14. 狙われた希望
「あいつら……」
ミィチは人通りの全くない空き家だらけの町を歩いていた。
今は一人だ。同じ補給地点にいるはずのラージュとプリーナが一緒でないのは、彼らが地下牢に向かったためだ。
包帯ぐるぐる巻きの不審者を救出するためだというが、どうやら二人はアレを巨人と思っているらしい。
アホかと言いそうになった。いや言った。本物の巨人ならあんな格好をして出歩いた上に仲間である兵士に捕まるはずがない。そこまでいったら間抜けを通り越していっそ清々しい。
……頼むからそうであってくれ、と胸の内で願う。
直後、ミィチは足を止めた。
右へ左へ視線を走らせる。
「……」
妙な気配がする。
周囲を警戒する。視界に映るのは茅葺屋根の小屋ばかりで、何かが飛び出してくる気配はない。けれど。
この町には何かがいる。ミィチは確信した。
気配にも種類がある。微かな音や触れた空気の感触、わずかな熱、何かのいた痕跡――そういった様々なものを無意識に感じ取り浮かび上がったものがひとつ。人が談笑していたり獣が町に迷い込んだ時などは大抵がこれだ。
そしてそれとは全く別に、感じる理由を他者に説明しがたいものがある。それが今まさに感じているもの。
視線だ。
誰かに見られている。殺気を感じる。ミィチの勘がそう騒ぎ立てていた。
なぜ感じられるのか。どうして「いる」と分かるのか。それを説明することは難しい。けれど視線に関して言えば、ミィチの直感が外れたことはただの一度もなかった。
気になるのはその視線が消えたり現れたりを繰り返していること。どうやらミィチが狙われているというわけではないようなのである。
もしかすると、これは――。
「坊や」
声がして、ミィチは弾かれたように振り返る。
そこにいたのは目が糸みたいに細い赤毛の少女だった。ひざを折り、目線を合わせてくる。
「こんなところに一人でどうしたの?」
「……言っとくけど、迷子じゃないからな。あとオレは女だ」
「えっ? ご、ごめんなさいっ」
ミィチはため息をついた。そんなに分かりづらいだろうか。確かに女らしく振舞ったことはないけれど。
「お前こそどうしたんだよ。いまここに移民は来てないだろ? 衛兵なわけもないよな」
「! あたしはっ、そのっ……ひ、人です!」
「は?」
「失礼しましたっ」
赤毛の少女は慌てて頭を下げると、逃げるように走り去ってしまった。
少女の消えたほうを、ミィチは呆気に取られながら見つめる。
「怪しすぎるだろ……」
不審人物その二――か。下手したら本当に人かどうかすら怪しい。こっちは頭に入れておいた方がよさそうだ。
とはいえ今は。
「なにより視線の正体、だな」
さっき感じたのは確かに殺気だった。一人でいるのは危険な気がする。
早いところあの二人には戻ってきてもらいたいのだけれど――。
*
鉄兜と鉄板の付いた衣で身を固めた十名の衛兵が迫ってくる。
ぼくとプリーナは後ずさる。けれど後方からも見張りの衛兵が追ってきていた。
頑丈な石で補強された一本道の通路で挟み撃ち。逃げ道はない。おまけにプリーナの魔術でも一息には届かないほど地上から離れている。
今にして思えばプリーナに穴をあけてもらって、出てきた土の壁を破砕すれば地中にもぐりこめただろう。そこからさらに上へ向けて穴をあければ地上へ出られたはずだ。包帯少女の叫び声に焦って判断力を欠いてしまった。
気づけたはいいものの、今はそれをやる隙がない。彼らの動きを止めるか挟み撃ちから抜け出さないと、いつ攻撃が飛んでくるか分からなかった。
「あの娘……魔族だったか。迷うことはない! 殺せ!」
指示が飛ぶと共に、彼らは一斉に宝石を光らせる。
「げっ」
後方にいた見張りの衛兵は慌てて逃げ出した。何かが飛んでくるということだろう。
仕方ない。怪我をさせずに済む保証はないけど、以前ツワードに襲われた時みたいにこの場を腕の群れで埋め尽くして、その隙に――。
「なっ、なんだこれはっ?」
逃げ出した後方の兵士が悲鳴を上げた。
思わず振り返る。兵士の足元にどろりとした土色の水がこぼれていた。
それがひとりでに動き出す。
そして喋った。
「サーネル様。来テ」
コンピューターの音声みたいに不自然な、けれどどこか小さい子どものような明るさも含んだふしぎな声だった。
少し遅れて自分が呼ばれたことに気が付く。
「え? ぼく?」
いきなりすぎて素の声で聞き返してしまった。
「触レテ。ソノ子も一緒」
プリーナのことだろうか。それとも包帯の少女?
