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第22話・飛鳥最大のクーデター前編

 梅雨の雲が重く広がる朝だった。

 その日は、三韓の遣いが天皇に謁見する朝貢の儀式が、飛鳥板蓋宮あすかのいたふきのみやの朝庭で行われることになっていた。儀式に出席するのは天皇と皇太子古人大兄、大臣代理の蘇我臣入鹿、豪族代表の巨勢臣徳太などである。


「まず、三韓(朝鮮半島の三つの国)の遣いが天皇に謁見する朝貢の儀式を行なう、と、天皇の名で皆を招集する」


 この儀式は、偽の儀式だ。つまりは天皇もグルだ。天皇を説き伏せるのは葛城皇子に任せた。

 三韓の遣いというのは、どこぞの俳優わざびとを雇って衣装を着せただけだ。


「儀式当日は、鞍作臣が朝庭に入ったら門を閉めて閂を掛け、外からは開かないようにする。警備の衛門兵の邪魔が入らないようにだ」


 計画を知っているのは葛城皇子、蘇我倉山田臣石川麻呂、巨勢臣徳太、佐伯連子麻呂、葛城稚犬飼連網田、海犬養連勝麻呂の六人と、この場にいない軽皇子、阿倍臣倉梯麻呂である。 軽皇子も阿倍臣も、急病と偽って入鹿殺害の場に居ない。これは新政権に血の匂いをさせないための僕の考えだ。

 門番や他の人間には計画自体は伝えていない。ただ具体的な行動の指示を出しただけだ。


「しかし鞍作臣は用心深い。常に剣を身につけている。まともに戦ったら鞍作臣には誰も敵わないぞ。捕らえる前にこっちがやられる」

「なんとか剣をはずさせなければ。どうやって」

「私にいい考えがある。俳優を使って戯れさせるのだ」


 入鹿が門を入ったら、儀式の後の宴で三韓の遣いをもてなす役目の俳優たちがいる。


「そちらにいらっしゃるは鞍作臣」

「ようこそ、鞍作臣、私の踊りを見にきてくださったのですね」

「馬鹿なことを申すな、私を見にきてくださったに違いない」

「いいや、私ですよ。ねえ、鞍作臣」

「おやおや、このような場にその剣は無粋なこと、私がお預かりいたしましょう。ゆっくり私をご堪能くださいませ」

「いいや、私。私がお預かりします。ねえ」

「私に是非」


 入鹿は、美しい俳優二人組に乗せられ剣を腰から外し、笑って剣を預けた。

 そうして入鹿は、正面舞台の一段下の椅子に座った。その下に巨勢臣ら豪族代表がいる。朝庭には朝方まで降っていた雨が地面を濡らしている。


「石川麻呂様は三韓の遣いを装った人間を率いて朝庭に入り」


 石川麻呂が遣いを装った俳優と共に朝庭に並ぶと、正面舞台に天皇と皇太子古人大兄が現れた。


「我らは朝庭の柱の影に隠れ機会を待つ」


 石川麻呂が遣いに代わって上奏文を読みあげる。葛城皇子、子麻呂、網田、勝麻呂、そして僕はそれぞれ槍や剣を手にして柱の影に隠れている。


「石川麻呂様が上奏文を読み始め鞍作臣が油断している隙に、子麻呂、網田、勝麻呂が襲撃して鞍作臣を取り押さえる。なあに、相手は素手だ。難しくはない」


 しかし、石川麻呂が上奏文を読み終わろうとするのに、子麻呂ら実行役が怖気づいて出て行こうとしない。石川麻呂の声が焦って震えているのがわかる。


「早くしないと上奏文を読み終わってしまう」

「早く行け。今だ」

 葛城皇子が急かすも、彼らの足は動かない。


「ええい、我が行く」

 え、ちょっと、皇子!


 葛城皇子が剣を抜いて柱の陰から走り出た。 

「やああ」


 驚いて入鹿が振り返ったところを、皇子が振り下ろした剣が入鹿の肩から背中をかすった。


「だめだ、し損じる」

 僕は慌てて弓を引き、皇子を援護するように入鹿を目掛けて矢を放った。


「危ない」

 石川麻呂と巨勢臣はその場にいた人間たちを避難させた。彼らはさあっと避けて、それぞれ朝庭の柱の影に逃げ込んだ。

 僕の放った矢は外れたが、避けようとした入鹿が体制を崩したところを皇子の振り下ろした剣が再び入鹿の肩を切る。


「子麻呂、さあ」

 僕が背を押すと、意を決して子麻呂も剣を抜いて駆け寄り、入鹿の足を薙ぎ払い、動けないようにする。


 入鹿は地に倒れ込みながら叫んだ。

「何をする。天皇の御前だぞ。いったい私に何の罪が」


 葛城皇子は剣を片手に天皇に跪いた。


「鞍作臣は皇子たちを滅ぼし帝位を奪おうとしています。そのようなことがあってよいのでしょうか。我に罪人を処罰するお許しを」


 宝皇女は無言で眉を顰め、足早に奥へ消えていった。

 それを見た葛城皇子が入鹿の喉元に剣を突き立てるのを、僕は柱の影で見た。


 天皇が何も言わなかった。そのことは重要だった。

 天皇が咎めれば葛城皇子は天皇の命令に従わねばならぬ。だが、天皇が何も言わなかったということは、皇子の所業を容認したと言うことになる。

 これも前もって僕が軽皇子経由で宝皇女に伝えていたことである。葛城皇子がかわいいなら何が起きても黙認せよ、と。


 続いて、子麻呂、網田らの剣が、入鹿の腕を、足を、胴体を、刺し、また切っていく。血を見て興奮したのか、彼らは執拗に剣を槍を振り続けた。


 僕は恐怖で吐き気がした。足がガクガク震え、立っていられず、柱にしがみついた。

 窪田先生、これが乙巳の変です、恐ろしいことです。

 僕の肩を掴む石川麻呂の手も震えていた。巨勢臣は流石に幾つかの戦さを経験している将軍、僕らのように震えてはいなかったが、血飛沫が飛び散るその光景を、圧倒されるように見ていた。



 やがて、実行部隊の彼らが息を切らせ、手を止めた。気がつくと、辺りは血で染まり入鹿の首は落とされ無残な姿になっていた。

 震えてる場合じゃない。僕は俳優たちに合図をした。


 俳優たちは大声を出す。

「たいへんだ。鞍作臣が誅された」


 門を開けて外にいる衛門兵たちを中に入れ、その間を俳優たちが叫びながら駆けずり回る。

「天皇に叛いた鞍作臣を葛城皇子が誅殺した」

「逆賊蘇我臣入鹿を誅した」


 朝廷に入ってきた衛門兵たちは、辺り一面に肉が飛び散り血溜まりができたその凄惨な光景にたじろいでいた。


 巨勢臣が衛門兵たちに言う。

「天皇に叛いた罪で、鞍作臣を葛城皇子が誅殺したのだ。首を門前に晒せ。骸を、肉片も余さず全て筵に包み、甘橿岡に届けよ」

 甘橿岡とは蘇我毛人大臣の屋敷のことである。 


 これから蘇我氏との戦さになるかもしれない。飛鳥寺を本陣とする準備はできている。

 葛城皇子たちの刃によって全身ズタズタに斬られ、首のない入鹿の遺体の前で、血潮を激らせた葛城皇子は剣を振り上げ、汗の滴を飛び散らし叫んだ。


「皆の者、飛鳥寺へ」

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