9.東風様のお屋敷
「い、命があった。まさしく命を拾ったでござる!」
寿命が四十五日縮まったでござる! それもこれも全部、神獣のせいでござる!
『いいんですよ、イオタの旦那。帝は神獣の一個下。本来、神獣の巫女は帝の母上と同じ扱い。つまり、現世の天照大神相当なんですよ、イオタの旦那は!』
『ミウラの主が言っとる意味が分からんが、帝程度でオドオドする必要はない』
オドオドするでござる!
が!
「お主ら、後で話がある。内裏の厠の裏へこい!」
『ほほー面白い』
『フシミの主に逆らうか?』
「ミウラに対して、しばらく致しは中止でござる。フシミの主は、二度とオッパイを見ることは叶わぬとお思いなされ!」
『ごめんなさい』
『済まぬ、許せ!』
「ところで、何故、禁裏へ某を連れていったのでござるかな? フシミの主?」
『キョウと言えば禁裏だろう? みんな一度は行きたがるものだ。帝と会えたんだ。喜べ!』
「喜ぶ前に緊張で死んでしまうわーッ!」
フシミの主は、人が帝に会うとは、どういう事か理解しておらぬッ!
でもって今、色々あって、東風様のお屋敷で縮こまった精神を寛がさせているところにござる。
大広間の仕切りを取っ払い、大型獣であるフシミの主とミウラを放し飼いにしている。もう獣で良いよね!
さっそくあちらこちら、屋根の上とか温かい庭とかをウロウロしておられる。
「おお、イオタ殿。ご気分は如何でおじゃるかな?」
東風様がいらっしゃった。いまだ束帯? 禁裏でのお仕事服のままでござる。
「これはこれは! 気をお遣いいただいて申し訳ない」
あわてて姿勢を正し、頭を下げた。帝がさらっとおっしゃっていた。東風様のことを大納言と。とんでもなく高位のお方にござる。某、大納言様の上の役職を知らないでござる!
「まあまあ、堅苦しいことはやめて寛ぐが宜しかろう。白湯のお代わりをお持ちいたしましょう」
白湯を飲むのもこれで三杯目にござる。これだけ飲んでも喉がカラカラでござる。全部汗で出てしもうた!
東風様は優雅な所作で座られた。手に、何やら包みを持っておられる。お弁当箱程の大きさでござる。
「キョウへ来られるまえにヒエへ寄ったそうでおじゃるな?」
「昨夜は、お泊まりさせていただきました」
「うむ……そこで聞いたでおじゃろうな? イズモのこと」
「は、はい。アマゴが討伐したと」
「うむ……」
東風様は眉根に縦筋を三本立てられた。
「禁裏では思わぬ邪魔が入ったので話が進まなかったが……あの底辺公方めが! ろくな事せん!」
お怒りにござる、某ではなく公方様でござる。某でなくてよかったでござる。
「イズモの阿呆共も阿呆共でおじゃる。素直に罪を認め温和しくしておれば良いものを。結局、族滅させられおってからに! 元々は当事者のみが断罪され、家族親族は公職を追われるだけで済む温情ある裁決が下されたのでおじゃる。それを不服とし、結局大事なお家を潰し、血を絶えさせた。愚かでおじゃる! 神獣様からの申し送りもあったのに」
うーむ、某、恨みを買うことなど一度もしておらぬのに。むしろ協力しておったのに。
『この時代の人、というか、人って本質は悪です。己が身のみを立てるのみの近視的な……これも愛ですかね?』
「しらぬわ!」
『フフフ、これでイオタも、神獣が人と関わり合いを持つという事が、どういう事か、理解できたのではないかな?』
「フシミの主様の仰せの通りにござる。某、権力者とはもう口を利かぬ! 何もしなくとも圧をかけてくるお方がたばかりにござる!」
プンスカにござる!