素直に従っていいのか分からず動けずにいると、驚きで固まっていたらしい衛兵たちが声を上げた。
「動じるな! 仲間がいただけだ!」
彼らは輝きを失った宝石を再び光らせる。泥水が焦ったように近づいてきた。
「早く! 触レテ!」
切羽詰まった様子を見て、自然とぼくの手が伸びた。魔術で腕を生やし包帯少女とプリーナの手を取り、伸ばした右手で泥水に触れる。
瞬間。泥水が光り輝き視界が白く染まった。
「総員、放て!」
衛兵が叫ぶ。この状況でも迷いはなく、すぐさままるで銃弾が放たれるような乾いた音が響く。
何も見えない中で攻撃の気配を感じ、ぼくとプリーナは身を強張らせる。
「くっ」
判断を見誤った。ここは強引にでも自力で逃げるべきところだった。
せめて少しでもプリーナたちを守ろうと今さらながら腕を生やそうとする。間に合いはしない。分かっているけれどただ無防備に――あれ?
目を見張る。やわらかい風が首を撫で、草木の香りが鼻をくすぐった。
「これは」
気づくとぼくは森の中にいた。
木々の間隔が広く明るい森だった。地面には新緑が目立つ。とても爽やかな空気が流れていた。
「何が起きて……」
ワープした? 地上どころか町の外まで。
「そうだ、プリーナ!」
「わたしは無事よ。シーベルもね」
即座に返答がある。プリーナと包帯の少女は今もぼくがつかんでいたらしい。
ほっと息をついてもう一方、うごめく泥水に目を向ける。ぷるんとしたゼリーのような姿を成していたそれは、びちゃりと形を崩し水たまりのように広がった。そのまま土の地面に溶け込んでいく。
「きみは一体」
問うた時、すでにそれの姿はなくなっていた。
泥水らしく地面に溶け込んだように見えはしたけど、ふしぎなことに土は全く濡れていない。本当に染みたわけじゃないなら、またどこかへワープしたのだろうか。
「なんだったんだろう……」
「サーネルの味方、なのかしら」
確かにぼくに危害を加えるつもりもなかったようだし、助けてくれたのは間違いなさそうだ。もしかしてサーネルが魔族を敵に回したことを知らないのかな。それともメニィみたいに、サーネルを心から――。
「それより今はシーベルだわ。起きてくれるといいのだけれど」
そういえば失神していたのだった。一応女性みたいだしちょっと気が引けたので、プリーナに揺すってもらう。
「シーベル、起きて。大丈夫よ、わたしたちは魔族じゃないわ」
「……ぐぅ、ぐぅ」
非常にわざとらしいいびきが返ってきた。
「あら。起きてたのね」
「いや寝てるんで」
即答である。プリーナが困った顔で振り向いた。
「すごい寝言だわ」
「…………」
どうしたものか。このまま寝たふりを決め込まれても困るし。
「とりあえずこれ外そうか」
仮面のように顔を覆っていた腕を取り外す。変装の選択を間違えたかもしれない。
新鮮な空気が顔に当たって気持ちいい。解放感に息をつきながら、今さらながらに周囲を見回した。
見慣れない種類の木々、見慣れない虫。気持ちが落ち着いてくるにつれ、今度は別の理由で冷や汗が出てくる。
「ところでさ」
平静を装ってつぶやく。
窮地を抜け出せたはいいけど、どうやらぼくらは新たな問題に行き当たったようだった。
「ここ、どこだろう?」