第3話 水族館(2):勝った人と負けた人
今日はあと一話投稿します。
お昼ご飯。
この水族館は館内のレストランが美味しいので有名だ。
私がお手洗いに行っている間に、先輩が先に飲み物を持ってきていくれていた。
先輩はジンジャーエールで、私のはマンゴージュースだった。
先輩は私が好きな飲み物、ちゃんと覚えてくれていた……やたらと泡立っていたけれど。
「どうしたの、叶多。」
「……これなんか、炭酸入ってるみたいで。」
炭酸は大の苦手だった。
「え、なにそれ。そんな訳ないじゃん。」
確かに、そんな訳なかった。
気泡が入っただけだったのだろう。泡の群れはあっという間に消えていった。
私はそれを見つめながら、さっき散々見た水槽の泡を思い出していた。
泡と言えば、昔読んだ人魚姫の話で結構トラウマになったキーワードだ……原作を読んだのは、6歳くらいの時だったか。
私はディズニーの人魚姫しか知らなかったから、本当に衝撃的だった。
――愛されなければ、死ぬしかない。
……残酷すぎる話だった。
だから私の中では、ディズニー版の方が本物の「人魚姫」って言うことになっていた。
でも、今では知っている。
現実にはきっと、泡になってしまうお姫様の方がたくさんいるんだってことを。
――匂色先輩も、そんな気持ちだったのかな。
なんて、ふと思ってしまった。
実は今日一日、私は何度も匂色先輩のことを考えて悶々としていたのだった。
――罪悪感なんて必要、無いよ。
私はジュースをストローでかき回しながら、自分に言い聞かせる。
スポーツと同じだ。
勝ち負けがあることはお互いわかってやってるんだから。
そして私は勝った。それでいい。
勝てば手に入るし、負ければ失う。
それは、変えられないルール。恋愛でなくても、何だってそうだ。
誰かが負けるから、誰かが勝てる――そのことからは、目を背けちゃいけない。
それは、みんなにとって暗黙の了解。匂色先輩だって、わかってる。
……でも、
――分かってるんだろうけどさぁ……あの人、ほんとにきついんだもん……あの日からずっと、頑張って普通に接してくれてるけど、引きずってますよオーラ全開なんだもんなあ……無視するわけにはいかないし。せめてあからさまに嫌われた方がまだいいって言うか……。
…………要するに、匂色先輩は――重いのだ。
「……あ、このジュースなんかめっちゃおいしい~!」
「え、マジで?……そこのジュースサーバーの奴だよ?」
時々、先輩と気のない会話をしながらも、やっぱり匂色先輩のことを思い出してしまう。
オーダーした商品が来るまでの間は、話が途絶えがちだし。
――そうだよ。戦わないと。何もしないでいたら、幸せはどんどん指の隙間から零れ落ちていくんだから。
――勝負なんてしてなくても、単に運が悪かったとか、そういう理由で、どんどん奪われちゃう――
そして命が奪われた時には、全ての幸せの可能性は、絶たれる……そう、恵理お姉ちゃんみたいに。
「叶多?なんかぼんやりしてる?」
私は先輩がずっと、私の顔を見ていることに気づいた。
「あ、いや……。」
私は恥ずかしくなって目を逸らす。
寒い日に冷たい飲み物を飲んでいるのに、なぜか体が温かくなってきた。
段々心拍数が上がっていく。
私は先輩の顔をそっと盗み見る。
――ああ、やっぱり好きだな。
ただただ素朴に、そう思った。
目の前の先輩の笑顔が、私の中の最も嫌なイメージを吹き消してくれる。
「……先輩。」
「何?」
「……えへへっ、なんでもないです。」
「……………………。」
先輩の方が、なぜか顔を赤くする。
何だか、先輩が私の感情を吸い取って映したみたいだった。
……いつになく、結人先輩がイケメンに見えた。というか――綺麗だった。
背景になっている人々も、窓の外の海も綺麗だった。
世界は綺麗だった。
恋は綺麗だった。
私たちは――綺麗だった。
――そうだよ。匂色先輩がどうかなんて関係ない。
私は結人先輩のことが好きで、結人先輩も私のことが好き。
だったら、それでいいんだ。
幸せは当たり前なんかじゃない。
世の中には、不幸な人がたくさんいる。
毎日たくさんの人が、泡になって消えて行っている。
でも、理不尽だって言って泣いていてもしょうがない……そういうものなんだから。
だからせめて、自分が失わないためには――自分の力で、守らないと。
「せーんぱいっ。」
「え、何?」
「……大好き。」
「え……さっきから何……。」