「おほほほ、では麿も圧をかけておじゃるかな? いや、かけておじゃるな?」
「東風様は別格でござる! 持ちつ持たれつは当たり前にござる」
「そう言ってくれて嬉しいよ、イオタ殿」
ふぅと息を吐き、冷めた白湯を飲む。ようやく、水の味がした。キョウの水は甘いのでござるよ。
「ではのう、イオタ殿、真面目な話がおじゃるのだ」
「何でござるかな東風様。なんだか正式な命令のような気がするでござる」
その衣装でござるからな。そう見えて仕方ない。
「……帝とお目見えしたイオタ殿に官位の相談でおじゃる。従一位。……受けて頂けるかな?」
歯切れが悪いでござる。東風様。
『ええっ! 従一位って、えーっと、フシミのイナリ大社の一個下!?』
『もらっとけイオタ! もらうのはタダだぞ! もらうだけもらって、言う事なんか聞かなくていいから!』
ミウラとフシミの主はもらっておけお祭りにござる。
されど……様子がおかしい。
「聞きたいことがおじゃれば、今のうちに聞くが良い。何でもお答えしよう」
東風様の目が……目が怖いくらいに圧を掛けておられる。
これは、嫉妬とかそんなのではない。気迫が負ではなく正の物。よくよく考えよとの仰せでござろう。
「……ではお言葉に甘えて、東風様の官位は?」
「……従一位より下でおじゃる……」
こ、これは、……このお話、諭されるまでもござらぬな。
心の蔵が音を立てて跳ねだした。
よく考えよ、某!
『どうしたんですか旦那? 酷い顔をしてますぜ』
『イオタ、従一位では足らんか? そうだよな、私の本懐地であるフシミ大社は正一位だからなぁ』
それでござる。神獣様は人の作った法と無縁の存在故に、人の法を知らぬ。悪気はないのでござるが。
「如何致す、イオタ殿?」
東風様が催促してきた。早く判断せよと仰せだ。
「東風様、某、判官様が大好きで……子供の頃、詳しく調べたほどでございます」
「……ほほう。という事は?」
「判官様は、兄に撃たれた」
「ふむ。では一旦断りを入れるか?」
東風様の表情が緩んだ。どうやら正解を言い当てた模様。
『あ……そうか、そういうことか』
ミウラは解ったようだ。
『おいミウラの主、ハンガンってなんだ?』
『クロウ判官。ミナモトのヨシツネ。ヨリトモ公の弟君。ヨリトモ公は、朝廷の影響力から逃れようと、遠いカマクラの地で幕府を開いた。だのに、ヨシツネは朝廷から官位をもらった。兄に相談する前に受け取った。受けとらされた。故に、朝廷の影響力を阻止するため、謀反とされ兄に撃たれた。悲劇の主人公でございますよ』
「判官殿はカマクラ幕府最大の戦力でござる」
『なるほど。なかなか! 官位しか与えられぬ朝廷が仕掛けた攻撃か。えげつないことをするな』
えげつないのでござる。
『イマガワの御屋形の官位は何でしたっけ?』
「たしか、従四位だったか?」
「従四位上、修理大夫でおじゃる」
東風様が、会話における某の言葉だけで答えを推測なされた。頭の良いお方にござる。
うーむ、これはあからさまな陰謀でござる。ここまで明け透けにした理由が分からぬ。余程、某が阿呆に見えたか……或いは、神獣の巫女とは言え、所詮は下賤の者よ無知蒙昧な小娘よ、と見下しすぎたか?
どっこい某の中身年齢は百歳に届いておる。四十や五十の小僧とは生きた年と経験した場数が違う。
ならば、ここいらでいっちょイオタさんの素晴らしい頭脳をお見せしよう。
「……因みに、東風様。これは帝のお考えでござろうか? それとも、いずれの誰か様からの御推挙でござろうか?」
東風様は、すぐにはお答えなされなかった。
ゆっくり十を数える間があった。
「……公方様のご推挙でおじゃる」
某、自分自身で眉がぴくんと跳ね上がるのを感じたでござる。
東風様は続けてお話しされる。
「……公方様、というよりは……」
「言うよりは?」
「ケイチョウ」
「ケイチョウ?」
「ホソカワのケイチョウ家でおじゃる。アシカガの公方様を担いでいるのがホソカワのケイチョウ家。対抗馬としてアシカガの小倅を担いでおるのがホソカワ家でおじゃる」
「ややこしいでござる!」
「ホソカワ家に支えられたアシカガがホソカワを見限り、敵対するホソカワについて――」
「もう良いでござる東風様!」
『もうホソカワとアシカガだけでいいんじゃないの?』
して――
如何致す? という時点へ戻った。
「官位の贈呈はお断り致す。神獣様の巫女として人の作りし官位は受けられぬという理由で」
「神階という制度もおじゃるが?」
あ、イナリ大社は正一位をお持ちでござった。……断る理由として弱いという事を指摘されておられるか?
