第3話・人の顔を覚えるミッションその2
それから数日後、僕は飛鳥寺の旻法師の学堂に行くことにした。
今日はこの前の軽皇子の時よりカジュアルめな格好で出かける。どこがどうカジュアルなのか僕には全くわからないけれど。
「旻法師は大陸の唐の国に留学した僧です。儒教や周易など唐国の進んだ学問を学び、数年前に帰国しました。最近では蘇我氏の氏寺、飛鳥寺にて学堂を開き、皇族や貴族たちの子弟を集めて学問を教えているそうです」
とトヨが話してくれた。彼女はきっと、僕に説明するために人に聞いたのだろう。
ざっくり言うと、元遣唐使で飛鳥寺の住職である旻法師が、皇族や豪族の子弟を集めて講義を行なう塾、二十一世紀の大学の社会人講座みたいなものだ。殿様はその塾に僕も通ってみろっていうんだな。僕には二十一世紀の知識があるんだ、まかせとけ。
飛鳥寺の場所は、この間、軽皇子の宮に行く途中に教えてもらった高い塔がある寺だ。僕の屋敷の庭からも塔が見える。
飛鳥京の中心地は飛鳥寺の南、天皇の宮殿がある辺りで、僕の屋敷はちょっと離れている。京の中心が渋谷駅周辺だとすると、僕は奥渋谷とか代官山とかその辺に住んでるみたいな感じかな。他の皇子や大臣たちは山手線の内側に屋敷を持ってる、くらいの感覚。
問題は人なんだけど、知り合いに話しかけられたくなかったので、僕はわざと開始時刻ギリギリに行って、みんなが既に座っているお堂に入った。
お堂は土間になっていて机はない。簡単な箱みたいな椅子が並べられているだけだ。僕は静かに一番後ろの席に座った。
おそらくこの中に蘇我入鹿とか、重要な人物とか僕の知り合いがいるんだろう。後ろ姿じゃ何もわからない。まあ、正面から顔を見たところで同じことだが。僕の目に映る人物の説明が出てきたりはしないのだろうか? よくアニメで見るみたいに目の前にステータスがダダダッて出てくる、ああいうチート能力はないんだろうか?
ちなみに、時計は日時計だ。といっても、正確ではない。正午さえきちんとわかればいい、というくらいのレベル。もちろん、夜は時間がわからない。
僕が座るとすぐにシンバルのような音がどこかから聞こえた。
すると正面の板敷きの舞台に僧侶の格好をした男性が入ってきて、みんなに向き合って演台の椅子に座った。あれが旻法師だろう。老人かと思っていたけど、思ってたより若い。中年だけど、殿様よりも若いかもしれないくらい。
その日の講義は「周易」についてだった。
世の中の万物は陰陽二元を以って説明できる。占いか? 陰陽道とは違うのだろうか? いや、聞いてると占いなんだけど占いじゃない。簡単に言うと統計学みたいだ。統計学と哲学と合わせたような、よくわからない学問だ。
……ハッ。いかん、あやうくラリホーにかかるところだった。
後ろの席から見ていると、みんなの頭が下がってるのがわかる。勉強がしたいんじゃなくて「旻法師の塾に通ってる」というステータスが欲しいだけなんだろう。僕もだけど。
講義が終わりみんなが帰り支度をしている中、知らない若者に話しかけられた。
「やあ、身体の調子はどのような? 」
僕と同じような服装をしているから、たぶん同じような身分の人間だろう。
「ええ、まだすっかり治ったという感じではないのですが、ご心配をおかけしました」
彼が、軽く驚いた顔をした。
ヤバい。僕は間違っただろうか。
「私は旻法師にご挨拶を」
軽く会釈し話を切り上げて、生徒たちから質問を受けている旻法師に近付いていった。
「お初にお目にかかります。中臣連仲郎と申します」
旻法師は僧侶らしく、穏やかな眼差しをしている。聖人とはこんな人のことを言うのかもしれない。
「ようこそ、わが学堂へ。どうでした? 今日の講義は」
「ええ、大変興味深くうかがいました」
僕は自分が興味を持った部分をベラベラ喋った。主に統計学についてだが、なにしろこっちは二十一世紀の知識を持ってるんだ。宇宙や地球や科学の知識だって小学生レベルならわかるし、哲学書も歴史書も概要だけは知っている、はず。
「周易とは、人々を安心させるためのものだと感じました。このような学問を考え、これまで発展させてきた先人に敬意を表したいと思います」
「ほほぉ」
旻法師は驚いていたようだった。
