後日譚・4・侍女竹原の独白
私、竹原が姫様にお仕えするようになったのは、姫様のお父君の古人大兄皇子が薨去なされた翌年のことでした。お母君もお兄君も同時に亡くされ、たったひとり遺された姫様は、飛鳥の嶋皇祖母様の別宮に住んでおられました。
皇太子の姫君として暮らしてきた姫様でしたが、お父君の薨去で生活は一変しました。お父君は謀反人として全財産を没収されてしまったのです。それまでお父君から頂いていた食糧や援助は無くなり、下働きはほとんどいなくなりました。姫様ご自身の財産はほんのわずかなものです。母方のご祖父母も既に亡くなり頼ることはできません。
それで、父方のご曾祖母の嶋皇祖母様が、姫様のお父君の古人大兄皇子は嶋皇祖母様の初孫だったので、嶋皇祖母様がご自分の財産の中から人を遣わしたのです。
お父君の継母である宝皇女が姫様をお育てしようとしていたらしいのですが、嶋皇祖母様が断固反対しお手元に引き取られたのです。
私は結婚してまもなく夫に先立たれ、子も無く、その先の結婚も考えていなかったものですから、まあ、ちょうどよかったのでしょう。姫様の世話役兼教育役としてお仕えするようになったのです。
幼い姫様は、よくご両親を求めて泣いておられました。
私はその度になぐさめるですが、本当につろうございました。
「お父君お母君は遠いところに行ってしまわれたのです。姫様が皇祖母様の仰言ることをきちんと守って良い子になられるのを、遠いお空の上からいつも見守っておいでです」
皇祖母様にお伝えすると、いつも「幼子がこのような目に遭って、かわいそうに」と涙を浮かべておられました。
私たち、周りの大人は、姫様の前では涙を見せないよう気をつけておりました。私たちが悲しんでいると、姫様がもっと悲しくなりましょう。
泣いて暮らしても死んだ人間は帰ってこないのですもの。それなら明るく笑って暮らしたほうが良いと思いますの。
皇祖母様は、姫様が宮に伺うといつも「何か不足しているものはないか、困ったことはないか」と優しくお声をかけておられました。
「これからは、そなたの母の代わりだと思って何でも言うがよい」
「そなたの父母はなんの罪も犯していない。立派な人間だった。誇りに思いなさい」
と仰言っていました。
姫様も、皇祖母様のことを「みおや様」とお呼びになって、大層懐いておられました。
姫様にはとてもお優しい皇祖母様でしたが、葛城皇子に対しては冷淡でした。
古人大兄皇子も葛城皇子も、同じ皇祖母様の孫皇子であるのに、古人大兄皇子があのようなことになる以前から皇祖母様は、葛城皇子にも、その母親の宝皇女にも厳しくあられました。
皇祖母様の御嫡男、田村皇子がご即位できたのも、蘇我大臣の妹の法提郎女様とご結婚なされ蘇我の血を引く古人大兄皇子がお生まれになって、大臣の後援を受けられたからですもの。
その後、田村皇子は慣習に従い、皇族である宝皇女を皇后になさったけれど、宝皇女は二度目の結婚、しかも前夫との間に男子がおられましたでしょ。まあ、初孫を産んだ若くて素直な嫁と、年齢のいった再婚の嫁と、息子の嫁としてどちらが可愛いかと言ったら。
蘇我大臣が滅ぼされ、古人大兄皇子のことがあってからは、口癖のように言っておられました。
「蘇我大臣のおかげで位につくことができ、満ち足りた暮らしができるようになったのに、その恩を仇で返すとは、アレはなんという恥知らずよ」
アレ、とは、葛城皇子のことです。私の知る限り、蘇我大臣が滅ぼされてからの皇祖母様は、葛城皇子の名を呼ぶことがありませんでした。
「またアレの采女から子が生まれたそうじゃ」
「あらまあ、後継の皇子はいつまでたってもできませんのに」
「そうやって出来た娘を皆、弟に押し付けて」
「ほほほ」
よく、侍女たちと悪口を言っては笑っていました。
「アレの、節句の衣の、まあ品の無いこと」
