22. 新しい憎悪
氷のように冷たい瞳に見下ろされていた。
「これはどういうことですか」
ケンペラード王国の女王、ネアリー・コードガンはいう。プリーナたちを手に乗せたシーベルは、ぐっと言葉に詰まった。
「や、やんじゃねえか……でかくなったウチを見下ろすなんて」
「そのようなことはどうでもいい」
「何をーっ?」
「シーベル・クレッツァー。何故我々の希望であるべきあなたが、魔族と共にいるのです」
女王は語気を荒げもしなければ睨んだり汚い言葉を使ったりもしない。にもかかわらず、その声には異様な迫力と威圧感があり、場の空気は彼女が口を開くたびに張り詰めた。
プリーナたちはシーベルに連れられ首都ネアリーに来ていた。ラージュとツワードの怪我を直してもらうためだ。そこでコードガン女王に迎えられたまでは良かったのだけれど。
「ああ、それね~。なんか魔王を倒したいんだって~」
「知っています。彼らには一度協力を持ち掛けられましたので」
「ええっ? じゃあ話が早い! 魔王に襲われて怪我しちゃったみたいだからさ~、手当てしてあげて欲しいんだけど、いいかな? いいよね? いいっしょ!」
「できません」
「はあああっ?」
やはり門前払いか。分かってはいた。
それでも高度な治療を求めるにはここを頼るより他になかった。
シーベルの手の上でプリーナは唾を飲む。交渉は任せたまえと言われていたけれど、本当にこのまま口を挟まなくていいものだろうか。
ラージュは自力で持ち直せる気配があるけれど、ツワードの息はいつ止まってもおかしくない。そもそも胴を握りつぶされて生きていたこと自体がふしぎなくらいなのだ。こうして立ち往生しているうちに力尽きたら元も子もない。
シーベルもそれは分かっているようで、声にわずかながら焦りを見せた。
「なんでさ! いっしょに魔王を倒そうってんじゃん! 味方だよ味方!」
「魔族が味方……ですか。話になりません」
「何故!」
「彼らが魔王と敵対しているのはそうなのでしょう。ですが腹の内までは探れません。何かやましいことを企んでいる、そう考えるのが打倒です。魔王の座でも奪おうとした――そんなところだとは思いますが。少なくとも、人々や世界のために戦うわけではない」
話を聞きながらシーベルはぷるぷると震えていた。巨人化したままの大きすぎる体で、
「あー! もう! うっさいわあああ!」
めいっぱいの力で叫んだ。手にいたプリーナたちは風圧で振り落とされそうになる。
「細かいことはいいんだよ! ウチらもラージュっちも魔王を倒したい。だから協力する。大事なのはそれだけじゃん!」
交渉は任せたまえ。確かにシーベルはそう言っていた。けれどこの様子では……。
「いいかいネアリーちゃん! 戦う理由なんてどうでもいいと思うんだよね! 自分可愛さでも成り上がりのためでも、なんだっていいじゃんか! まして過去に人を殺したかとか、魔族同士で仲良くしてたとか、そんなことはどうでもよろしい! ネアリーちゃん! 英雄に必要なものはなんだと思うかね!」
ちゃん付けで呼ばれ巨大な顔面で勢いよく迫られても、コードガンは顔色一つ変えずに答える。
「高潔さと力……民への愛も必要でしょう」
「違あああう!」
「きゃっ?」
「何を成すか! それだけじゃあ!」
いきなり握りこまれ振り回されて、プリーナとエラリアは悲鳴を上げた。ロワーフの泡で守られているとはいえ心臓に悪すぎる。
「弱くたっていい! 人を人と思わなくてもいい! 腹の底で何を考えたっていいじゃんか! どんな手を使っても、皆を救えばそいつが英雄ってもんだよ! あとで敵になるかもしれんけども、そん時はそん時ってことで!」
暗い視界の中を振り回され続けてほとんど聞き取れなかった。手が開いて再びコードガンを目にしたとき、シーベルは付け加えるように言った。
「まあ、敵になる心配もないと思うけどね~。ラージュっちはきっと人が好きだよ。勘だけど!」
「シーベル……」
ヌテラコックの一件で一緒に人々の窮地に向かい、わずかとはいえ彼女もラージュのことを知ってくれた。まだ会って間もないけれど、ラージュが誰かに信じてもらえるのはやっぱり嬉しかった。
まだ気を失っているラージュをちらりと見下ろし、シーベルが笑う。
「人が好き、ですか」
しかしコードガンの目は変わらず冷たかった。
「あなたの考えは分かりました。しかし彼は魔族です。人間同士の考えが通じるとは到底思えない。利用こそすれ、協力するわけにはいきません」
シーベルが固まる。プリーナは何故かぞっとした。ロワーフやミィチも、黙ってはいるけれど何か感じたらしい。泡の中でごくりと喉を動かすのが見えた。
シーベルが口の端を上げる。
「いひっ……ひひひ、いひひひひっ。そんなこと言っていいのかな~? そんな理由で見捨てちゃうっていうんなら、こっちは大陸の人間丸ごと見捨てちゃおっかな~?」
まさかの発言だ。プリーナは叫びそうになる。信じられない。まさか女王を脅すだなんて!
