第5話 王太子の来訪
「昨日の王太子、ムカついたのだ!」
ジャイアナが腕を組んで唸っていた。
部屋の中には、まだ新しい木の匂いが残っている。
調度はすでに運び込まれているが、配置は仮のまま。
ここが「公爵令嬢メイリーンの控室」になると知っていても、東宮の人間たちは、まだ距離を測っている。
オデットは、カーテンの位置を確かめながら、小さく息を吐く。
「お姉さま、感情論で片づける話ではないわ」
「でも、メイ様への悪口は許せないのだ!」
間髪入れず、まっすぐな声。
一拍置いて、答えるオデット。
「……気持ちは私も同じよ。さあ、メイ様がお戻りになるまでに、部屋を整えておきましょう」
ジャイアナは満足そうに頷く。
そのとき。
断りもなく扉が開いた。
「ほう……」
間延びした声とともに、男が足を踏み入れてくる。
王太子ミサラサ。
護衛と呼ぶには心許ない、媚びた笑いを浮かべる近侍たちを従え、ここが自分の庭であるかのように部屋を見回した。
「まだ準備中か」
鼻で笑い、吐き捨てる。
「あの生意気な女に、この城での立場を分からせてやろうと来てみれば……不在か」
不機嫌そうに舌を鳴らした王太子の視線が、ピタリと止まった。
オデットだった。
愛らしい顔立ち。
白い肌にハニーブロンドの髪。
目を引く胸元と、細い腰。
「……ほう」
王太子の目が、ねめ回すようにオデットの頭からつま先までを往復する。その目は、完全に「品定めする男の目」だった。
「侍女、か。あの実家が太いだけの小生意気な女には、勿体ないほどの上玉だ」
ミサラサはゆっくりと距離を詰め、オデットの懐に踏み込んだ。
ふわりと、酒と香水の混ざった不快な匂いが漂う。
「お前、名前は?」
「……オデットと申します」
「オデット、か。良い響きだ」
にぃと唇を歪めると、躊躇いもなく手を伸ばし、オデットの顎を指先でクイと持ち上げた。
無理やり顔を上向かせ、じっとその唇を見つめる。
ジャイアナが前に出ようとするのを、オデットが目で制した。
ミサラサは気づきもせず、オデットの口元に顔を寄せる。
「お前、俺のところに来い。あんな可愛げのない女の下にいるより、俺の夜の相手をする方がよほど有意義だぞ? 悪いようにはしない。お前のような極上の女なら、相応の部屋と、絹の寝着を与えてやる」
背後で、近侍たちがニヤニヤと笑う。
オデットは眉一つ動かさず、冷徹な目でその指先を見つめ、そっと首を捻ってその手を拒絶した。
「……御冗談を。不愉快です。私の主君は、メイリーン様ただお一人です」
「冗談?」
拒絶されたミサラサの顔から、一瞬で余裕が消え、酷薄な笑みが浮かぶ。
彼は再び強引に手を伸ばすと、今度はオデットの髪を一掴みにし、ぐいと自分の方へ引き寄せた。
「痛っ……」
「勘違いするなよ、小娘」
ミサラサはオデットの耳元に顔を近づけ、ねっとりとした声で囁く。
「俺は王太子だぞ? 逆らえばどうなるか、その足りない頭で考えてみろ」
オデットは髪を引っ張られたままでも、その瞳の光を失わなかった。
それどころか、憐れむような、呆れに近い視線を王太子に真っ向からぶつける。
「何も、ご存知ないのですね」
「何だと?」
「手を離してください」
「き、貴様……っ! たかが侍女の分際で、この俺に指示するか!?」
ミサラサの顔が怒りで真っ赤に染まり、オデットを突き飛ばす。
「くっ」
突き放されたオデットを、ジャイアナが受け止めた。
プライドをズタズタにされた王太子は、狂ったように怒鳴り声を上げる。
「こいつを捕らえろ! 不敬罪だ!今すぐここで服を剥ぎ取り、牢へぶち込め!」
近侍たちが、下卑た笑みを浮かべ前に出ようとしたとき、
ずし、と床が鳴った。
ジャイアナが、前に出た。
「オデットへの無礼。あんたら、私と戦うのだな?」
二メートル近い白騎士。
そこにあるだけで空間を圧迫するような体躯。殺気と威圧感。
「ひッ……」
近侍の一人が、恐怖のあまり悲鳴を上げて尻餅をついた。
もう一人は膝から崩れ落ちる。
残った二人は剣に手をかけた。
だが、抜けない。
王太子もまた、ジャイアナの巨体を見上げ、青ざめて喉を鳴らした。
「な、何をしている! 命令だ! 斬れ、斬り殺せ!」
叫びに対する返事はない。近侍たちはガタガタと震える。
ジャイアナは首を傾げ、王太子を睨みつけた。
「来ないのか?」
沈黙が、重く落ちる。
「うぐッ……」
ミサラサは悲鳴を漏らし、ふらつく。近侍たちに抱えられるようにして後退りした。
「許さんぞ!……すぐに!兵を向けて!捕らえてやる!」
踵を返す。
近侍たちも、我先にと扉へ殺到し、転がるように部屋から出て行った。
激しく扉が閉まる。
ジャイアナが振り返った。
「オデット、大丈夫か?」
オデットは、乱れた髪を指先で整え、ようやく深く息を吐き出した。
床に落ちた、一筋のハニーブロンドの髪に視線を落とす。
「横暴な男には、慣れてるけど……痛いのは嫌なものね」
「次は、髪の毛一本、触らせないのだ」
「……あの調子だと、すぐに動いてくるでしょう」
小さく呟き、閉じた扉へ視線を向けた。




