11.イナリの山
皆様すでにご存じかと思うが、イナリ大社の信仰の対象はフシミの主。そして、フシミの主が降り立ったというイナリ山の三つの峰を聖地とし、フシミの主の代わりに崇め奉っておる。
当然、社も三つの山の頂にそれぞれ作られている。
山と言っても、女子共が下駄履きで登山出来る程度の低い山。修行もへったくれもない。キョウに近いことから、お公家様の女子共の良き行楽地と化している。フシミの主談。
『それもこれも、私がこの地を離れたからだ』
ズンズンと山道を登っていくフシミの主。勝手知ったる参道でござるかな?
鬱蒼と茂る木々の間を登っておると、途端に景色が開けた。
『ここが四ッ辻と呼ばれているところだ。景色が良かろう? 私が一押しする景観地だ』
薄い岩が幾重にも重なって斜めになってる岩が山のてっぺんのように起立する場所があって、そこが展望台となっておる。二十畳ほどの広さだ。東側にに小さな祠が祀られていた。
『地殻が隆起した証拠ですね。堆積した地層がほぼ45度になって露呈しています。これは珍しい! タモさんに教えてあげたい』
タモさんとは、前前世でのミウラの知り合いなのだとか。ミウラの賢者が火を吹いてござる。地面が隆起する? 馬鹿なことを申してアハハハ!
「眺めが良い。ここから見下ろすキョウの町は美しいでござるな」
木が邪魔で御所は見えぬが、下キョウが見渡せる。絶景かな絶景かな! 心が洗われるでござる! ここでお握りを食したかったでござる。
四ツ辻と呼ばれるだけあって、四本の参道が合わさる場所でござる。
「えっ! ああーっ!」
後ろから悲鳴が聞こえた。振り返ると、下男ぽい格好の男が某らを指さして、後ろへつんのめって、尻餅をついた。
「イナリ大社の関係者でござるかな? こちらはフシミの主にござる。こっちの縞々がスルガの神獣、ミウラの主。某はミウラの主の巫女にござる。暫し厄介になる」
「へっ! へーい! たいへんだぁー!」
男は叫びながら、転がるように参道を下っていった。西へ下っていく参道にござるな? 転がらなければ良いが。
開けた場所なので、春の風が吹き抜けていく。ミウラのお髭が風に揺れる。
フシミの主は、岩の上におっチョンして、街並みを眺めておられる。なんというか、こう……昔の思い出に浸られているというか? 声を掛けづらいでござる。
『美しい景色だろう?』
フシミの主様が遠い目をしておいでだ。キョウの町並みよりずっと遠いところを見ておられるようでござるな。
『昔、私にも巫女がいたのだ。あの者が好んでここからの景色を眺めていた。お気に入りの場所だと思っていたんだが、どうやら違っていたらしくて』
柔らかな風が、フシミの主のお髭を撫でて通り過ぎる。
『今から思えば、都の実家を懐かしんでいたのかもしれないな』
あのお話でござるな。ヒエの大宮司様のお話。フシミの主の巫女様の悲劇。
『この先が一の峰、山頂だ』
フシミの主が西を指された。気持を切り替えられた模様。湿っぽい雰囲気はすでに無い。
『そこに社がある。整備されていれば、今でも使えるはずだ。人の足だと少し遠いが、来るか?』
「一夜の宿にできるなら」
『屋根があれば』
『ふふふ、付き合いが良いな』
して――
四ツ辻から峰歩きでござる。緩やかな上り坂と緩やかな下りが不規則に続く。
ふと気がつけば崖っぷちの道を歩いている。足下も岩に変わる。
やがて突き当たり。道は左へ直角に曲がり、狭い昇り道になっておる。
『休憩にしよう。その下に湧き水が滝みたいに落ちてるはずだ』
脇道を下ると……おお、背丈の三倍程の高さより、数条に別れた水が落ちておる。
手で掬い……手のひらでバチバチしてすくえぬので、滝壺っぽい水溜まりからすくって飲む。
「つめたい! そして旨い!」
『どれどれ? ペチャペチャペチャ。ほおー! ミネラル豊富な軟水。これは名水ですよ!』
『ふふふ……』
フシミの主ははにかむように笑われた。
して――
一の峰の社にござる。
かなり古い社にござる。
「されど、上に上がることは出来る。埃も積もってない。掃除が行き届いておる」
『蔀付きですね。ここで暮らそうと思えば暮らせますよ』
『いいから上がれ。遠慮するな』
フシミの主は、ヒョイと跳び上がり、カチャカチャと爪の音を立てて奥まで歩いていく。
最奥には神棚がこしらえてある。二柱をお祭りしておられる。フシミの主と、もう一つは誰でござろうかな?
フシミの主は、祭壇を背にお座りなされた。木漏れ日が斜めに差し込んできており、ミウラと違って、そのお姿は神々しい。
してて――
旅の装束を解き、おブラとおパンツ一枚でござる。
『おほう!』
『うほう!』
「ミウラの主、お着替えでござる」
『チッ!』
『チッ!』
ぎゅるると光の帯が体に巻き付き、あっという間に巫女装束にござる。
「いまさっき、フシミの主、舌打ちしたであろう?」
『いや、してないぞ。そんなことより、人が来た。また面倒なことにならねばよいが』
複数の足音が聞こえる。走っておられるようだ。
飛ぶようにして現れたのは、やはり神官服の男達、四名でござった。
先手必勝にござる!