けれどやはりコードガンは顔色一つ変えなかった。
「移民を止めると?」
「うひひひっ。いやぁ、ホントはそんなことしたくないんだけどね~。あーあ、困ったな~」
おちょくったような言い方なのに、脅しか本気かプリーナには読み取れない。
女王はしばらく考え込んでいたようだった。そしてふいに目を閉じると、小さくため息をついた。
「わかりました。お二方の怪我が治るまで、私の目が届く範囲であれば、滞在を許可します」
「……まあ! 本当に!」
プリーナは思わず声をあげた。はっとしてロワーフとエラリアを見る。彼らは少し戸惑った顔をしつつも、ほっと笑みを浮かべてくれた。
「ぃやったあああ! さすがっ! ネアリーちゃんってば優しい!」
飛び跳ねる勢いで喜んだシーベルに、コードガンは柔らかく笑って見せた。
しかし。
「あなたの言葉が本気でなくて良かった」
「……へ?」
何故か空気が凍り付く。
また背筋がぞくりとした。
「それからシーベル」
「ひゃ、ひゃいっ?」
「こうした脅しは、これで最後にしてください」
瞳の冷たさはいつも通り。笑みは柔らかく声も優しい。それなのにどうしてこんなにも血の気が引くのか。
その得体のしれない迫力を真正面から受け止めたせいだろう、恐怖にやられたシーベルは、がたがたと震えて返事もできなくなっていた。
女王の言葉からすると、シーベルの言葉はただの脅しだったようだけれど……。
もし本気だったら、どうなっていたのだろうか。
*
知らない天井があった。
見慣れない青みがかった石の壁、天井。窓から差し込む光が眩しい。色んな場所で寝るようになって久しいけれど、茅葺や板張りの天井に慣れていたから違和感が強い。
戸惑いつつ起き上がると、鈍い痛みがお腹に浮き上がり、湿った咳が出た。
「ラージュ! 目が覚めたのね!」
目を向けると、そばでプリーナがぱっと顔を輝かせた。彼女の後ろでは布をかけられたツワードが眠り、ノエリスが不安そうにその顔を覗き込んでいた。
ぼんやりとした頭で思い出す。ぼくたちは魔王に襲われて……。
「……生きてる?」
「ええ、ええ! そうよ、みんな生きているわ! ツワードもね!」
「マイスも無事だ。ティティたちとこっちへ向かってるらしいぜ」
プリーナの反対側にいたらしいミィチがいった。
本当に……生きている? 少し混乱した。
おかしい。そんなはずはない。確かツワードは、魔王の青い手に握りつぶされた。あれで生きているなんて。それとも、ぼくの記憶が何かと混ざっているのだろうか。嬉しさより先に不安を覚え、幻でも見ているような気分で隣のベッドに目を向ける。
ツワードにかけられた布には血がにじんでいた。予断を許さない容態ではあるようだけど、確かに息をしているらしい。乱れた息も聞こえるし、時折苦しげに顔がゆがむ。
あの怪我……やっぱり、魔王によって負わされたものとしか思えない。
血まみれになった布の下はどうなっているのか。息があるなら肺や心臓が潰れるほどの怪我ではないはず。握りつぶされたというのが錯覚だった、そんな気がしてきた。
「それで、ここは」
「ネアリーよ」
「え……?」
聞き間違いかと思った。でもそうではないらしい。プリーナは付け加えた。
「シーベルが助けてくれたの。わたしたちをここまで連れてきて、女王様も説得してくれたのよ! 怪我が治るまでのあいだはここにいても良いってお許しいただいたの! それとね! これも驚きだったのだけれど、シーベルは巨人だったのよ!」
「……?」
