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第7話・二年目

 転生して一年が過ぎた。僕は、この人生を受け入れ、徐々にこの時代の暮らしにも慣れてきた。殿様にくっついて神祇祭祀の勉強をし、地道に働いている。

 外出から帰ったら「手洗い、うがい」が当たり前だった僕も、普通に食事の前に手を洗わなくても気にならないようになった。慣れとは恐ろしいものだ。


 この一年間で僕が経験した行事は、十一月の新嘗祭に始まって、十二月に月次祭、大祓、年が明けて歳旦祭と正月行事、二月に祈念祭、五月は端午の節句、六月にはまた月次祭と夏越祓、その他に地鎮祭や陰陽師のような仕事などもした。


 プライベートでは春の桃見や夏の月見もした。

 エアコンのない夏はどうなるかと思っていたが、この時代の夏は二十一世紀より過ごしやすい。奈良は盆地とはいえ緑が多いし、電化製品も車もないからそんなに暑くない。暑いけど。川遊びをして素手で魚を獲ったり、見事な天の川を見ながら夕涼みをしたり、虫に刺されたり、蛇に悲鳴を上げて笑われたり、自然を満喫した。


 相変わらず軽皇子の宮に時々遊びに行っている僕だが、秋になったある日、軽皇子の宮を訪問すると、なんだか人がバタバタしている。


「何かあったのですか」

「新しい宮を建てたのじゃ、といってもすぐ隣だが」

「新しい宮を」

「いや、実は阿倍臣の娘と結婚することになって」

「なんと、ご結婚とは! おめでとうございます! 」


 四十歳とかだし、もう結婚はしないのかと思っていた。


「うむ。それで阿倍臣が我と妃のためにすぐ隣に宮を作ったのじゃ。我はずっと過ごしていたこの宮で十分だと言ったが、そうは行かぬらしい。結婚とは面倒なことよの」


 阿倍臣とは、蘇我大臣に次ぐ権力者で、大臣蘇我毛人の正妻は阿倍臣の妹だ。正月に毛人の隣に座ってた紫の冠の人がどうやら阿倍臣だったらしい。今はこの二人が国を動かしていると言っても過言ではないという。

 軽皇子はその娘と結婚するのか。すごいじゃないか。


「ああ、でもそちは今まで同様、変わらず宮を訪ねて構わぬぞ。そちと碁をしているほうが楽しい」


 軽皇子の宮から帰ると、石川麻呂と馬飼叔父が僕の部屋で酒を飲んでいた。殿様と食事した後に「もう一軒行くか」のノリで僕の部屋に来る。僕の部屋を行きつけのスナックかバーみたいに使うの、やめてくれないかな。いや、やめなくていいけど。楽しいから。

 馬飼叔父は僕の死んだ母親の弟なのだが、石川麻呂と同年代らしく、話が合うようだ。


「また軽皇子の宮へ行ってたんだって」

 馬飼叔父が笑いながら言う。

「最近じゃ、仲郎はすっかり皇子の舎人みたいだ」

「そんなんじゃないですよ、もう。あ、そういえば、軽皇子、ご結婚なさるそうですよ、阿倍臣の娘さんと」

「! 」

「! 」

 二人の表情が一変した。


「阿倍臣の娘と結婚する。軽皇子は本当にそうおっしゃったのか」

「ええ、今日も、阿倍臣が皇子のために宮を建てたからとかなんとか」

 二人は顔を見合わせた。

「それは大変なことだぞ、おい」

「阿倍臣は大臣に次ぐ地位、その阿倍臣がまだ正妃がいない軽皇子に娘を、となれば」

 キョトン。

「うむ、天皇はお身体があんな調子だからな。軽皇子か。ありえぬことではない」


 どういうことなのかなーっと。

 僕があまりにもぼーっとした顔をしていたからか、馬飼叔父が丁寧に解説してくれた。


「阿倍臣は次の世のことを考えているのだ。今、皇位継承の順位は、一番がおそらく古人大兄、二番目に中大兄葛城皇子、他には上宮家の山背大兄がいる。古人大兄も葛城皇子もまだ年齢が足らぬ。それなら山背大兄でいいと思うのだが、大臣としてはなんとしても自分の甥っ子にあたる古人大兄を天皇にしたいから、上宮家の山背大兄にはしたくない。と考えると」

 石川麻呂が引き継ぐ。

「もし天皇に何かあったら、古人大兄が適齢になるまでの中継ぎの天皇として、阿倍臣は軽皇子だと考えたんだな。中継ぎだろうとなんだろうと、娘が天皇の子を産めば阿倍臣は万々歳だ」

「軽皇子が、天皇に、そ、それは」

「仲郎、軽皇子とそのまま仲良くしとけよ」

 あひゃひゃひゃ。


 軽皇子が天皇になるなんて、冗談でしか考えてなかったけど、石川麻呂と馬飼叔父の様子だとべらぼうな話でもないようだ。


「そういえば、山背大兄っておいくつなんですか? 」

「歳は確か、今上天皇と変わらないくらいだよなあ」

「うむ。あんな白髪頭だから老けて見えるけど、まだまだいける。でも、この前の時のこともあるから、大臣は今さら山背大兄を立てたくないのじゃないか、尚のこと」

 この前のこと、ということは、もしかして田村皇子との皇位争いのことかな? 

「大臣が大兄を隠居させたみたいなもんだからな。あの時はそなたの父上も苦労なさってたよ」

「そうそう、大臣と山背大兄の間を行ったり来たりさせられてなあ」

 二人はそう言って笑っていた。

 殿様も関わっていたのか。いや、とにかくこれで、今は舒明天皇の時代だと言うことでほぼ決まりでいいと思う。やった。



 そうして二度目の冬が近付いた。


「今年は新嘗祭を行われないらしい」

 殿様が、馬飼叔父と僕との食事の時に苦い顔をして言った。


「正式に行わないと通達があったのか」

 馬飼叔父が驚いて言う。

「うむ、今日、大臣から言われた。天皇は有馬の湯に行かれ当分戻らないから、年末に天皇が戻られてから行なう、と」

「また有馬の湯に行かれているのか。まこと、お身体は大丈夫なのか。こんな調子で」

「どうなのだろうな。我らとしては有馬の湯に行くなとも言えないし」


 僕は二人の会話を、シシ汁を食べながらおとなしく聞いている。

 猪肉と里芋とネギなどの野菜で作るシシ汁が僕は好きだ。味はほぼ芋煮の猪肉版なのだが、この時代の食べ物で一番好きかもしれない。今日もシシ汁が美味しい。


「先だっての阿倍臣の娘を軽皇子に娶らせた件もあるから、なあ、仲郎」

 え、いきなりこっちに振ってくる? 

「え、ええ、私は天皇がどのような感じなのかわかりませんが、阿倍臣は何かお考えがあるかもしれません」

「そうだな。まあ長生きして欲しいものだが、考えておいたほうがいいかもしれんな」


 年末に大雪が降り飛鳥に雪が積もったため、天皇は帰京せず有馬で年を越した。

 結局、新嘗祭は年が明け天皇が帰京してから行なったのだが、本当に、天皇の体調は大丈夫なのだろうか。「舒明天皇が死んだら一気に時代が動く」は近いのだろうか。

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