白銀者の帰還14
「【クライシス】……」
エイルは、ライトを片手に【クライシス】の元に辿り着いていた。だが、機体は最悪だった。
殆どが瓦礫に埋もれ、僅かに脚部の装甲が見えている程度である。肝心のコアに入ろうにも、胸部のハッチまでたどり着くには、多くの瓦礫を退かさなくてはならない。
「…………」
それでも、エイルは瞳に強く意志を固めた。黙っていても誰も助けてくれない。自分自身で動く事が大切だと、父から教わったのだ。
慣れない瓦礫の足場を登る。瓦礫の一つ持ち上げるにも相当な体力を使った。持ち上げるのではなく、押してズラす事で機体の横へ落していく。
この様な肉体作業は殆どやった事は無い。自分は非力で体力も人並以下。それでも、外では敵と多くの人たちが戦っている。その中には、身内もいる。そして避難する人の中には当然あの人も……
「ずっと……だから……今度は私が……護らなきゃ……」
少しずつ胸部の上の瓦礫が減ってきた。上から順に退かしていく。外から爆発音が響いた。大きさ的に火器の物ではなく機体の爆発であると感じ取る。
「急がないと……」
敵の狙いが【クライシス】なら、この場から離れる事で、敵も追って街から離れるかもしれない。そうすれば、誰も傷つかずに済む。
「……後……少し――」
胸部装甲が見えた。そして、ハッチも目の前に現れている。後は承認システムに……
胸部ハッチの横にある、掌紋承認のパネルに手をかざす。その手は瓦礫の撤去によって傷だらけになっていた。
そして、音を立ててハッチが開いた瞬間だった。不意にエイルは猛烈な激痛に襲われる。
「あ……こ……れは……」
疲労によって極端に思考力も低下していたが、その攻撃は危険であると感じとる。敵の兵器。それも、確実に人を殺す為の……
エイルはコアに何とか入ろうとするが、瓦礫の撤去で大きく体力をすり減らしており、披露した体力では意識を繋ぎとめる事は出来なかった。
そして、コアの端に、もたれ掛るように気を失った。
搭乗者を求め、機体が鼓動するようにコア内部で光が流れる。
待つべき者を【クライシス】は待っていた。
『やろうぜ? 私に言ったのか?』
漆黒の機体は、イノセントの【ヴルムIII】に呼び止められて、そちらに頭部のカメラを向けていた。武装は、手に持っている剣と、腰部のロケット砲だけと、何とも貧相な物だ。
『意地ってヤツを、まだ見せてねぇからな。遊んでやるよ』
イノセントは愛機の息を、コアの中で感じていた。機体の駆動音が、心音の様に聞こえる。まるで自分の命が【ヴルムIII】に乗り移ったように――
鳴月を構えながら不敵に告げる。その様子に漆黒の機体は――
『遠慮しておこう。先を急ぐのでな』
眼中にも無い様子で、進むべき場所へ向かって再び歩み出した。今、【クライシス】の反応が強くなった。恐らくコアハッチが開いたのだろう。乗り込まれると厄介だ。
その時、足元が爆発し、漆黒の機体は態勢を崩して膝をついた。
『照れるなよ。ダンスが苦手だからってな』
腰部のロケットで漆黒の機体が踏み出した先の地面を破壊したのだ。だが、それでダメージを与えられると思っていない。ただの挑発と牽制である。
『……図に乗るな。虫けらが――』
立ち上がると同時に【ヴルムIII】へ漆黒の機体は突撃してくる。まるで顔の周りを鬱陶しく飛び回る羽虫を始末するような感情を向けられていた。
一撃必殺の槍を鳴月で逸らす。シゼン・オードから送られてきたデータに、近接戦闘用のプログラムも入っていた為、ソレを使用して近接での立ち回りを行っていた。
高速で槍が撓る。ソレを出来る限り受けて弾く。多少の被弾は覚悟の上だ。狙うは、コア。そこを破壊されれば、どんな機体でも機能は停止するハズ――
敵はこちらを侮っている。槍で殺す事に執着し、熱や右腕は使って来ない。それが最大にして最後の好機!
