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後編

 ローラ・クリスティーネは、とある下級貴族の娘だ。

 花嫁修業になるということで、王宮に勤めることになった。

 よくある話だ。

 外で見ていたときとはまるで違う忙しさに目を回しながらも、何とか慣れてきた頃、とある騎士が声をかけてくるようになった。

 騎士は若い娘たちから人気がある。

 見目が良い上に、家格もそれなりに良い。騎士を名乗ることを許されているぐらいなのだから剣の腕も良いのだから、若い娘たちが憧れるのは仕方ないことだ。

 

 ローラ・クリスティーネは、たちまち恋に落ちた。


 これも、よくある話だ。

 だが、違ったのは、騎士にとってローラ・クリスティーネは単なる情報源にしか過ぎなかった。

 彼女の上司に当たる上級貴族令嬢についての情報を、騎士はほしかった。

 そのために、娘の純情を弄ぶのは仕方のないことなのだ、と。


 気づいたときは、ローラ・クリスティーネは途方に暮れた。

 自分のせいで上級貴族令嬢は危機にさらされ、恋人だと思っていた騎士は会ってくれず、なによりも、腹の中には彼の子がいた。



 ――どうしよう、どうしよう……どうしよう……!



 親に相談することも頼ることもできず、かといって友人たちは彼女を「上級貴族令嬢を売った最低女」と蔑み、縁を切られてしまった。

 どうしたらいいのか、ローラ・クリスティーネには分からなかった。



「……助けて、デイジーデイジー……お願い、もうどうしたらいいのか分からないの……」



 だから、彼女は、ローラ・クリスティーネは、「絶対に裏切らない、自分を助けてくれる友人」を頼った。

 デイジーデイジー、としゃくり上げ、鏡台に映る自分に縋った。

 いつだってデイジーデイジーは助けてくれたから、きっと何とかしてくれる。

 

「お願い、助けて……」


 その日を境に、ローラ・クリスティーネは眠ったままだ。

 なぜなら、デイジーデイジーが目覚めているから。









「アンネリーゼ、ベアベア、カールっていう仲間がいたんだよ、この中にね」


 アンネリーゼは、ローラ・クリスティーネが悲しいとき一緒に悲しんでくれる存在。

 ベアベアは、ローラ・クリスティーネが慰めてほしいときに、抱きしめるためにクマの着ぐるみに包まれた少年。

 カールは、ローラ・クリスティーネが遣り場のない怒りを代わりに表してくれる乱暴者。


「で、あたしは、ローラ・クリスティーネを助けるためだけにいるデイジーデイジーってわけ」


 ちゃんとアルファベット順なんだから、賢いよねえ、とデイジーデイジーはヴェントに茶を差し出した。


「下級貴族のくせに、見栄っ張りでね。ローラ・クリスティーネが小さな失敗する度に両親はひどく折檻したんだよ、小さい頃からずっとね」


 泣き言は許されず、友だちを作ることさえも両親から許可を得なければならなかった子ども時代。

 追い込まれた少女は、「自分だけの友だち」を作ってしまった。

 だけれども、誰にも知られてはいけないときちんと知っていた。

 哀れみと嘲りと奇異の視線に耐えられるような精神であったら、「自分だけの友だち」を作ったりはしない。

 だから、ローラ・クリスティーネは、心の中だけで友だちとの逢瀬を楽しんだ。


 成長して幾たびに、「自分だけの友だち」は小さくなり、役目を終えていった。

 一緒に悲しんでもらわなくても、立ち直れるようになった。

 慰めがほしいときは、自分で気持ちを切り替えられるようになった。

 遣り場のない怒りを、少しずつ吐き出せるようになり、気持ちを伝えられるようになった。


 最後に残ったのは、自分だけ。

 デイジーデイジーは、決してローラ・クリスティーネを、裏切らない。

 その安心感のせいか、ローラ・クリスティーネは、少しだけ辛いことがあると「話を聞いて」と強く求めるようになった。


 デイジーデイジーの存在意義は、彼女の求めに応じることだ。

 ローラ・クリスティーネから話しかけられることは、とてもうれしくて楽しい。

 ローラ・クリスティーネに無理なことだって、自分なら可能だ。

 自分は「そのため」に、「いる」。


 あの時――三年前、彼女はどうしようもない絶望に包まれていた


 たすけて、と、か細い声で呼ばれた。


 ――助けて、デイジーデイジー。もう無理、もう私にはどうにもできないの。


 ――だから、お願い……私を助けて!


