アカウントと忘れ物
勉強会の翌日、佳恵は真里菜をいつもの喫茶店に呼んだ。今日は平日だからだろうか、午前中の喫茶店は客が少ない。
とりあえずアイスコーヒーを二人分注文すると、真里菜は「どうしたんですか急に?」と声を掛けた。
「うん、昨日ね、例のアカウントがどうなってるか、パソコンで調べてみたの」
「例のアカウント? ああ、banishmailの奴ですか」
「誰かに乗っ取られてるんじゃないかっていう話。アカウント見たら、送信メールも受信メールも消されてた」
「えぇっ! 私、消した覚えないですよぉ?」
「そう。だから、誰かに乗っ取られてるの」
「そ、それヤバいんじゃないですかぁ? 絶対誰かに悪さされますよぉ」
思わずダン、と真里菜は両手でテーブルを叩く。それに驚き、やってきた店員は思わずコーヒーをこぼしそうになった。アイスコーヒーを受け取ると、佳恵が続ける。
「だから、パスワードをもっと難しいのに変えておいたよ」
「あ、パスワードは変更できたんですね。よかったぁ」
真里菜はほっとしたようにはぁ、とため息をつき、グラスにストローを挿してアイスコーヒーをすする。
「でも、一体誰が乗っ取ったんでしょうねぇ? あそこのアカウント、そんなに簡単に乗っ取れるもんですかぁ?」
「パスワードが分かれば、すぐに乗っ取られるよ。今回は誰も乗っ取らないだろうと思って、簡単なのにしてたから」
「あぁ、確かに、123456とかじゃすぐばれますからねぇ」
あれは適当過ぎました、と言いながら真里菜は半分くらい飲んだアイスコーヒーに、ガムシロップを入れる。佳恵は「甘くないの?」と言いながらストローでくるくるアイスコーヒーを混ぜた。
「……でも、あのアカウントをわざわざ乗っ取る、っていうことは、やっぱり学校の誰かの仕業なのかな」
「うーん、バニッシュ・メールって、他の学校じゃ知っている人いないんでしょ? だったらやっぱりうちの学校の関係者しか思い浮かばないですねぇ……」
「一体誰が……」
佳恵がそう言いかけた時、ポケットから着信音が鳴り響いた。佳恵はスマホを取りだすと、画面を確認する。電話主は美藍だ。
『あ、もしもし、カエか?』
「美藍ちゃん、どうしたの?」
『さっきリオの家にペンケース忘れたのに気付いてリオに電話したんだけど、全然繋がらないんだ。カエは何か知らないか?』
美藍の言葉に、佳恵は思わず息が詰まる。
「いや……私は知らないけど……とりあえず、莉緒ちゃんの家に行ってみる? 家の人はいるかもしれないし」
『そうだな、とりあえずリオの家に行ってみるわ』
「あ、待って」
そう言うと、佳恵は通話口に手を当てる。
「莉緒ちゃんと連絡取れないから、今から莉緒ちゃんの家に行くって美藍ちゃんが言ってるけど、真里菜ちゃんも行く?」
「おお、私も行きますぅ!」
佳恵が言い終わるか終わらないかのうちに、真里菜は身を乗り出して叫んだ。少しだけ、店員や客の視線が痛い。
「えっと、今真里菜ちゃんと一緒に喫茶店にいるから、今から向かえばちょうどいいかな」
『うん、そうだな。俺も準備したらすぐに向かうよ』
佳恵は「じゃあ後で」と言うと、スマホをしまった。
「莉緒ちゃんまで連絡取れないなんて、まさか……」
「うーん、莉緒も夜遊びじゃないんですかぁ? ほら、今私たちって、シシュンキですし」
「真里菜ちゃんと一緒にしないの。そもそも莉緒ちゃんの家って、お金持ちだから門限厳しいんじゃないかな?」
「うーん、そうですかぁ? とりあえず行ってみましょうよぉ」
真里菜はそう言うと、グラスをもって残ったアイスコーヒーを一気に飲み干した。ガムシロップがきちんと混ざってなかったらしく、「甘っ!」と言いながら顔をグラスから背けた。
