…吉兆かな?ならまだ手放せないか…黒くも赤くも白くもない、まだ半分を保っているのじゃ、じゃから最後に泣くのに必要じゃろう、気丈な娘よ、お前が石に願った兄の苦しみの感覚の消失、それは身体的なものだけじゃ、だから心はいまだ地獄の中、よけいに苦しみは増幅されとるのじゃ、その体に何の苦痛も感じなくなり、その替りにその苦しみは心にのみ齎されているのじゃ。お主が支払った代償、泣けない心、怒れない心、でも後悔するなら涙するがいい、この世界に降る雨、その全てはお主が流せなかった涙なんじゃから…」

 李源は気を失う美希子の腕に石を返し、そして、

「涙が、世界の涙、それが帰る場所は海、それに会うのじや、その悲しみの全てを受け止められる存在に、あの晴れ渡る空の下に煌く海に」

 そう告げると、

「太陽の石を持つ娘、誤るな、雨が降る。お主が輝かす力は虹になる。でもそれをもたらす者たちが居る事に、全てを吸い上げ日上がれさせようとしてはいけないのじゃ、干ばつは地獄を生み、やがて赤黒い空が訪れるのじゃ、輝けないお前は黒い影と一つになるのじゃ、そして虚空からの槍が突き刺さる。そんなお前に、それが最後の刻…でも鍵で扉を閉じれば未来があるのじゃ、それは繋がった者が繋げるのじゃ、より長く、そして太く…預言者の見た未来、もう見えない未来、その血よりも赤い石で抗った世界は終延を望まなかっのじゃ、あの無に還るのを拒んで、それは希望、そう呼べる感情が生命の全てにあるのじゃから」

 そう告げて天幕を後にする子供、そのめくりあげた隙間から雪が吹き込む、

 そして出て行こうとして、しかし振り返る。

「真実が知りたければスカイブルーストーンに会えばいい、あの空色の石を持つ者だ。今は捕えられているがな、その空がなくてはお前は輝けんのじゃ、明るい色の最高位、太陽の輝きの色だからじゃ、希願者達、それぞれの持つ石、それは持ち主を選ぶ、暗い色、明るい色、それらは人の心を感じるんじゃ、無から来た。そして生まれた意志達じゃから、しかし空色の傍らには今はダークストーンがいるのじゃ、色無き色の王者、あの全てを消し去る暗闇の石が、無を求める意思、真の暗黒と呼べる色、お主と正逆の存在が、この世界の色を、その全てを染めるのは空、しかし訪れぬ朝を止められるか?日が昇る明日は来るのか?託されたのじゃ、あの地獄の女王にお主は、そんな明日がある希望にされたのじゃ、それでいいのなら一緒に来るがいい、あの海の石に触れればお前も鍵となれるかもしれん…ならば一緒に来るか?太陽の娘よ」

 そう問いかける李源にリリーは、

「行く!行かないは駄目、キイ助ける鍵必要なら、私がなる!それに」

 そう叫んでリリーはいつも防寒衣にしている消防用の耐火服を掴み立ち上がる。

「行くか?ははははっ、女王め、今はこの世に居ないくせに小細工を施しおる。わしを手先に使うというのか考えたな、いいだろう、お主が望む世界が訪れれば、わしが望む世界に行けるのじゃ、正当じゃ、その取引に応じてやるとも」

 耐火服を着込んだ少女は入口に向い、そして振り返る。

 突っ伏して何も言えぬ母、石を手に目を見開いたまま虚空を見つめる父、その家族を、

「来るの行って、でもここには戻れない、予感ある。そんな」

 そう告げた少女の姿は李源と共に雪夜に消える。

 しばらくして母が、

「ただいま、そう言うあなたのその声が聞きたい…」

 李陽はそう呟いて顔を上げる。

 その妻に李徳は告げる。

「俺は今絶望している。もう2度とあの娘に会えぬと感じたのだ。しかしその姿を見たいそして助けてやりたいと願っているのだ。だから今から言葉を失う、それはこの石に捧げるからだ。そして力を得る。娘を見守り家族を得る力を、娘が選んだ者が家族、そうなるように」

 目を閉じる李徳、多くの家族を失った事に絶望する。そうしてもう2度と娘に会えぬ事に絶望する。そして差し出す。代償を、しかし石は輝かない、その替りに粒が、無数の色の粒がのたうち蠢いて李徳の体に纏わりつく、

 奇跡は成された。これで李璃が望む希一郎はもう家族にできる。

「よかった……」

 妻がそう呟いて涙を流す。

 しかし物言えぬ李徳はその言葉に頷くしかない、

 この握る石から伝わってくるのだ。情報が…

 あの希一郎が破滅を望むのは扉になるため、それを開きたい者達がいるからだ。

 その世界にのみ真の力が振るえる存在達が、

 暗い世界に潜む悪魔達、そしてその頂点の魔王、それは運命が演出する破滅のシナリオを牛切りたいだけ、その絶望を力に変えたいのだ。それも他人の、それは許されない背徳の行為、