「えへへ、今日はなんか、そう言う気分みたいです……。」
私はなんだかテンションがおかしくなっていた……あとで後悔しそう。
先輩はごくりと唾をのむ。
「……俺、毎日それが良いな。」
「えぇ~、恥ずかしいからもう駄目ですよぉ。今日だけなんです、ほんとに、なんか……。」
私たちの視線は、お互いを捕らえて離さない。
――そう、これでいいんだ。
匂色先輩も、『結人をよろしくね』って言ってくれたんだから。
勝った人は、堂々としていないと。
他人を蹴落としてまで手に入れた幸せを、後ろめたいから幸せじゃない、なんて言うのは、負けた人にも失礼なことだ。
意味もなく呼びかけ合って戯れている私たちの傍らで、料理を持ってきた店員さんが気まずそうにしていた。
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私たちは今、水槽のトンネルを歩いている。
今度は私も、素直に感動していた。
さっきからずっと、世界のすべてが綺麗に見えるせいもある。
なんか、私の中で変なスイッチが入っちゃったみたいだ。
「……トンネル、結構長いですね。」
私は先輩に身を寄せながら言う。
「確かに……飽きちゃった?」
「いや、なんかこう、照明暗くて怖いし、入り組んでるし……迷っちゃったらどうしようっ。」
この水族館、屋内は割と暗めなライトアップになってる。
ここもよくある水族館のトンネルと違って珍しく、外の明かりを取り入れずに、電灯だけを使ってた。
水槽の近くは明るいけど、広い道の真ん中あたりは結構暗めだ。
七色の照明がグラデーションで変化する所もあって、幻想的できれいだった。
「俺は暗いところ大好きだな。あ、っていうか俺が行き先選ぶときここ選んだんだっけ。」
「はい。写真見て『ここ良いな』、って……。」
「あーそっか。やっぱり……夜みたいだから、かな?……あ、ていうか、ここ先生のおすすめだったわ。」
私は先生の話はどうでもよかったので、違う話をしようとする。
「夜、好きなんですか。」
「うん。俺、夜の人間だからさ。」
「アハハ……。」
「……不良っぽいの、嫌い?」
「そんなことないです、全然!かっこいいなあって思うし……ただ、私にはちょっと手が届かない世界って言うか。」
「そんなことないよ。……今度、一回来てみる?」
「え?」
先輩は蠱惑的な笑みを浮かべる。
「――夜の街。」
「あ……い、いいんですか。」
「うん、行こ。二人だけね。」
「あ、ありがとうございます……え、なんか、緊張するな……。」
「大丈夫だって。楽しいよきっと。」
――いいのかな、ほんとに……私みたいな垢ぬけてない奴が。なんて思ったりして。
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……それからまたしばらく、二人の間に沈黙が流れた。
――ていうかこれ、なんか、いい雰囲気じゃない!?
このトンネル、枝分かれも多くて広いせいか、あんまり一か所に人がいない。さっきから二人きりだ。
――手、つないでも、いいかな。
そう思って、先輩の顔を横目で見る。
……先輩は私が何か言うより先に、微笑みながら手を差し出してくれた。
私はおずおずと手を伸ばして、先輩の大きな左手に、自分の右手を重ねる。
先輩のぬくもりが伝わってきて、私の全身の細胞が歓喜の声を上げる。
手汗ですら愛おしい。
……でも相変わらず、ちょっと気恥ずかしい。
私はそのまま、正面だけを見て歩くことにした。
通路の反対側から、女の人が近づいてくる。
女の人は白いレインコートに白いマスクで、フードを目深にかぶっている。そう言えば外は雨だった。
――私たち、ちゃんと恋人に見えてるかな、なんて思った。
私は照れ臭くなって、脇の水槽に視線を逸らす。
「えっ、先輩!あの魚めちゃくちゃデカくないですか?」
「え……何あれ。」
「こっち来てる?」
……私たちが水槽に気を取られている間に、突然、女の人は駆け出した。
私は思わずそっちを振り返る。
女の人は低い声で何か叫びながら、私たちにとびかかってきた。
「――――『羽衣隠し』っ!」
原作の「人魚姫」のように「ハッピーエンドかバッドエンドか解釈が分かれる結末」は、メリーバッドエンドと言うらしいですね。
……全然関係ないのですが、私は人魚と聞くと人魚姫より先に、八百比丘尼の話が思い浮かびます。同じ人魚に対しても、色々な解釈がありますね。




