アカウントの行方
少し高めに設定されたクーラーののかかった部屋は、十分涼しいとはいえない。しかし、莉緒のメールを読んだ四人は、少し寒気を感じた。
「なんだ、優愛と同じメールか。えっと、リオも二回目なんだっけ?」
「はい。最初の時はあの後旅行に行っていましたが、特に何も起こりませんでした」
「じゃあ、問題ないんじゃないの? 俺の時もそうだったし」
「それもそうですね。さあ、勉強の続き、しましょうか」
そう言うと、莉緒と美藍はワークブックの続きを始めた。
「……莉緒ちゃん、ちょっとそのメール、もう一度見せてくれない?」
再び静かになった部屋で、佳恵は言った。
「……? いいですけど……」
莉緒はスマホからメールを開き、莉緒に渡す。
「……やっぱりそうなのね……」
佳恵はメールのアドレスを確認する。やはり、アカウント名は「banishmail」だ。つづり一つ間違っていない。
「……伊勢原さん、どうかしましたか?」
「あ、いや、や、やっぱりいたずらメールかなって」
「そうですよね。それにしても中上さん、どうしたのでしょうね」
勉強を始めてから、既に三十分は経過している。しかし、中上優愛が来る様子はない。
「やっぱり、ゲーセンじゃないか? 音ゲーやってる時は、通知とか着信とか気にならなくなるらしいし」
「へぇ、おとげーまーって、そういうものなのですか?」
「特にユウアは、熱中するとそういう傾向にあるからな。よく約束すっぽかすし」
「そうですか……でも、約束したのに来ないと、ちょっと悲しいですね……」
そう言いながら、莉緒は紅茶と一緒に持ってきたケーキの箱を開けた。
「うおぉ、ケーキですかぁ、もちろんこれ、一人一つですよねぇ?」
「ああ、そうだ、ただしワンホールじゃないぞ?」
「わ、分かってますよぉ。あ、切るの任せてください! 私得意なんです」
「へぇ、じゃあリオ、せっかくだからマリナに切ってもらおう。ただし、選ぶのはマリナが最後な」
「え、そ、そんな、私の策略がぁ……」
「どうせ一つだけでっかく切って、それを自分の物にしようと思ってるんだろ?」
美藍と真里菜が言い争っている様子を見ながら、莉緒はクスクスと笑いながらケーキを切り分ける。
「大丈夫ですよ、心配しなくてもまだまだありますから。たくさん食べてくださいね」
「やったぁ! じゃあこれ全部真里菜がたべるぅ!」
「ちょ、ちょっと、そんなに慌てて取らなくても……」
切り分けたばかりのケーキを、真里菜は強引に奪おうとする。しかし、「いい加減にしろ!」と美藍にげんこつを喰らい、真里菜は「痛いですぅ」と言いながら頭を押さえた。
休憩をはさみながら二時間ほど勉強をしたところで解散することにしたが、結局優愛は来なかった。
家から出て門の外まで行くと、莉緒は「今日はありがとうございました」と言いながら軽く頭を下げる。
「中上さん、結局来ませんでしたね」
「そうだな。後できつーくお仕置きしないと」
勉強の途中で、美藍も何度か優愛に連絡を試みた。しかし、まったく返信は来なかった。
「また優愛はまた今度誘えばいいんじゃないですかねぇ? また莉緒の家のケーキ食べたいし」
「お前は食うことしか頭にないのかっ!」
「ちょ、ちょっとやめてくださいよぉ! あんまり頭を殴られると馬鹿になっちゃいますぅ!」
「もう手遅れだろ! まったく……」
「うわ、そ、それはそれで酷いですぅ!」
そう言いながら、真里菜は美藍をぽかぽか叩きはじめる。しかし、美藍は動じる様子がない。
「……あれ、伊勢原さん、やっぱり体調悪いのですか? ずっと顔色がすぐれないようですが……」
さっきから一言もしゃべらない佳恵の様子を見ながら、莉緒が心配する。しかし、それに気付いた佳恵は、「ううん、大丈夫」と言いながら首を振った。
「そう言えばカエ、ずっと様子が変だよな。何かあったのか?」
「え、いや、そんなことないよ! うん、いつも通りだから」
「……? そうか? ならいいけど」
首をかしげながらも、美藍は「それじゃ、また」と莉緒に手を振った。
莉緒と別れると、帰りの坂道をゆっくり歩く。まだ日は高いものの、わずかに空がオレンジ色に見えた。
「それにしてもユウアの奴、どこ行ったんだ?」
スマホを触りながら、美藍は誰とも言わず愚痴を吐く。帰りの道でも、時々LINEや電話で連絡を試みるも、一向につながる気配はない。
「う、うーん、まあ優愛の場合、二日くらいいなくなること多いし、気にしなくてもいいんじゃないですかぁ?」
「それはそうだが……しかし、約束をすっぽかしているのは気になるな。そんな奴じゃなかったはずだけど……」
「まあ、たまにはそういうこと、あるんじゃないんですかぁ?」
「マリナと違って、約束は守るはずなんだけど……」
「ひ、酷いですぅ! 真里菜だって約束は守りますぅ!」
「へぇ、じゃあ昨日貸した百円、今日返してくれるんだよな?」
「え、ちょ、それはまだですよぉ! お小遣い貰ったら……」
「はいはい、そういうことにしておきますよ」
そう言うと、美藍は真里菜を置いてさっさと歩いていく。真里菜は「ま、待ってくださいよぉ」と言いながら、必死についていく。
「……やっぱり、あれは本物だったんだ……」
歩きながら佳恵がぼそりとつぶやくと、それに気づいた美藍が足を止めて振り返る。
「ん、どうした?」
「え、い、いや、何でもないよ。それにしても、何であんなメールがまた届くようになったんだろうね?」
「さぁ、前のもいたずらみたいだったしな。やってる奴の狙いなんて、知らないよ。こんなことやる奴なんて、暇人か構ってちゃんか……どちらにしろ、ろくな人間じゃないんだろうな」
そう言いながら美藍はまた歩きだす。莉緒と真里菜は、それを聞いて思わず肩が動いた。
「そ、そうだよね、こんなことするのって、きっと暇人だよね」
「まー私にそんな暇があるなら、美藍のこの素晴らしい体に抱き着いてるけどねー」
真里菜は走って美藍に追いつくと、そのまま後ろから抱き着いた。
「コラ、こんなところで危ないだろ!」
予想通り、美藍の肘鉄が真里菜の頭を襲う。
「いったーい! 今日何回殴れば気が済むんですかぁ!」
「お前が変なことをするからだろうが! まったく」
いつもの調子で怒鳴ると、美藍はすたすたと歩いていった。
家に帰った佳恵は、すぐさま自分の部屋にあるパソコンをつける。
「アカウントがまったく同じ……? そんなのありえない!」
そして、佳恵が取得した「banishmail」のアカウントを確認する。
「……! 全部消されてる……送信済みメールも、受信メールも……」
本来あるはずの送ったメールが、すべて無くなっていた。
「やっぱり誰かに乗っ取られてるんだ……」
慌ててパスワードを変更する。誰も乗っ取りなどしないと思っていて簡単なパスワードにしていたが、今度は推測されにくいものにした。これでしばらくは大丈夫だろう。
「……大丈夫、これでもうメールは来ない。これで来ない……はず……」
誰がこのアカウントを乗っ取り、誰がバニッシュ・メールを送ったのかは、まるで見当が付かない。しかし、それもこれで終わりだ。
やっと安心できる。そう思った佳恵は、疲れていたからかベッドの上に倒れると、そのまま眠りについた。