 いいよ、ローラ・クリスティーネ。あたしが何とかしてあげる。

 ここから消えてしまいたいなら、ここから逃げ出す。

 腹の中の赤ん坊をどうにかしたいんなら、どうにかしてあげる。

 育ててあげる、ちゃんと産んであげる。


 それで、とヴェントは眉間を揉みながら、「子どもはどうしたんだい?」と続きを促した。


「君に子どもがいるとは聞いてなかったけど」


「そうねえ。去年いっぱい泣いたよ?」


「病気かい?」


「ただの風邪のはずだった。それなのに、どうしちゃったんだろうね、熱がひかなかったの」


 ただただ弱っていく子どもを見守っているだけの自分が不甲斐なかった。

 何でもできるはずの自分なのに、どうして助けられなかったのか分からないままだ。


「小さな声で、ママって呼んでくれて、あの子は永い永い眠りに就いたよ」


 衝撃が大きすぎたせいだろうか、それまで微かに感じ取れていたローラ・クリスティーネの気配も殆ど消えてしまった。

 この身体の奥の奥の、ずっと奥。

 アッシュ、と名付けた子どもの存在は、ローラ・クリスティーネを少しずつ癒してくれていた。

 そろそろ交代する頃かと思っていた矢先の出来事だ、デイジーデイジーは一度に二人を亡くした気持ちに襲われた。


 それでも、時間は過ぎていく。

 悲しみを忘れることはないが、アッシュとの日々はいつまでも温かく、喪失を癒してくれている。

 それなのに、肝心のローラ・クリスティーネがいない。

 ならば、守ろう。

 彼女を守るために自分がいる、裏切らず、助けるためだけに。

 いつか、彼女が「ありがとう、もう大丈夫」と語りかけてくれるまで、その日を待とう。


 それなのに、ヴェントが現れてしまった。

 もう、ローラ・クリスティーネを待つことはできないのだと、デイジーデイジーはそれだけが悲しい。

 悲しいけど、どこかで安堵した。


「ねえ、坊やちゃん? もうローラ・クリスティーネを虐めるひとはいないんだね?」


 ヴェントは学者だ。

 デイジーデイジーを観察する、学者。

 そういう類の学者だ。


 すっかり冷えてしまった茶の入れ替えを頼み、ヴェントは頷く。


「僕は、マーガドロイド卿から頼まれて、ローラ・クリスティーネ嬢を探しに来たんだ」


 聞き覚えのない何首を傾げると、ヴェントは苦笑しながら「子どもの父親だよ」と教えてくれた。

 そうか。

 ローラ・クリスティーネを追い詰めた男の名は、マーガドロイドというのかと頷く。

 三年も経って何を今更とは思ったが、三年の間、ローラ・クリスティーネを探していてくれたのかと思うとうれしい。

 

 そろそろ、幸せになってほしいと思っていた。

 他人のようで、他人ではない大事な大事な「お友だち」。

 とても弱くて、すぐに後ろを向いて、逃げ出してしまうような、本当にどうしようもない、かわいいかわいいローラ・クリスティーネに、幸せになってほしいのだ。

 誰かに頼ることを覚える前に、自分の中に「絶対の味方」を作ってしまった、かわいそうな彼女がどうしたら幸せになるのか考えても分からなかった。

 分かったのは、自分ではどうすることもできないということだけだ。


 助けるためだけに存在しているというのに、ただ自分ができたのは、やり過ごすことだけだ。


 この地に逃げ、子ども生み、育て――喪った。


 このまま流れるように生きて、いつかローラ・クリスティーネが目覚めたら「もう大丈夫だね」「時間が癒してくれるよ」「いつだってそばにいるからね」、これらの言葉で誤魔化して、次の目覚めを待つのだろう。