「……ならば、主君に相談もせず、勝手に決めてはいけない。判官殿の前例がござる」
「今、一声!」
「うーむ……」
『でしたら……イオタさんは神獣が与えた巫女の資格、第一級を持ってる? 神獣の巫女1級免許持ちということにすれば?』
『それは面白い。イオタは一級巫女だ! 私が認めよう。でもって、今回の騒動が落ち着いたら、私が根回ししてやろう!』
『フシミの主。巫女階級は3級から1級までの三段階としましょう。下手に階級を増やすと公家社会みたいになる』
『よしよし! いいぞいいぞ! ならば……』
神獣様同士で盛り上がってるでござる。
「イオタ殿、神獣様はなんと仰せでおじゃる?」
「えーっと……」
内容をかいつまんで話した。
「ホッホッホッ! それなら完璧でおじゃる。その旨、お伝えいたしましよう。されど、最低三度は再考を促されますぞ!」
ちょいと楽しそうな顔をしておられる。
この問題に対してどう対処するか、と聞いておられる模様。
「では、返事が帰ってくる前に逃げるといたそう。いまから出立致す」
早速立ち上がった。逃げを打つのは得意技にござる! ンがッ!
「……とはいえ、せっかくキョウへ参ったのに何もせず帰るのは心苦しいでござる」
『ほほー。……ならば……フシミのイナリ大社へでも行くか? 私の実家だ。強力な守り札になろう』
『どうせなら歩いて行きましょうよ。歩いても2時間、えーっと、半時程です。キョウや周辺の景色を見ながらゆっくり歩きましょう。旅らしいじゃないですか!』
「フシミのイナリでござるか。それは良いご提案にござる。早速出立いたそう」
兵は拙速を尊ぶ。時刻はまだ昼過ぎ。いまから出れば日が暮れる前に着く。
「ならば、これを」
東風様が持ち込んでおられた包みを差し出された。
「こんな事もあろうかと、お弁当と水筒でおじゃる」
にまりと悪戯小僧のような笑顔を浮かべられる。その包みは、この事あると予想して、用意しておられたのか。
「かたじけない」
喜んで頂くとしよう。
すっくと立ち上がり、巫女装束を脱ぐ。下着一枚……おブラとおパンツの二枚姿になる。
『おおー!』
『おお!』
「おお!」
男共の声が上がる。……しまったでござる。されど済んでしまったことは仕方なし。過去はもう戻らぬ。このままお着替えを続行する。
荷物より取りだした小袖と小袴を手早く身につけ、足下と手元を固める。尻尾は出したまま、腰に軽く回しておく。日よけの笠を被り、旅姿完成でござる。
「お見送りは出来ませぬが、道中の無事をお祈りしておじゃる」
忽然と消えることにより、東風様に迷惑をおかけしない。そういう筋書きにござる。
「麿も近いうちにスルガへ下向致します」
東風様も逃げる算段を付けておいでのご様子。
東風様が、視線を外すために俯かれた。別れの挨拶にもとれるし、逃げるところを見てないよ、ともとれる伏せ方にござる。さすが年の功にござる!
正面の門を飛び越え、堂々と通りへ出る。門をくぐっておらぬよ!
御所と名の付く場所を避けて遠回り。もとい、町並み見学のため、問題の地、もとい、見たくないお屋敷を大きく迂回しながら東へ向かう。第一の目的地は鴨川でござる。
されど、神獣二柱を連れて歩く若者武者姿にござる。ヒトの目を引くわ引くわ!
『道案内は任せろ。……イナリ大社へ戻るのも久しぶりだ』
フシミの主の意味ありげなお言葉を聞きつつ、ようやく旅らしい旅が始まったのでござる。