社の中から、男共を見下ろす。丹田に力を込め、声を張り上げる。
「ここにおわすは、フシミの主。並びにスルガの神獣ミウラの主でござる。某はミウラの主の巫女、イオタでござる。神無月のイズモ大社にて神獣様方が集まりしおり、フシミの主と親交を暖めたのでござる。ミウラの主と某は、フシミの主の招きにより、キョウへ参った。先ほど、禁裏にて帝と面会を致し、その後すぐにフシミの主の招きでイナリ山へと参った次第にござる」
一気に説明した。
「は、は、あ、ああーッ! 畏れ多くもフシミの主におかれましては、再びの顕現、誠に嬉しく――」
以下、長々とフシミの主を称える文言が続く。
一通りの挨拶が終わると、目で合図された。こっち来てくれませんか、と。
「失礼仕る」
礼儀上、一言断って神殿を降りる。
『イオタ、適当にあしらっといてくれ』
神の言う適当が迷惑でござる!
「私、イナリ大社の宮司を務める者です。折り入ってお話がございます。しばし、ご同行願えますか? こちらです」
手で指し示す方向に、こぢんまりとした東屋っぽい建屋がある。そこへ招かれた。
「まず、失礼かと存じ上げますが――」
「神獣の巫女のお話でござろう? 某はフシミの主の巫女ではなく、ミウラの主の巫女でござる。皆様方の言いたいこと聞きたいことは解っておるつもりでござるよ。某は、好んでミウラの主の巫女をやっておる変わり者にござる。心の病とは無縁でござるよ。この耳も尻尾もお気に入りにござる。安心してくだされ」
「「「「ほぉー」」」」
宮司様を始め、神官、禰宜の方々が安堵の息を吐かれる。
「フシミの主の巫女殿は可哀想にござったな。フシミの主も、心を痛めておいでだった。悪いことをしたと深く気に病んでおられるようでござる」
「お話はお聞きでございましたか……。百と数十年前のあの日より、フシミの主はイナリ山を離れヒエイの山へ籠もられた。この場の思い出がお辛いのでございましょう。以来、一度もお戻りになられておらぬ。我らもフシミの主のお気持ちを慮り、この事には触れずにおりました。されど、今日、イナリのお山へお戻りになられた。例え一時のことであろうとも、我らは心の安寧を得た気持ちにございます」
そう言って、宮司様と神官の方々は、頭を深く下げられた。
「フシミの主はその方らに愛されておったのでござるな。あの方は心優しきお方にござる。優しいが故、悲しみに敏感でござる。しかし、訳ありで、なおかつ某らを連れてでござるが、イナリの山へお帰りになられた。少しは心の怪我も癒されたのでござろう」
「訳ありとは……ムロマチの方向でございましょうか?」
「来ておられるのかな? 会いたくないのでござるが」
「麓の社務所にて足止めを致しております」
「うむ、でかした! フシミの主、ついでにミウラの主にも、褒めていただけることでござろう!」
「ははーっ、有り難き幸せ! ところで、何故、逃げるようなことを?」
「うーん、話せば長い事ながら……」
イズモの一件から、今朝の禁裏でのお話。公方様のお話まで全部話した。
「……というわけで、ここまで逃げてきたのでござるよ」
「なんと!」
宮司様が、お怒りにござる。
「神獣様をも恐れぬ不埒な行為! 許せませぬ!」
「しかし宮司! 相手は武家。しかも武家の頭領でございますぞ!」
宮司はやる気だが、配下の者達に動揺が走る。
下っ端の方は、武力を恐れておられるか、ムロマチの影響下にあるのか。異を唱えられた。
ここはもう一押ししておこう!
「フシミの主は、隠れる先にイナリのお山を選ばれた。フシミ大社の者達は神獣への信奉も厚く、頼れる者達ばかりだとおおせになってのう。自信満々のお顔で、ミウラの主と某を率いられてこられたのでござるよ」
「なんと!」
これには先ほど弱音を吐いた男の目にも、熱い炎がチラチラと見え始めたでござる。
「そこまでのご信任。神官冥利に尽きます!」
「フシミ大社にも、ささやかながら武力がございます。ムロマチ勢ごときに舐められては困りますなぁ!」
「ここは我らフシミの主に仕える者共にお任せを!」
皆さん、顔を見合わせてウンと力強く頷かれた。いいのかな? 死亡ふらぐとやらが立ってござるよ。
「命に替えて阻止いたします。どうか、心安らかにお過ごし下さい。おぬしら!」
合図とともに、四人の内、二人が駆けていった。息がぴったりにござる。見ていて気持がよいのでござる。
「さて、イオタ様。食事がまだでございましょう。心ばかりの膳をご用意させていただきます。どうか、今宵はごゆるりと過ごし下さい」
宮司様が深く一礼された。残っていたもう一人が、綺麗な作法で退席なされ、麓へ走って行かれた。
再び面を上げた宮司様の目は、ギラギラと光っておった。
狂信者が味方になったでござる!




