第2話「銭の冷たさと血の熱さ ―岡定俊(岡左内)―」
武士は食わねど高楊枝。そんな言葉が象徴するように、古来より日本の武家社会において、金銭への執着は卑しいものとして忌み嫌われてきた。清貧こそが美徳であり、己の命と引き換えに名誉や恩義に殉じることこそが武士の誉れとされた時代である。戦国という剥き出しの暴力が支配する狂乱の世にあっても、その建前としての精神性は武将たちの根底に重く横たわっていた。
だが、その強固な美意識の只中にあって、己の金銭欲を少しも隠そうとせず、むしろ異様なまでの執着を見せつけた一人の男がいる。
蒲生氏郷、そして上杉景勝という、戦国屈指の義将たちに仕えた武将、岡定俊。通称を岡左内という。
彼の生没年や出自には謎が多いが、彼が歴史の裏側に残した強烈な異端の匂いは、数百年を経た今もなお色褪せることがない。彼は、主君への忠義や名誉といった形のないものよりも、手の中にある冷たくて硬い銭の感触を何よりも愛した男であった。
定俊の日常は、およそ武将のそれとはかけ離れた異様なものであったと伝えられている。彼は類まれなる吝嗇家、つまり守銭奴であった。領地から上がる収益はもちろんのこと、あらゆる手段を用いて蓄財に励み、その財産を蔵の奥深くに厳重にしまい込んでいた。
最も有名な逸話は、彼の奇妙な「遊戯」に関するものである。
夜の帳が下り、屋敷が静寂に包まれる頃、定俊は自らの寝所に大量の銭を運び込ませた。何千、何万という銅銭を、畳の目が見えなくなるほどに敷き詰めるのである。そして彼は、衣服を脱ぎ捨てて全裸となり、その硬く冷たい銭の海の上に寝転がった。全身で金属の感触を味わい、銭の擦れ合う乾いた音をこの世のいかなる雅楽よりも美しい音楽として聴き入ったという。
銅の放つ独特の生臭い匂いと、肌を刺す冷気。それは、他者から見れば狂気の沙汰以外の何物でもなかった。家臣たちは主君の奇行に顔をしかめ、他家の武将たちは定俊を「金の亡者」「武士の風上にも置けない卑劣漢」と嘲笑った。名誉を重んじる武士の社会において、銭にまみれて悦に入る彼の姿は、あまりにも異質で、あまりにも醜悪であった。
しかし、定俊は他者の嘲笑など一切意に介さなかった。彼にとって、銭とは単なる交換手段ではない。それは、裏切ることのない絶対的な「力」の結晶であった。人の心は移ろいやすく、忠義は些細な利害で容易く反転する。戦国という時代が嫌というほど見せつけてきたその残酷な真理を、彼は誰よりも深く理解していたのだ。信じられるものは、己の腕と、この手の中にある重みだけである。銭の冷たさこそが、彼にとって唯一の安らぎであり、確かな現実であった。
蒲生氏郷が没し、上杉景勝に仕官して後、時代は豊臣から徳川へと移り変わる巨大なうねりの中にあった。慶長五年、天下分け目の関ヶ原の戦いと連動するように、奥羽の地でも戦火が上がる。上杉軍と、伊達・最上連合軍との激突である。
戦の気配が国境を覆い尽くし、陣太鼓が腹の底を震わせるように鳴り響いたその時。冷酷な守銭奴として知られた岡定俊の姿は、劇的な変貌を遂げる。
彼は、常日頃から何よりも大切にし、自らの肌を擦り付けて愛玩していたあの莫大な蓄財を、惜しげもなく蔵から引きずり出したのである。そして、己に従う部下たちを広間に集めると、その目の前に金銀財宝を文字通り山のように積み上げた。
驚きと戸惑いに目を見開く部下たちに対し、定俊はただ淡々と、そのすべてを分け与え始めた。身分も手柄も関係ない。ただ己の軍勢としてこれから死地に向かう者たちすべてに、彼らが一生かかっても稼げないような額の金銀がばら撒かれたのである。
狂気に満ちた執着心を燃やしていた男が、なぜ戦の直前になってそのすべてを手放したのか。それは、決して突然の良心や慈悲から来るものではなかった。極めて冷徹で、合理的な計算に基づく行動であった。
定俊は知っていたのだ。人間が最も恐ろしい力を発揮するのは、高尚な理念のためではなく、己の懐を潤すためであることを。腹を空かせた兵士に忠義を説いても腹は膨れない。しかし、重たい黄金を懐に忍ばせた兵士は、それを持ち帰って豪奢な生活を送るために、決して死のうとはしない。生き残るために、そして目前の敵から己の財産を守るために、彼らは自ら狂戦士と化すのである。
金銭を「目的」として愛した男は、いざ戦場という極限状態においては、それを最も強力な「武器」として使い捨てる冷酷な合理主義者であった。
蓄財をすべて放出した定俊は、自らも重武装に身を固め、愛馬に跨った。その眼光に、もはや金銭を数える商人のような卑屈さは欠片も残っていない。そこにあったのは、血に飢えた戦狼の瞳である。
上杉軍の先陣として戦場に躍り出た定俊の部隊は、凄まじい戦闘力を見せつけた。懐に莫大な金銀を抱えた兵士たちは、死の恐怖を忘却したかのように敵陣へと突っ込んでいく。彼らを率いる定俊自身もまた、最前線で槍を振るい、返り血を浴びて朱に染まっていた。
「金をもらって命を惜しむようでは、武士ではない」。そんな綺麗事は、彼の辞書には存在しない。金を渡したからこそ、命を懸けろ。それが定俊の無言の命令であり、彼と部下たちの間に結ばれた、血よりも濃い黄金の契約であった。
敵兵の首が宙を舞い、鮮血が大地を染め上げる中、定俊は縦横無尽に戦場を駆け抜けた。その戦ぶりは上杉軍の中でも群を抜いており、敵将を震え上がらせるに十分なものであった。銭の冷たさを誰よりも知る男は、戦場において誰よりも熱い血を流し、そして流させたのである。
戦が終わり、再び日常が戻ると、定俊はまるで何事もなかったかのように、元の守銭奴へと戻っていったという。再び一文の銭を惜しみ、蔵の奥で硬貨の音に耳を澄ませる日々。部下たちに分け与えた莫大な財産を惜しむ素振りは微塵も見せず、彼はまた一から、執拗なまでの蓄財を再開したのである。
岡定俊の不可解な生き様は、同時代の多くの者にとって理解の及ばないものであった。しかし、彼の行動原理は最初から最後まで一貫している。彼は、平時における「富」と、戦時における「命」の価値を、最も正確な秤で量り続けていただけなのだ。
名誉や体裁という虚飾を剥ぎ取り、人間の剥き出しの欲望と冷徹な現実主義だけを武器にして戦国を渡り歩いた異端の将。徳川の治世となり、武士が次第に牙を抜かれ、官僚化していく時代の足音が近づく中、彼のような泥臭くも強烈な個性を放つ男が生存する余地は、急速に失われていった。
岡定俊の最期がどのようなものであったのか、確かな記録は残されていない。あるいは、晩年も変わらず銭の山の上でその冷たい感触を楽しみながら、誰にも看取られることなく静かに息を引き取ったのかもしれない。
ただ確かなことは、歴史の片隅に刻まれた彼の名が、綺麗事では片付けられない人間の生々しい本質を、今もなお無言のうちに突きつけてくるということである。黄金の輝きと血の匂いが入り混じる彼の奇妙な伝説は、戦国という時代の持つもう一つの真実として、歴史の影で妖しく光り続けている。