混乱した。やっぱりまだ夢を見ているのかもしれない。
「まあそのへんは後でゆっくり話せばいいだろ。それより今は、ツワードだ」
「……そうね」
その声で、ツワードの怪我はやはり深刻なのだと分かった。
「ツワード……」
布から出た手を握り、ノエリスが呼びかける。その目が腫れているのを見て、ずきりと胸が痛む。
けれどまた違和感を覚える。なんというか、その容態にしては切羽詰まった様子がないというか、辛そうにはしているけど焦った素振りが見えない。よく考えたら医者の姿もなかった。
疑問を察し、ミィチが教えてくれる。
「もう医者には診てもらったんだ。胴体を潰されたってのに信じられない話だが、命に別状はないらしいぜ」
相槌も打てなかった。胴体をやられたなら、心臓も肺も潰れているということだ。出血の量も酷い。それなのに命に別状がないなんてこと、本当にありえるのだろうか。
「これからネアリーで一番の腕のいいお医者様が来てくれるんですって。時間さえかければどんな怪我でも治してしまえるそうなの!」
死んでしまった人までは治せないけれど、逆に言えば生きてさえいる限りたとえ頭が割れても全身が溶けても完全に元に戻せるのだと話してくれた。
詳しいことはよく分からないけど、魔族の治癒能力の秘密を突き止め、それを再現する技術を編み出したという話だった。求められる技術が高すぎて、その医者本人しか実践できる人はいないらしい。
力が抜けた。ツワードの怪我が治る。ということは本当に全員無事に生き残れるんだ。
その常軌を逸する腕を持つ医者は、それからすぐにやって来た。
見た目は優しい目をしたお婆さんという感じで、しわだらけの顔にも温かみがある。けれど中身は職人肌だった。挨拶も前置きもなくいきなりツワードの布を取り払い、血まみれの体を凝視する。
ノエリスが思わずといった様子で立ち上がり、問いかける。
「ツワードは助かるんだよね? 怪我も治るんだよね?」
「ああ。生きておるのならな」
医者ははっきりと答えた。ノエリスはほっと息をつき、ふらふらとその場に座り込む。
「しかしこれは……よく耐えたものだ。どうして生きていられるのか不思議でならん。奇跡としか言いようがない」
素人の目から見ても明らかなことだったけど、医者が言うのだから間違いはないのだろう。ツワードの意志が絶対に死ぬまいと踏みとどまったのかもしれなかった。
「さて。では少し時間をもらおう。すまぬが皆は外してくれ」
そう言われぼくたちは部屋の外に出る。お腹は痛いけど、ぼくも自力で立って歩くことができた。魔王にお腹を貫かれた時は死を覚悟したけど、あちらとしては本当に殺す気はなかったらしい。
どちらかと言えばノエリスのほうが大変だった。静かだったけどずっと気を張り続けていたのだろう。足に力が入らず、プリーナに肩を貸されてやっと歩けるという状態だった。
「別の部屋でノエリスを休ませてくるわ」
そういってプリーナたちが離れていくのを見送り、部屋の前にはぼくとミィチだけになる。
「お前は大丈夫なのか?」
「うん。サーネルの体、けっこう頑丈だから」
「そうか。ったく、巨人を追ってたってのにまさかこんな目に遭うなんてな」
本当にまさかだった。あんな場所にいきなり魔王に襲われるなんて、誰に予想できるだろう。
ブラムスは何のためにあそこに現れたのか。バンリネルと何か関係があるのか。
もしかして、ぼくがあれに攻撃したから――。
「ツワードのことなんだけどさ」
