わからない送り主
蒸し暑い午後の体育館では、バスケットボール部の部員がストレッチで汗を流している。ほとんどの部活が午前中で終わるのだが、体育館を広く使いたいとのことで、バスケットボール部だけ午後からの部活となっていた。
そのそばで、真里菜はバスケットボールや得点版を出したり、床を掃除したりして紅白戦の準備をする。他にも、飲み物やタオルの準備など、マネージャーの仕事は意外と多い。
「よし、この練習が終わったら試合始めるぞ!」
顧問の先生が、声を掛けると、部員が「はいっ!」と元気の良い声で返事をする。この時期は特に暑いため、途中水分を取りながら部員たちは練習に取り組んだ。
「あ、佳恵、来てくれましたかぁ。もう家でふて寝してよだれ出しながら寝ているかと思いましたよぉ」
佳恵が体育館に入ると、真里菜が手を振りながらやってきた。
「い、いや、あの、別に私よだれ出しながら寝ないから。えっと……まだ試合は始まってないみたいだけど……」
「今やってる練習が終わったら始まりますよぉ……あ、もうすぐですねぇ」
真里菜がしゃべっていると、笛の音が聞こえてきた。部員はボールを片付けると、すぐに顧問の元に集まる。そして、手渡されたゼッケンをつけ始めた。
「えー、それではこれから紅白戦を始める。それぞれ怪我のないように」
紅組と白組に分かれて整列すると、部員は「よろしくお願いします」と一礼し、それぞれのポジションに散る。美藍は赤チームだ。
ジャンプボールが始まると、早速美藍が長身を生かしてボールを叩く。
「おお、美藍のスーパージャンプ、これが鍛え上げられた美藍の真骨頂ですなぁ」
「いやいや、ジャンプボールだけ得意でも……」
端っこで見ている真里菜は、佳恵に時々部員の動きを解説しながら試合を眺める。もちろん佳恵には美藍以外に部員の友達がいるのだが、真里菜があまりに美藍のことばかり言うので、どうしても美藍の動きが気になってしまう。
結局、試合は美藍の活躍もあり、紅組が僅差で勝った。試合後、真里菜は他の部員と共に、掃除と片づけを始める。
「お、カエ、来てくれてたのか。試合に夢中で気が付かなかったよ」
「お疲れ様。やっぱり美藍ちゃんって凄いね!」
「まあ、さすがに先輩には勝てないけどね。まだまだこれからだよ」
タオルで汗を拭きながらそう言うと、「じゃあ、また後で」と片付けの続きに戻る。そのあと、クールダウンして顧問から明日の予定などを告げられ、今日の部活は終わりとなった。真里菜は部員や顧問との次の日の打ち合わせ、佳恵は部員の友達としばらく話をして時間を潰す。
しばらくすると部員はそれぞれ帰宅し、佳恵は体育館の入口で美藍と真里菜を待つことにした。風がある分いくらかマシだが、さすがに外は日差しが強く、日陰にいても暑い。
「佳恵ー、お待たせですぅ」
「なんだ、中で待っててもよかったのに」
体育館の中から、真里菜と美藍の声が聞こえた。ようやく片づけや着替えが終わったようだ。
「もう、美藍ったら、シャワー浴びたいって聞かないんですよぉ」
「そりゃだって、汗かいたらシャワーも浴びたくなるわ。特にこんな暑い日はね」
「何をおっしゃる、この運動の後に漂う汗の香りこそ至高ではないですか」
真里菜が美藍に抱きつこうとすると、美藍は真里菜の頭を押さえて拒否する。
「だーかーらー、毎回毎回抱き着いてくるな! 暑苦しい!」
「もぅ、少しぐらいいいじゃないですかぁ」
「少しもよくない!」
ぐいぐい迫ってくる真里菜を、美藍は両肩を手で押さえて制止する。
「……ところでカエ、例の……バニッシュ・メールだっけ、何か分かったか?」
佳恵は尋ねられて首を振る。
「もう一度アカウントを見たけど、今のところ、何もないみたいだし、手がかりはまったく……」
「そうか……何にせよ、今出来るのは、カリンやユウア、それにリオを探すことだな」
「そうだね、みんなを見つけないことには、解決しないし、それに……」
佳恵が話していると、どこからか着信音が鳴った。
「あ、私だ」
美藍がポケットからスマホを取りだし、操作をする。
「……? あれ、おかしいな。何でだ?」
「ん、美藍、どうしたの?」
「どうしたもこうしたも、ほら」
美藍が真里菜と佳恵にスマホの画面を見せると、真里菜も佳恵も顔をひきつらせた。
「折原美藍様、48時間以内にお迎えに上がります」
「うそ……そんな……だって、誰にも分からないようなパスワードにしたはずなのに……」
「でも送られてきたアカウントは同じbanishmailだし、またパスワードをハッキングされたんじゃないのか?」
美藍は冷静に状況を考察するが、佳恵はがたがた震えてそれどころではないようだ。
「佳恵、もう一度アカウントを調べて、乗っ取られているかどうか確かめましょうよぉ。何かおかしいですよぉ」
「う、うん、そうだね。莉緒ちゃんたちを探しながら、アカウントについても調べてみるよ」
そう言いながら、佳恵は「また今度」と帰った。
「カエ、大丈夫なのか? 顔色悪いみたいだけど……」
「そりゃまあ、自分の作ったアカウントが乗っ取られたら、誰だって内心穏やかじゃないですよぉ。美藍だって、自分のメールが乗っ取られたら嫌でしょ?」
「そりゃまあ、勝手に変なメール送られたり、詐欺とかの犯罪に使われたりされるかもしれないからな」
「でしょでしょ? まあまあ、この真里菜ちゃんは、美藍の心を乗っ取っちゃいますけどねぇー」
「お前ごときに乗っ取られるかっ!」
抱き着こうとする真里菜に、美藍はげんこつを喰らわす。
「……っ! 美藍、最近のげんこつ、痛くないですかぁ?」
「痛くないげんこつなんて無いだろ。ともかく、今から少しでもカリンたちを探そう」
「おお、美藍、燃えてますねぇ。して、まずはどこから探しましょうか、折原探偵?」
「あのなぁ、遊びじゃないんだぞ? そんなんだったら、帰って寝てろ」
そう言うと、美藍はすたすたと校門へ向かった。
「え、ちょ、ちょっと待ってくださいよぉ! 真里菜も探しますからぁ!」
いつまでも泣き止まい蝉の声、美藍はこの声が誰かの叫び声ではないかと思いながら、商店街へと向かった。
「……なんで? どうして?」
暗い部屋で一人パソコンの画面を見ながら、佳恵は頭を抱えていた。
「パスワード、ちゃんと入れたのに……どうしてログインできないの?」
画面には、「パスワードが違います」という文字が浮かび上がった、ログイン画面が映し出される。
佳恵が作った、banishmailのアカウントにログインしようとしても、パスワードが合わず入れない。間違っているのかと何度も試したが、一向にログインできない。
パスワードが分からなくなった人のための再発行も、送られてくるはずのメールに届かない。誰かが設定をいじったのだろう。
「誰にも分からないパスワードのはずなのに……まさか、ハッキングされた?」
パスワードが分からない、再発行もできないのでは、もう打つ手がない。
「もしこれで美藍ちゃんがいなくなったら……」
部屋の外から「ご飯よ」という声が聞こえてくる。しかし、佳恵の耳には届かない。
「……次は、私の番っていうこと?」
佳恵はそっとパソコンの画面を閉じた。