皇祖母様はとにかく葛城皇子やることなすこと、何もかもが気に入らないような具合でした。
一方、皇祖母様の御慈愛の下で、姫様は貴人としての教養と品格を身につけ健やかに成長なされました。姫様が将来どのようなお方とご結婚なさるのか、私も楽しみにしておりました。
姫様が十四歳になられた日、皇祖母様は仰言いました。
「私が生きているうちは何があっても姫を守ってあげる。しかし、私も年老いた。いつか私がいなくなり独りぼっちになる姫を思うと、気掛かりで夜も眠れぬ」
「ええ、母のようなみおや様がいなくなったら、私はどうやって暮らしていけばいいのかわかりません」
「実はね、宝皇女が来たのじゃ」
日頃、皇祖母様との関係が決して良好とは言えなかった宝皇女が宮を訪ねてくるとは、珍しいことでした。宝皇女は、お隠れになった弟君の後に、再び天皇の位に即かれておられました。皇太子はもちろん葛城皇子です。
「そなたをアレの妃にくれないかと言うのじゃ」
「このまま何事もなければ、いずれはアレが位につくでしょう。その時に立てる皇后がいないと言うのじゃ。そうでしょう。あのような男、まともな皇女が近寄らない」
皇祖母様はいつになく言葉を荒らげておられました。
「そこで、そなたを皇后にしたいと言うのじゃ。私としては、可愛いそなたをあのようなアレの妃になどしたくはない。じゃが、そなたのこの先の暮らしを考えると」
お名前は言えませんが、実は、皇祖母様は姫様を皇族のどなたかの妃になさるおつもりだったのです。
「話を断ってそなたが他の皇子の妃になったら、アレが何をするかわからぬ、とも思うのじゃ」
「ええ、どのようになされましても、みおや様が私のことを案じてくださる御心からなるものと、理解しております」
姫様は、ご両親の死の原因に葛城皇子が関わっていると、薄々感じておられたかもしれません。
それでも姫様は、葛城皇子が即位する時には婚姻して皇后になると約束いたしました。
「ただ、私の目の前で、アレが位に即くのは許さない」
と皇祖母様は、ご自身が亡くなったら姫様を葛城皇子の皇后とする約束を天皇宝皇女と交わしたことを、文書に認め皇族の皆に配ったのです。
「よいですか。そなたが皇后になるからには、皇子を産んで次の世に繋ぎなさい。今いるアレの皇子たちは天子になる資格がない。そなたの産む皇子だけが正当な皇子なのです。そしてそなたの父の無念を晴らしなさい」
それから数年後、天皇宝皇女が急な病で身罷られました。
ちょうど姫様と私が皇祖母様の宮を訪問しておりました時に知らされました。
筑紫の朝倉で行宮を作る時、朝倉神社の杜を切り開いて宮を作ったら、宮に雷が落ち、近習の間に病が流行り、挙げ句の果ては天皇も病にかかられたとか。皆は、朝倉神社の雷神の祟りだと言っていたそうです。
「神社の杜を切り開いて宮を作るなど、神罰を受けるのは当然でしょう」
皇祖母様は静かに仰言いました。
「ああ、恐ろしい、天皇が神罰を受けるとは、ああ、恐ろしいこと」
繰り返し、皇祖母様は呟いておられました。
何だか私には、いつもの皇祖母様とは違った風に見えました。
それからまもなく、皇祖母様の宮の侍女から、皇祖母様が近頃、物忘れが少々あられる、と聞きました。皇祖母様も八十歳を過ぎ、いつ何があってもおかしくないお歳です。
しばらくした冬、年末のご挨拶に伺おうと思っていたところ、皇祖母様が風邪を召した、感染るといけないのでしばらく宮へは来ないように、と皇祖母様の宮の侍女から遣いが来ました。
翌年の正月の儀式にもご出席なさらなかったので、正月行事が終わった頃に宮へ伺いました。
いつものようにご挨拶をすると、皇祖母様は他人行儀に仰言いました。
「よくぞまいられた。綺麗な娘だこと。名は何と言う」
姫様と私は驚いて、傍に控えている侍女を見ました。
