嗤う33、閑話
「……クルト、体に異変はないか?」
「母さんのビンタは痛かったけど……」
いつにもまして神妙な顔で父はクルトの髪を撫でる。
「苦しいとかは無いんだな?」
「うん、別に。……普通だけど」
「異変に気付いたら直ぐに言え。いいな?」
険しかったのが嘘のように父は優しく、それが不思議でならなかった。
「え、うん。……なんで、そんな心配してるの?」
「ダークエルフについて教えてやる。あれは私たちエルフとは全く異なる存在だ。私たちは五大精霊の加護を受け、精霊王を信仰している。逆にダークエルフは闇の精霊に好かれ、魔神を崇めている。姿形は似ているが、存在そのものが違うのだ。あの湖にはもう行くな」
「そんな……。でも、リーアは一人で寂しそうだった。オレは会いにいきたい」
「お願い、クルトお願いよ……。行かないで」
泣き崩れたように懇願を口にする母にクルトは首を傾げるしかない。そんな思い詰めるような事じゃないとクルトは母にゆっくりと喋る。
「母さん、そんな心配することないよ、リーアは良い子だよ」
「違うのよ……ダークエルフとは仲良くなれないの」
母さんはどうしても西の湖に、リーアと会わせたくないらしい。こんな母ではなかったはずだ、どうして。
「……理由は?」
「……ダークエルフに見初められると必ず死ぬからだ」
母ではなく、父がクルトへ。ダークエルフと仲良くすると死ぬと。
――数時間前に彼女の口から聞いた。ダークエルフは災いを呼ぶ。彼女は寂しげにそう言った。
「でも、そんなのは迷信だよ」
そんなことあり得ない。いくら闇の精霊に好かれていても、人を殺めることはできない。父だってそのことを分からないはずがない。
「私たちも迷信だと信じていた。いや、今もそう信じていたい。……だが、現に二人が亡くなった」
「何かの間違いだよ。ダークエルフだからって関わった人みんなが死ぬわけじゃない……」
「ああ、事故や不運なことで二人は命を落としている。高齢の薬師は調合のミスで、狩人の男は獣に食い殺されてな。……どちらもその道におけるベテランが、ふとしたミスで死んでいるんだ」
父は本当に迷信だと言い切れるか? 歯切れ悪く続ける父にクルトは口を閉ざした。二人の様子に何を言っても駄目だと悟ったのだ。
「わかった、わかったよ。……もう湖には行かないよ」
反論したところで耳を傾けてはくれない。リーアのことを無理に分かってもらおうとは思わない。
母はクルトのことを大切に思い、父はクルトの身を案じている。
――二人とも自分のことを心配している。
このことは変わりようがない事実で、その気持ちは本物で。二人とも息子を思ってのことなのだ。
――こう言うしかないじゃないか。クルトは誰にも見られずに拳を握る。
クルトは生まれてから初めての嘘をついた。
クルトはあれから何度も父と母をはぐらかして西の湖に来ていた。採取や獣狩り、友達と遊びに行ってくると理由をつけて。
一月は経った。まだまだリーアとは出会ったばかりで仲は縮まっていない。ふとした瞬間に、一定距離置かれている距離感が二人の仲を如実に表していた。それでもなお、クルトは足を運ぶ。
「……どうしたの?」
今日もまた会いに来ていたのだが、無意識にため息でもしてしまったらしい。
リーアもまた気兼ねなくというわけにはいかないが、少しでも気にしているのはリーアが優しいから。
こんな子を一人にさせるなんて大人は何を考えている。
クルトはあれから落ち着いた頃合いを見計らって父と母に話してみた。結果は相も変わらず、親が駄目なら里の皆へと……話したのを後悔するぐらい酷い言われようだった。
そこで、クルトはリーアの良さを知ってもらうことを断念し、皆には黙ってリーアと会いにきていた。
リーアが暮らしている所はとても貧相な家だった。見よう見真似で作ったであろう木造の家は三人も入れば手狭なもので、技術がない組み立てでは風避けも満足に出来ていなくて。
初めにお邪魔しに来たときは家の補修をやったものだ。
「ううん、何でもないよ。ちょっと嫌なこと思い出したんだ」
大人達は不確かな迷信を信じている。リーアを里の生活圏内から遠ざけているが、里の領内からリーアが追い出さないのは僅かばかりの良心が残っているからか。それとも、災いが怖くて一切関わりたくないからなのか。
どちらにせよ、相互関係とも呼べないこの現状は破綻する。
「……わたし、のこと?」
「ち、違うよ。オレの父さんと母さんのことでだよ」
「……話だけなら聞くけど」
「大丈夫だって、本当に何でもないんだ」
「そう……」
「うん、ごめんね。……今日はもう帰るよ。また来るね、リーア」
「……うん、また」
こんなではリーアを困らせるだけだとクルトはいつもより早めの退出をした。別れを告げ、里の集落へと続く道を歩いて頭を悩ませる。
こうやってリーアと会いに行っている状況がいつまでも続くとは限らない。多分、はぐらかして行っていたらいつしかバレる。
そうなったらリーアとはもう会えなくなるかもしれない。