莉緒の家に向かうと、先に着いていた美藍が手を振って迎えてくれた。急いで来たのか、日に焼けた顔が少し汗ばんで見える。
「いやぁ、いつ見てもでっかいですねぇ。私もこんな家、住んでみたいですよぉ」
「マリナは片付けないからダメだろ」
「えぇ、そんなことないですよぉ。私の部屋、とても綺麗ですよぉ?」
「へぇ、じゃあ部室はどうしていつも片付いていないんだ? いつも片付けてくれと言っているのに、俺が帰る前より汚くなっている気がするんだが?」
「そ、それは他の人がですねぇ……」
「他の人? 誰のことだ?」
「え、えっと……」
真里菜は目を泳がせながら、あれこれと言い訳を考える。それを見透かしたかのように、腕を組んだ美藍の視線は冷たい。
「ま、まあまあ、今日は忘れ物を取りに来たんでしょ? とりあえず、家の人が誰かいないか、確認しましょうよ」
そう言うと、佳恵は呼び鈴を押す。ガラーン、という音と共に、インターホンがつながる。
『はい、どなたでしょう?』
「すみません、私たち、莉緒ちゃんの友達なんですけど、昨日来た時に忘れ物をしたみたいで……」
『かしこまりました、少々お待ちください』
プツリとインターホンが切れ、しばらくすると背の高いスーツを着た、四十代くらいの男性が家の入口から出てきた。
「初めまして、わたくし相野口家の執事をしております、横山と申します」
執事、という言葉を聞き、三人は「えっ」と思わず叫んだ。
「り、莉緒ちゃんの家って、執事がいるの!?」
「執事、と申しましても、ただのお世話係のようなものでございます。莉緒様の両親は非常に多忙でして、家事全般を任されております」
「へぇ、そういう人って、本当にいるんだぁ」
金持ちということは聞いていたが、執事の存在まで聞かされていなかった佳恵は、それ以上声が出なかった。
「……ところで、忘れ物をされた方というのは……」
横山が三人の顔を眺めていると、美藍がゆっくりと手を挙げた。
「あ、はい、俺……じゃなかった、私です。昨日勉強会をしていたときに、ペンケースを忘れてしまって……」
「お、美藍が『私』って言った! これはレアですなぁ」
真里菜が茶化すと、美藍は無言で真里菜の脇腹をつねる。真里菜は「い、痛いですぅ」と言いながら美藍の手を払いのけた。
「ああ、やはりこちらがそうでしたか」
横山は懐から、小さな缶ペンケースを取りだす。ペンギンのような絵柄が描かれた、かわいらしいものだ。
「あ、それです。ありがとうございます」
横山から缶ペンケースを受け取ると、美藍は深々と頭を下げた。
「そういえば執事の……横山さん、莉緒ちゃんがどこにいるか知りませんか? 今日電話したら、つながらないみたいなんですけど……」
佳恵が尋ねると、横山は「そういえば」と言いながら右手をあごに当てた。
「莉緒様は、昨日の夜に出かけられてまだ帰っておりません。ご友人の家に行くとおっしゃっていましたので、外泊かと思いますが……」
「外泊? そんなこと一言も言ってなかったけど……」
「お誘いがあったのではないでしょうか。どちらに行かれるかは聞かされておりませんが……」
外泊するのに行先を告げないのは妙な話だ。佳恵と真里菜は何か変だ、と顔を合わせた。
「やっぱり、バニッシュ・メールに関係が……?」
思わずつぶやいた佳恵の言葉に、横山はピクリと肩を動かす。
「おや、あの話をご存じなのですか?」
「え、横山さん、何か知ってるんですか?」
思わぬ反応に、佳恵と真里菜は思わず横山の顔を見る。
「そうですね……ここで立ち話もいかがなことかと思いますので、どうぞおあがりください。美味しいお菓子も準備いたしますので」
そう言うと、横山は一礼して家に向かった。