 この石を介して女王の意志が伝わる。

「世界を救う礎になって!」

 そう叫ぶ少女の声が頭に響き渡る。

 色無き色は、その石達は染まらない、だから定められていない、それは全ての色を散りばめ持つからだ。だからわかる。そんな石達の思いが、その全ての暗い石の明るい石の、その石達は意思を示すのだ。

 それはまるで人間の心のように、

 そうして争っているのだ。石達もまた。

 だから持ち主を求めて石は流離うのだ。

 それはこの世界を染める色を決めるために…

 しかし全ての色を持っていてはそのどちらにも干渉出来ない、

 そんな色の力を引き出せない石、そのブラウン管のカラーテレビの放送休止後の砂の嵐のような石を見つめて、

「……」

 李徳は無言、もう何も言えない、

 今は自分の最後の希望、それに託すしかない、

 この自分が願った存在に…

「世界を照らし出して、雪を、この凍りついた世界を溶かしてくれ」

 もう言葉に出来ない、そんな只の音を口から吐き出す李徳、

 しかしそこには泣き伏したまま眠る妻、ここには粗末な造りのテント、それだけしかない、

 答えない、答えられない、もうその訴えは聞き届けられない、

 李徳は思わずペンを手にする。しかし書けない、その思いを文字に出来ない、

 失ったのは言葉だけじゃなくその意思を伝えたいという全ての行為だったのだ。

 李徳は茫然と手の平の石を見つめて、

 しかし何も言えない、

 そして世界の傍観者がまた1人生まれた。

 その自らの意思を僅かに伝えられるのは妻だけとなり、この世界に関る事が希薄になってしまった。

 開いた目、それは見えるだけで関れない、この世界が変わるのに、

 そう、もう関係なくなったのだ。

 その望んだ奇跡の代償の大きさ、それを李徳は噛みしめる。

 希望を託した者がそれを叶える。その未来を見つめて願う、もはやそれしか出来ない、

 しかし声なき音で李徳は叫ぶ、

「世界を照らし出すのはお前だ。我が娘、光を呼び込め、永遠の夜を創らせてはならない、力となる石達を束ねるのだ。その力は齎されている。望めば得られる。しかし失う物があるが…」

 もう関れなくなった世界の行方を見つめて、そして李徳は石を握り締める。

 新たなシナリオ、それをあの女王は描こうとしている。

 その絶望の世界の後に訪れる希望の世界のシナリオを、

 やがて運命は描きかえられる。

 しかし自分に出来ることはそれを見るだけ、あの娘の行くえを見つめるだけ、

 もう放送休止後の砂の嵐を見つめるしか何も出来ない、

 もう新たなドラマの演出には関れない、

 李徳は開いた右目に手にした石を無理やりねじ込む、

 その石はなぜか眼球と同化する。

 そして見えてくる。この世界の全てが、

 世界で蠢く石達の現状が全て、その砂の嵐のような光景に見えて消えていく、

 全ては蠢いている。光を求める者、闇を求める者、そのどちらも、

 それは虹色の石を巡って争い合うのだ。

 それが自分達の真の支配者になると確信しているから、

 そして、それが最後の希望になると信じるから、

 しかしそれを持つ少年、そんな彼はこの世界を認めない、

 この世界の全ての者はまだ彼の敵なのだ。

 たった1人の存在を除いては…、

 目の前に眠る娘、その美希子を見つめて李徳は心で笑う、

 出来るのか?絶望に抗う事が、そしてそれを望む事が、 

 無数の蠢く石達は渦となりその中心を目指す。

 世界の中心、それをもたらす存在、今はそれがここにある。

 それは約束された輝く虹に抵抗するのか?それとも同調するのか?

 そんな蠢く石達の意志を感じて李徳は心で微笑む、

「失いたくない、その思いは誰も同じなんだな…たとえ悪魔であっても…」

 つぶやきにならないそんな呟きを洩らす。

 未明の夜は更けていく、もう希望と呼べぬ明日に向かい、

 降りしきる雪の音が静寂に聞こえてくる。

 外は凍った涙が降りしきる。

 それはこの娘が流すはずの涙、そうして誰かがそれを凍りつかせる。

 それは虹を輝かせないためか?それとも…

 純白に凍った涙が世界に落ちる。

 あの少年の最後の希望が寝言を洩らす。

「お兄ちゃん、ごめんなさい…」

 それを見つめる李徳は何も言えない、

 もう行動できない、世界を変える意思を持っては、だから何も慰めてやれない、

 しかし左目だけが己の感情を映し出す。

 涙が流せる。その目だけが。







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