――それは嫌だ。
今の状況を改善しなくてはならない。
どうすれば、リーアを認めてもらえる。里の皆にとは言わない。普通に会話して、普通に暮らせる状況になればいい。
――オレは何をすればいいんだろう。そう思案しながら里に着いたクルトはふと足を止めた。
金具が擦れる音に、大勢の足音や雑音。見慣れた里の者達が弓を担いでいた。だが、狩猟するための装備ではない。
あれは、対人用……昔に起きた戦争で使った武器や防具だ。所々古びているのは倉庫で眠っていたものを引っ張りだしてきたのだろう。エルフの彼等に似合わない格好で、里の入口に皆が集まっていた。
それに楽観視ができるほど、クルトは今の現状を理解していないわけではない。とても嫌なものを連想してしまう。
「まさか、嘘だろ……」
嘘であってほしい、早とちりで済めば。こんなに早く、冗談だろうと。脳裏に浮かぶのは現実逃避。
クルトはふらつきそうになって、獣避けの柵に手をついた。頭を抱えたくなる衝動を抑え、吐きそうになるのを我慢する。
予想通りであれば、最悪がそこまで迫ってきていた。
「みんな用意はできたか! 魔女は禁忌魔法を使う、強化魔法は念入りに後方隊はディスペルを中心にやってくれ!」
先頭で声を張り上げたのは緑髪のエルフ、クルトによく似た人物。父が武装したエルフを率いていた。
「なんで、どうして……!?」
魔女という言葉に禁忌魔法。リーアのことを言っている。対人用の装備からして、穏やかな話し合いをするために皆が集まってはいない。
一目瞭然のことを視線から外すわけにはいかず、分かっているから思考を巡らす。
「クルトか、お前は家に帰りなさい。母さんが心配している」
「ねえ、父さん。……これは何をするつもりなの?」
確認だ。とても意味がない確認。しようとしていることは一つだけ。
でも、間違いだと嘘だと言ってほしくて。
問い掛けた父は何も言わない。クルトに帰れと告げるなり、武装集団の元へ行き出発しようとする。
「ねえ! 待ってよ、父さん! これ、何をしようとしてんのさ!?」
それはないだろとクルトは父に掴みかかった。
「……ただの駆除する人員だ」
至って涼しい顔を崩さない父はクルトに言う。
駆除ってことは殺すこと。――まさか、本当にリーアを?
「駆除って、なにを……」
「……お前は魔女にたぶらかされている。まだ死ぬのは早すぎるんだ」
迷信を信じて、脅威を排除しようとする。――確証もないのに、父は実行に移したのか。もしや、母さんかもしれない。
どちらにしろ、殺すなんて短絡的すぎる。
「何が魔女だよ! おかしいだろ!」
クルトは翻した。リーアに命の危険が迫っている。知らせないと、そう一心で。
木で作られた家が何軒もあり、干された獣の皮や冬に向けて蓄えている縄で縛った薪。
今まで暮らしてきた里を背中に駆け抜ける。後ろを一目振り返ったクルトに映るのは見慣れた里。
視界に入るのは家族や親しいエルフ達。
その者は危害もない少女を殺そうとしている。そう思うと、途端に全てが色褪せて見えて。
ぐちゃぐちゃな感情が胸を圧迫させる。気持ちを吐き出すためにクルトは首を振った。
森の中を無我夢中で走るクルト。後ろをつけられていないか確認しながら、リーアの家に向かった。
エルフの皆はまず西の湖に行くはずだ。尾行されていなければクルトが先にリーアと会える。
西の湖付近にリーアの家があるが、何度も行来したクルトは近道も知っている。子供の脚力だとしてもそうそう追いつかれる心配はない。
息も切れ切れにクルトはリーアの家に着くと門前で大声を上げた。
「リーア! 大変なんだ、早く荷物纏めてここから逃げなきゃ!」
クルトの大声に銀髪の少女は現れた。
「どうしたの……?」
「里のみんながリーアを殺そうとしてる。オレのせいなんだ。父さんと母さんに話したから……リーアと会ってたのも多分バレてた。……ごめん」
苦々しく口にする。里の皆が、父さんや母さんがこんなにもダークエルフを危険視しているとは思いもよらなかった。
いや多分、心のどこかで楽観視していた。里の同郷達が少女を殺すはずがないと、信じていた。クルトは自分の過ちに頭を下げる。
それに、リーアは理解した。ついにこの日がやってきてしまったことを。
「ううん、謝ることはないよ。いつかこうなるってことは分かっていたから、悪いのはわたし。……ごめんね、迷惑かけちゃった。わたし、ここから離れるよ」
「リーアは何も悪くない。里のみんなと、それを防げなかったオレが悪い」
「違うよ。わたしが、ダークエルフだからだよ」
確かにリーアはダークエルフなのだろう。肌が褐色で、髪は銀色の煌めきをしている。僅かに赤い瞳はクルトや他エルフの容姿とはかけ離れていて、里のエルフ達から厄災を招くと嫌悪されている。
でも、リーアと話してみれば想像していたものと違った。
魔女や悪魔、そんなものじゃない。
彼女はただの女の子だった。クルトと同じ年代の少女。
殺されるようなことは何一つしていない。