途端、敵の姿が消えた。カメラでは追えない速度で移動したのだと気づいたのは、目の前に槍が突き立てられるように放置されていたからである。
『しまっ――』
死角に回られた――
背中を悪寒が撫でる。死神に鎌を突きつけられた様に、数瞬遅れて死角へ機体を旋回させた。
『なるほど。特殊武器か。虫けらにしては頭を使っているな』
しかし、旋回は出来なかった。機体の機動力よりも、鳴月を持っている腕部を掴んだ敵の右腕。その膂力だけで機体の動きが完全に止められていたからである。
こちらを凌駕する速度と膂力。基本性能からして圧倒的に差があった。
ボコボコと、瞬時に撥ね上がる2000℃の高熱が装甲を沸騰させ、熱は機体全体へ伝わっていく。
『う、うぉぉぉぉ!!』
イノセントは、強引に機体を捻った。最も熱が伝わっている腕部の肩関節部が千切れ、なんとか離脱。機体全体の溶解は回避する。
漆黒の機体の右腕に掴まれた腕部は、溶けたアイスの様に鋼鉄の素材がドロドロになっていた。【ヴルムIII】のコアの中にオーバーヒートと腕部消失の警告が鳴り響いている。
一瞬ではね上がった熱量に冷却材では処理しきれない為、機体全体が悲鳴を上げているのだ。
『……! ギリギリか!』
それでも、イノセントは不敵に笑った。片腕部を失い機体は警報の嵐。
下手に動けば熱を処理しきれず、数分と経たずに爆散だろう。それでも、確実な一手が空から迫っている事を察していた。
『……親友よ――』
既に【ヴルムIII】は戦闘力が無いと漆黒の機体は悟ったのか、第六ターミナルの方を見て、その様な言葉を口にした。
『まさか……【クライシス】を――させん!』
初めて漆黒の機体が焦る様に走り出す。
【クライシス】。その単語を敵が知っている事に疑問を感じるが、今は答えの出ない事を考えている余裕はない。
体当たりをするように、残りの動力を全て使い、漆黒の機体に突撃する。
『ぬ……』
だが、敵の膂力は予想以上だった。機体の重量を全てぶつけてもその場から僅かに動いただけで、渾身の突撃を耐えている。
イノセントは更に全ての動力をフル稼働し、脚部のローラーに背中のブースターも排熱を考えずに最大値で駆動する。
『てめぇは……こっちだぁぁ!!』
そして、漆黒の機体はしがみつかれた【ヴルムIII】を押し返す事が出来ずに、そのまま踏ん張る地面を削りながら押されて行くが、
『愚かな――』
その瞬間、漆黒の機体は装甲の温度を上げ始めた。
例の高熱装甲。弾丸さえも、接触する前に溶滅させる装備は、アステロイドであっても容易く溶かされてしまうだろう。
その時、足場が消えた。
『!?』
『高熱装甲は……予測済みなんだよ!!』
二機が投げ出された真下には水が存在していた。ウォーターフォードを二分する巨大な運河。そこへ、イノセントは漆黒の機体を押し出したのである。
水の沸騰する音を聞きながら二機は水中へ沈む。そして、空から別の音が聞こえてきた。何かが飛翔する音――
サーモバリック。その飛行物体は、そう呼ばれていた。
別名――燃料気化爆弾。基地に残っていた、“グラウンドゼロ”で使用が検討されていた戦術ミサイルである。
“グラウンドゼロ”にて、管制制御設備が故障しており現在は、ある方法以外に誘導装置は作動しなかった。もしも、万全に使う事が出来たのなら、今回のスカイホールより降りてくる漆黒の機体を狙い撃ちする事も考えられただろう。
大戦時は敵国に直接使用された事例もあり、核に次ぐ、非人道兵器と言われるほどの威力を持つ。そして、誘導する方法は絶えず信号を発信し続ける事だった。
イノセントはシゼンから敵の情報を得た時から決めていた。
『照れるなよ……そろそろテメェの世界に帰る時間だぜ! 不思議の国のアリスちゃん!!』
信号はイノセントの【ヴルムIII】から発していた。無論、例外なしに基地から発射された燃料気化爆弾は、弧を描いて運河に沈みゆく【ヴルムIII】と漆黒の機体へ――
『――――』
「何故ですか! なぜ……『フォルス』は引き渡しに応じない!!」
第8次中央戦争終戦時、イノセントは上官に突っかかっていた。話の論点は『白銀の狂児』と『銀色の悪魔』の引き渡しについてである。
「その件は上層部より決定した事だ。下がり給え、イノセント大尉」
「納得できません!! あの化け物二人に殺された中には、部下の婚約者も居ました! 戦争で死ぬのは仕方ない。でも……あんなの人の死に方じゃない!!」
納得できない。相手が何も知らない無垢な児童だから見逃せと言うのか?