「これからも、通っていらっしゃい」
旻法師は頷きながら微笑んだ。
僕は、旻法師に好感を持たれたと感じた。
その後、僕は誰にも話しかけられないよう、急いでいるふりをして庭へ出た。
ふと、先を見ると、みんなが道を開けているところをずんずん通る男がいた。
なんだ、偉そうな男。もしかして、あれが蘇我入鹿だったりして? がっしりした体躯にいかつい顔、鋭い目付き。現代で言うと、堅気には見えない系。まあ、これじゃ逆らいたくないわな。喧嘩強そうだし。
歩いているうちに僕は誰かに声をかけられたみたいだが、どうせまた誰だかわからないから、気付かないふりをしてそそくさと家路を急いだ。
「旻法師の学堂はどうであった? 」
その日の夕食に殿様の部屋へ呼ばれた。
僕は学堂での講義内容を僕なりの意見を交えてざっくり話した。
「今日の講義は、万物の変化を、過去の統計から法則を見出し説明する、周易という学問についてでした。その法則に、道徳やその時にあった事情を取り入れ解釈を加え、柔軟な学問だと感じました。興味深くとても為になりました」
殿様は呆気に取られた顔をしていた。
あれ? また何か、まずいことを言ったかな。
「ほお……、すっかりいつものそなたに戻ったようだな。国子が、仲郎は熱で頭をやられて馬鹿になったんじゃないかと心配しておったが、全くそんなこともないようだな。いや、よかった、よかった」
あの叔父、そんなことを言ってたのか、チッ。まだ会ったことないけど。
翌日の昼頃には佐伯連子麻呂と海犬養連勝麻呂、葛城稚犬飼連網田がやってきた。
「仲郎様、幼馴染の子麻呂様と勝麻呂様と網田様がお越しです」
トヨが言う。
わかった、三人は幼馴染。で、僕はそんなふうに呼んでるのね。オッケー。サンキュー、トヨ。
「もう元気になったと聞いて」
昨日の石川麻呂と違って、三人とも僕と同世代かちょっと下くらいに見える。子麻呂は背が高く「スポーツ枠」でモテそうな若者、網田は子麻呂とは違う「体育会枠」でがっちりした体格、勝麻呂は「オタク枠」かな。
ちなみに僕は自分で言うのもなんだが「ビジュアル系アーティスト枠」。
「こないだの飛鳥寺、知らん顔してくから、病で俺のことも忘れたのかと思ったよ」
そういうのは子麻呂。もしかして、帰り際に声かけてきたの、こいつか。
「悪い悪い、考え事してて」
彼らは遠慮せず、昼食を一緒に食べていった。普段の昼食だから、お粥みたいなのと野菜の煮物程度だけど。
そうだ、ちょっと情報集めをしてみよう。
「そういえば、あの方も来ていたようだな、大臣の」
僕の勘が正しければ、あの時見たのは大臣の息子、蘇我入鹿だ。
「鞍作臣な。この学堂は自分のものみたいな顔してたよな」
子麻呂が顔をしかめていう。
鞍作臣って、蘇我入鹿のことだったのか。この時代の人っていっぱい名前があるからわかりづらいよ、まったく。でも、やっぱりあの偉そうな男が蘇我入鹿だったんだな。
「実際、飛鳥寺は自分ちの寺だからしょうがないよ。旻法師を飛鳥寺に招くのに、大臣はずいぶん画策したみたいだよ」と勝麻呂。
「偉い僧侶を独り占めしたいんだよお、大臣は」
網田も蘇我氏をよく思っていない様子だ。
「大臣の悪口言うと出世できないぞ」
僕は笑いながら言った。
「いや、冗談抜きで、大臣より鞍作臣のほうが恐ろしいよ。絶対目を付けられたくないよ」
「うむ、剣の腕じゃ鞍作臣には誰も敵わないって言われてるからなあ。鞍作臣がひと睨みすれば盗賊も逃げ出すって噂だし」
「ひえ」
「聞いたところでは、鞍作臣がまだ十五歳くらいの時に四人組の盗賊に襲われて、鞍作臣ひとりでボコボコにやっつけたってらしいよお。それ以来、京の周りじゃ盗賊が出なくなったって」
「まじかよ、四人を相手にひとりで」
「大臣になったら、ますます怖くなりそう」
「そうだな」
でも世の中がこんなふうに平和なら、僕は別に入鹿が大臣でも構わないのだが、この先どうして入鹿は殺されるのだろう?
帰り際、子麻呂が言った。
「なんか、雰囲気変わったな。なんて言うか、話しやすくなった」
「そりゃあ変わるさ。なにしろ一度死の縁を見てきたんだからね」
子麻呂たちは、そうだな、と笑った。
転生する前の「中臣仲郎」はどういう人物だったのだろうか。