 綺麗な言葉で塗り固めて。


「……僕の気のせいでなければ、君は疲れているんじゃないかな」


「――そうね、疲れているかもね」


 小さく笑って頷く。

 こんなに長い間、表に出ていたのは初めてだ。

 子供を失ってから、ある意味、自棄になっていたかも知れない。

 以前であれば、ヴェントに悟られるような――いや、違う。店長に気を遣わせてしまうような真似はしなかった。


 ――もう、あたしは無理なんだろうなぁ。


 ヴェントの言う「マーガドロイド卿」はきっとローラ・クリスティーネを幸せにしてくれる、助けてくれる、守ってくれる。

 自分以外の誰かが、実際に彼女のそばに寄りそい、抱きしめてくれるのだろう。

 自分には決してできないことを、彼女が本当に望んでいることを、与えてくれるのだ。


「ごめんなさいね、ずっと年上のあなたを、坊やちゃんなんて呼んで」


「なかなか新鮮で楽しかったから、気にしないでいいよ」


「そうねぇ。多分――うん、多分、近いうちにローラ・クリスティーネに会えると思うよ?」


 そろそろ交代しよう。違う、交代じゃない、かつての仲間たちと一緒だ。自分にも消えるべき時が来ただけだ。

 彼らよりずっと長い間、大切なローラ・クリスティーネと一緒にいることができた、自己満足に過ぎないことだろうけれども、間違いなく、この数年間は彼女を守っていた……と、思いたい。


「そうか。ああ、残念だな。僕は割と君のことを気に入っていたんだよ」


「あら、うれしい。どれぐらい?」


「君が望むなら、連れて逃げようかと思っていたぐらいかな」


「あらまあ! 坊やちゃんったら素敵! ああでも残念ねえ、あたし、本当は黒髪なのよねえ」


「ん?」


 ローラ・クリスティーネは、淡い金髪に淡い青色の瞳。

 お人形さんのように可愛らしく、整っている顔立ちだ。

 意識していなかったにしろ、ローラ・クリスティーネを見て、誰も子どもを産んだとは思わないだろう。

 今は幾分疲れた顔をしているだろうが、それが更に儚げに見せるに違いない。

 少なくとも、デイジーデイジーはそう周囲に言われていた。


 そして、そう言われる度に、苦笑するしかなかった。


 この身体は、ローラ・クリスティーネのもの。

 髪も瞳も、全てが、ローラ・クリスティーネが持つ色だ。

 しかし、デイジーデイジーは違う。


「あたしねえ、くるっくるの黒髪だし、目は緑なの」


 ローラ・クリスティーネではなく、デイジーデイジーとして目覚める度に、少しずつ自分の形がしっかりとしてきているのに気づいた。

 まったく違う存在を、と彼女が望んだせいかもしれない。

 鏡を見る度に、どうして黒髪じゃないのかと息を吐くのは毎日のことで、でも、仕方がないと諦めるしかなかった。

 どんなに自分の「設定」があっても、「身体」は自分のものではないから。

 

 そして、ヴェントは。

 苦笑なのか、それとも、単なる笑顔なのか、区別の難しい表情で「そうか」と頷いてくれた。


「君は、僕が思っていた以上に、君なんだね」


「やぁだ、学者先生。難しい言い回しなんてされても、あたし分かんないよ」


「僕は、黒髪の君を見てみたかった」


「それはほら、神さまがお決めになられることねえ」


「それでいつ頃まで、君は君でいられそう?」


「んー……まあ、ローラ・クリスティーネと話しあって……取り合えず、二日はあたしでいると思うけど?」


「そっか。じゃあ、とりあえず、今夜、僕と一緒に寝てくれる?」


 こう見えて、僕は割と本気で君が好きだったんだからね、と淡々と、だけどどこか辛そうな顔のヴェントの頬に口付けた。






 デイジーデイジー、と耳元で囁かれることが、こんなにも幸せだとは、しらなかった。




 知らないままでいたかった、なんて思わない。

 こんな最後を迎えられるのだから、きっと自分は間違いなく幸せだ。




 ああ――嗚呼、大切なあたしのお友だち。

 最後まであなたを守っていたかった、守りたかった、助けたかった、助けられると思っていた。

 だけど、もう無理だから。

 残してしまうあなたに、乞うことなどできないけれども、だけど、どうかお願い。



 どうか、幸せに。



 しあわせに。












 坊やちゃん、と呼ばれて振り向く。

 そこにいるのは、強い癖毛の黒髪と緑の瞳の少女。

 呼んだ少女も何を口走ったのかと戸惑っているのがよく分かった。


「……君の名前を聞いても?」


 男は泣き笑いの顔のまま、少女の前に膝をつき、手を握る。


「僕は、ヴェントって言うんだ。君の名を教えてくれるとうれしいな」


 少女は、一瞬だけ迷い、だが、男の問いに応える。


 それは、花の名前で――。


デイジーの花言葉は、「純潔」「美人」「平和」「希望」

赤いデイジーの花言葉は「無意識」


なので、隠された花、というタイトルでした。

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