他人の幸せを奪っておいて、自分たちは幸せに生きて行くと言う事なのか?
「大尉! 我々も同じ気持ちだ。私の部下も、例外なくあの兄妹に引き裂かれている」
「ならば! 引き渡しを進めるべきです!」
そうでなければ、残された者はどうやって前に進めばいいのだ。
戦争だから仕方ない。良くある事だ。
そんな言葉を何度も戦場で聞いた。だが、あの兄妹は反省の欠片も無い異常者だ。生きていれば間違いなく、いつか取り返しのつかない害悪をまき散らす。
「だが、上層部は戦争の遺恨よりも、国の今後を優先する事にした」
今後……それは『サンクトゥス』による技術支援の事である。今回の戦争で多くの者達が生き残れたのは、新型のアステロイド【ヴルムIII】のロールアウトが大きな要因だったのだ。
そして、『フォルス』はサンクトゥスの私兵部隊であり、あの兄妹は実質サンクトゥスに保護されたようなものだ。
つまり、強引に『白銀の狂児』と『銀色の悪魔』の引き渡しを要請した場合、サンクトゥスからの技術支援が途絶える事を意味している。
後にアステロイドによる戦いが当たり前となる戦場で、最も支援を受けたい組織からの支援が受けられないと言う事態になるのだ。
「俺は……納得できません」
それでも、制圧した施設で部下の一人には婚約者がいた。しかし唯一、まともな遺体として残っていたのは右腕だけ。そに縋って部下は泣き崩れていた。
人としての死に方もさせてもらえなかった者達の遺体が忘れられない。
イノセントは戦争後、戦死した身内の家族に会いに行き、全てが終わったら軍を除隊した。除隊金として、彼は愛機の【ヴルムIII】一機を求め、軍は承諾。
その後、復興組織タフリールの第6班の班長に誘われて、今の形に落ち着いたのだった。
そして、この都市ウォーターフォードで、当時のフォルス隊員だった、セレグリッドに出会う。
サーモバリックが音を立てて水中に入って来く。弾頭をモニターで確認した。
進路は間違いなく直撃。水中である為、多少は衝撃を抑えられるだろう。
そうか……ようやく、解った。俺は……嬉しかったんだ――
この街で、シゼン・オードを見た時、安心したのだ。
あの時……どんな人間でも“物”の様にしか見れない少年に未来など無いと……心から同情した。
けれど……彼は壊れていても前に進もうとしていた。
『セブンス』であると聞いた時は驚いたが、彼なりに命を懸けて過去を償おうとしているのだろう。
何が悪いのか……誰が悪いのか……一体、何を憎めば良いのか……
誰にもそんなモノは解らない。戦争と言う“悲劇”は多くの人間の魂を、縛り続ける枷だ。解放される事は永遠に無い――
だから、無意識にでも彼は必死に抵抗しているのだ。
勝手な解釈かもしれないが……俺はそれで納得しよう。若い奴を憎むのは、もうこりごりだ――
「じゃあな、ボス。じゃあな、フリュー。じゃあな、エイル。じゃあな――シゼン・オード――」
それが、イノセント・ハーバーの告げた最後の通信記録だった。
光がモニターを包む。そして、【ヴルムIII】と漆黒の機体はサーモバリックの直撃を受け、水中が溢れ出る衝撃と爆風によって吹き飛んだ。
巨大な水柱が上がり、その中には漆黒の機体もその爆発に耐えられるハズは無く――粉々に砕け散り、唯一残った右腕部だけが高く舞い上がっていた。