侍女は軽く首を横に振りました。
「みおや様、倭姫王でございます」
姫様は訴えかけるように言いました。
皇祖母様は首を傾げました。
「もう誰のこともわからなくなっておられるのです」
と侍女が言いました。
「そのような……」
姫様は、涙をいっぱいに溜めた目で、微笑まれました。
「みおや様、お加減はいかがですか」
宮へ戻ると、姫様は我慢していた涙をポロポロ落とされました。
「ずっと、私の親代わりになって、あれほどまでに私の行く末を案じてくれていたみおや様が、私のことをお忘れになるなんて……」
私も、思わず涙ぐんでしまいました。決して姫様の御前では涙を見せまいと生きてきたのに。
「いつまでも変わらず私を可愛がってくれるものと信じていたのに。もう、みおや様は私を守ってはくださらない。私には頼る身内が誰もいなくなったのだわ」
私は姫様の膝下に平伏しました。
「この竹原が、竹原が命をかけて姫様をお守りいたします。この先何があっても」
ええ、私がお守りしますとも。
やがて皇祖母様は世を去り、姫様は葛城皇子の妃となりました。
葛城皇子は姫様との婚姻のその夜、寝所に入るなり、姫様に仰せになりました。
「承知していると思うが、我はそなたを妃にするが、妻にするわけではない。夫婦にはならぬ」
寝所の衝立を挟んで隣の間で控えている私は、葛城皇子の仰言る意味がわかりませんでした。
「もちろんそなたの生活は我が面倒を見よう。そなたは何も心配せずとも良い。だが子は作らぬ。我には既に後継がいるからな。我の妃、いずれは皇后としての役目を果たせばそれでよい。それから」
私の頭は混乱していましたが、それより姫様がどのようなご様子なのか、心配でたまりませんした。
「そなたは皇女としての教育は受けているか。必要ならば、我が教師を差し向けよう」
やっと姫様のか細い声が聞こえました。
「必要ありませぬ」
それから少し説明などをなされた後、皇子は寝所を出ていかれました。
私は、涙が止まりませんでした。姫様がこのような屈辱を受けるなど、あまりにも酷いこと。皇祖母様ならこのようなこと、絶対許さなかったでしょう。皇祖母様がいらっしゃれば、どうにでもできたものを。
皇祖母様が厭わしく思っていたように、私は一生この男を許さない、そう思い、どうしてやろうか考えを巡らせました。
姫様に他の男性を引き合わせ、その子を葛城皇子の子としてしまったらどうでしょう。どうせ、真実を知っているのは私たちだけです。葛城皇子が否定したところで、周りの皆が認めましょう。
それとも皆にこの悪行を言いふらしましょう。いいえ、それでは姫様がお可哀想。
いっそ私が皇子のお命を奪いましょうか。失敗して誅されても怨霊になって皇子を取り殺しましょう。
それとも……。
そんなくだらない考えを巡らせているうち、ついウトウトしてしまいまして、どれくらいたったでしょう。まだ明けやらぬ頃、気配がしたので慌てて飛び起きると、姫様が寝所から出てこられました。
姫様の両の瞼は赤く腫れていました。
「姫様……」
私がお掛けする言葉を選んでいると、姫様から言い出されました。
「私は大丈夫」
姫様は仰言いました。
「実はね、私、心のどこかでほっとしている気持ちもあるの」
「みおや様とのお約束は果たせないけれど、あの方と肌を合わせずに済む、と思ったら」
私は懸命に涙を堪えました。
「あの方は、私が皇后としての役目を全うすればそれで良いと宣った。ならば、そうしましょう。私はこれから、誰からも尊敬されるような、そう、みおや様のように、天皇すらも動かせるような、そんな皇后になることにしたの」
「姫様……! 」
私には、姫様のお姿が神々しく見えました。姫様のためなら何でもいたしましょう、ええ、この命を捧げても。
そう決意いたした次第にございます。




