最終回:それでも屋台は廻っている
耳鳴りがする。
静かだ。あのアホみたいな神々の咆哮も、爆発音も、脂ぎった「おかわり!」の声もしない。
(……帰ってきた。帰ってきたんだ、俺の6畳一間に……!)
ツヨシはゆっくりと目を開けた。
視界に飛び込んできたのは、煤けた天井。聞き慣れた遠くの救急車のサイレン。そして、枕元に転がっている飲みかけの缶チューハイ。
「やった……。勝った……」
ツヨシは震える手で畳を撫でた。本物のイグサの匂いだ。マナの結晶の匂いじゃない。
彼は歓喜に震えながら立ち上がり、窓を開けた。
そこには、見慣れた日本の夜景が広がっている。コンビニの看板が輝き、終電を逃したサラリーマンがトボトボと歩いている。
「ああ、素晴らしい! 誰も俺を拝まない! 誰も俺の料理に宇宙の真理を見出さない! 自由だ!!」
ツヨシは狂喜乱舞し、冷蔵庫から賞味期限切れ間近の納豆を取り出した。
これを混ぜて、ご飯にかける。それだけでいい。それが「普通」という名の至高の贅沢だ。
――その時だった。
コンコン。
ドアがノックされた。
ツヨシの背筋に、嫌な汗が流れる。
(いや、落ち着け。ここは日本だ。きっと新聞の勧誘か、隣の部屋の住人が『壁を叩くな』と文句を言いに来ただけだ)
「……はい?」
ツヨシがおそるおそるドアを開ける。
そこには、スーツを着た見知らぬ男が立っていた。
男は神妙な面持ちで、ツヨシに深々と頭を下げた。
「……ツヨシ様。お迎えに上がりました」
ツヨシの心臓が止まりかけた。
「……は? 誰だお前。ていうか、何様だ」
男は顔を上げ、爽やかな笑みを浮かべた。
「私ですか? 私は『日本神界・営業二課』の者です。先日は異世界支店の強制シャットダウン、誠にお見事でした。おかげさまで、滞っていた因果律の在庫が一掃され、本社からも高い評価をいただいております」
「……はい?」
「あ、こちら。再雇用通知書と、新しい屋台の鍵になります」
男が差し出したのは、黄金に輝く「営業許可証」と、見覚えのある……あの爆破したはずの屋台のリモコンだった。
「待て、待て待て待て!! 俺は閉店したんだ! 辞職したんだ! 実家に帰ったんだぞ!?」
「ええ、ですからここが新しい職場です。ツヨシ様が神界の核をシャットダウンした際、そのエネルギーが『実家』という概念と癒着してしまいまして……。現在、このアパートを中心に、半径5キロ圏内が『神界・日本出張所』として再定義されました」
ツヨシは絶望に顔を歪め、窓の外を見た。
先ほどまで普通の街並みに見えていた景色が、ゆっくりと変貌していく。
コンビニの店員が後光を放ち始め、電柱が聖なるトーテムポールへと姿を変え、公園の噴水からは聖水が噴き出している。
そして、アパートの下には。
「ツヨシ様ァァァ!! 追いかけてきましたぞおおお!!」
「ここがツヨシ様の真の聖地……! 聖なる『トウキョウ』!!」
「さあ、まずは『納豆』という名の禁断の劇物を供えるのです!!」
異世界から密航してきた神々が、アパートを取り囲んで土下座していた。
「……嘘だろ」
ツヨシは膝から崩れ落ちた。
世界を畳んでも、概念を消しても、彼は逃げられなかった。
彼が「美味しい」ものを作り続ける限り、そこがどこであっても「神界」になってしまうのだ。
スーツの男が、肩を叩いて励ましてくれる。
「大丈夫ですよ、ツヨシ様。今回はホワイト企業です。週休二日制ですし、福利厚生として『全宇宙の信仰心』が全額支給されます。さあ、開店の準備を。本日の一品目は『納豆ご飯(神界の再誕仕立て)』でよろしいですね?」
ツヨシは、空を見上げた。
そこには、神界のオーロラと、新宿のネオンが混ざり合った、この世で最もカオスな空が広がっていた。
「……やってられるかよ」
そう毒づきながらも、ツヨシの手は、無意識に納豆を激しくかき混ぜ始めていた。
その動きは、もはや一つの芸術――いや、神事であった。
「……いらっしゃい。……おかわりは、ねーからな」
神々の歓喜の叫びが、東京の夜空に響き渡る。
ツヨシの新しい「閉店できない」日々が、今、幕を開けた。
(完)
最後まで読んでいただきありがとうございました。明日からは「ツヨシ」シリーズ第3弾が始まります。