ミィチの声で思考が途切れる。顔を向けると、こちらを見あげて人差し指を立てた。
「念のためいうが内緒話だ。プリーナには言うなよ」
「?」
どうしてそこで彼女の名が出るのだろう。不思議に思っていると、ミィチはつづけた。
「ツワードが襲われた時のことは覚えてるか? 青い手に握られた時の話だ」
「うん。それは」
もちろん覚えている。巨大な青い手を空中に出現させる魔王の魔術。あれでたくさんの衛兵を殺されたのだ。ぼくやプリーナも薙ぎ払われて気を失った。
「実はあの時、魔王が最初に狙ったのはプリーナだったんだ。あの巨大な青い手はまずプリーナを背後からつかもうとした。けどそれにいち早く気づいたツワードが飛び出して、結果あいつが掴まれたんだ」
「……それって」
「ああ。あいつは自分を盾にしてプリーナを守った。別の手に払い飛ばされてたお前らには気づく余裕はなかっただろうけどさ」
あの一瞬にそんなことが起きていたなんて思いもしなかった。ツワードがいてくれなかったら、あの時握りつぶされたのはプリーナだった。
「正直見直したよ。出会い方があれだろ? だから本当はまだ警戒してるところもあったんだけどな。あいつはとっくに、オレたちの仲間だったわけだ」
ミィチはそういって、低い鼻をわずかにひくつかせた。照れたように赤くなった顔を見て、ぼくは笑った。
「ツワードさんの怪我、早く治るといいね」
「そうだな。でないと困る」
こうして笑い合って、ようやく心から安堵できた。ツワードは生きている。プリーナもミィチもノエリスも、マイスだって生きている。ぼくたちは生き残った。それならまだ、戦える。
まずやるべきはなんだろう。ツワードの怪我の治療を待つ間にできることは。
「そういえば、さっき巨人がどうとか言ってたけど」
「ああ、そのことか。確かまだ近くの建物に――」
ミィチが言いかけた時、ツワードのいる部屋から医者が出てきた。
その表情を見て、ぼくたちは息を飲む。
「……ダメだ」
時間が止まった。
どうしてそんな顔をするのか、一体何がダメなのか、ぼくには理解できなかった。理解したくなかった。
それでも残酷に、医者は続ける。
「残念だが、心臓も肺もとうに機能しておらぬ。あの体は死んでおるのだ。……死んでしまったものは、元には戻せん」
「……おいおい、待てよ。何言ってんだ? 死んでたってなんだよ。あいつは息してたじゃないか。生きてるってことだろ」
医者はおぞましいものを見たというように目を剥き、首を振る。
「その通りじゃ。心臓も肺もないのに、まだ生きながらえておるのじゃよ」
「お前、本当に何を……」
「あれは奇跡などではない。呪いじゃ。激しい痛みの中で死ねない呪いにかけられておる。ぐったりとはしているが意識は途切れていないじゃろう」
淡々と告げられる言葉を、脳が拒絶する。頭に何も入ってこない。
それでもやはり、医者は続けた。
「呪いは頭にある。首から下をどれだけ傷つけられても生きながらえるように魔力を注がれておるのじゃ。苦痛から解放してやるためには――」
そこで声を詰まらせる。もうぼくもミィチも口をはさめなかった。
新しい憎悪をくれてやる。魔王の言葉を思い出す。
ぼくは無意識に後ずさる。嫌だ。ツワードは助かるはずなんだ。それ以上、何も言わないで。
とても長い時間、沈黙が流れた気がした。やがてミィチが意を決したように問う。
「苦痛から解放するには、どうしたらいい」
医者は目を閉じ、呻くような声を漏らした。
「……頭を潰すしかない」




