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手をつないだまま

 昼休みのチャイムが鳴り、ついに逃げられへんと思った。

 

 ――気ぃ、おっも……。

 

 昼飯に浮かれるクラスに、のろのろと教科書を仕舞う。いったい、俺はどうなるんやろうと思ったら、椅子に尻が引っ付いてしもたみたいになる。


「つむぎ!」


 ぽん、と肩を叩かれる。振り返れば、田中がよっと手を挙げていた。


「田中……」

「俺らもおるでっ」


 ひょい、と二股に別れて、アッキーと加藤が顔を出す。


「お前ら……迎えに来てくれたん?」


 そう訊くと、机を囲む仲間の顔がニカッと笑う。


「当たり前やろ!」

「怒られるときは、俺らも一緒やで」


 かわるがわる、ぱしぱしと肩を叩かれて、俺は胸が熱うなる。こんなときに、ひとりぼっちやないことが有難くて。


「みんな、ありがとう」


 俺らは連れ立って、教室を出た。

 テニス部のミーティングに使うのは、理科棟にある空き教室や。先生たちに覚えの良い副キャプが、毎度鍵を借りてきてくれるらしい。

 田中たちと着いたときには、すでに半数くらいの部員が集まっとった。


「遅くなって、すみません!」

「ええよ。まだ始まってへんし」


 副キャプがひらりと手を振って、「好きなとこに座り」と促してくれる。

 とはいえ、窓際の席を三年生の先輩らが占めとる。その隣の列は、二年生の先輩らが座るから、必然的に俺らは廊下側の列になる。

 田中が、一番前の席。その後ろの椅子を引いたとき、ちょうど渉が教室に入ってきた。


「――っ!」


 一瞬、目が合う。

 俺は胸がギュッとしぼられて、その場に棒立ちになった。


「渉」


 ちいさく、呼びかけたときやった。渉の後ろから、沙也さんがひょこっと顔を出す。


「渉ったら。立ち止まって、どうしたんですか?」

「ああ、沙也。悪いな」


 渉は優しい顔で、振り返った。


「足は大丈夫か?」

「ええ、なんとか……渉がいますから」


 沙也さんは痛みに堪えるように、渉の腕にしがみ付く。――昨日のことで、足を挫いたらしい。渉は、姫を守る騎士のように沙也さんの背を支え、教卓の前の席に座らせてあげている。

 ぼうっと眺めていたら、渉が俺を振り返った。鋭い視線に怯む。


「……あ」


 俺は脱力して、椅子にすとんと座る。

 やっぱり、まだ怒ってるんや。俺のせいで沙也さんが怪我したんやから、それは無理ないことかもしれんけど。

 

 ――きのう、俺……家に行ったのに。電話も、めっちゃしたんやで。

 

 俺かて、話くらい聞いてほしかったのに。


「……つむぎ、大丈夫か?」


 田中が、心配そうに振り返ったのに、無理に頬を持ち上げる。大丈夫や、とちゃんと元気な声が出たかはわからへんかった。

 続々と部員がやってきて、教室がいっぱいになったころ、部長が前に出てかはる。


「全員、集まったな。これからミーティングを始める。まずは、昨日の騒ぎについてや」


 目で促され、俺は立ち上がった。


「昨日は、こんな大事な時期やのに揉め事を起こしたりして……本当に、申しわけありませんでした!」


 俺は先輩たちと、仲間たちの顔を見て、深く頭を下げる。ざわつく教室のなか、いちど顔を上げ、沙也さんに向き直る。


「沙也さん……つき飛ばしてごめんなさい」


 渉の腕に引っ付いて、沙也さんは白けた顔をしていた。ほんまは、悔しいよ。あんなこと言われて……どうして俺だけ謝るんや、と思わんでもない。

 

 ――それでも……暴力はあかんかった。

 

 頭を下げると、部長が言う。


「道前。何ぞ言いたいことあるか」

「……それで、結構です」


 沙也さんはつんとした声で言うと、渉の腕にすり寄った。慰めるように、その背を叩いた渉に、胸がズキリと痛む。


「ほな、この件は終いや。つむぎ、座れ」

「……はい」


 俺は消沈したまま、席につく。


「……つむぎ、おつかれ!」


 後ろの席のアッキーが、ほっとしたように囁く。


「あ……アッキー」

「良かったなぁ。お咎めなしやんか」


 嬉しそうなアッキーの言葉に、目を見開く。

 

 ――そう言えば……何もなかった。

 

 他の皆も、部長がなんも罰を与えなかったことに、驚いてるみたいや。


「なあ、風間さん。小山内、お咎めなしっすか。俺んときと、えらい違いやないすか?」


 山田先輩が、太い声で副キャプに話しかけとるんが、聞こえてくる。副キャプは、困った顔で何事か答えはる。何気なくそちらを眺めていると、薄茶の瞳が俺を見た気がした。


「……?」


 なんとなく、心臓が跳ねる。

 いやな予感ちゅうか――副キャプの目が、気遣わしそうに見えて。


「静かにせえ!」


 部長が手を打ち鳴らすと、ざわめきが止む。


「次は、俺から報告がある。夏の団体についてや」


 部長がぐるりと部員全体を見回し、声を張り上げた。空気が引き締まったところで、部長は言った。


「本日付で、ダブルス2を解散する!」


 一拍置いて、どよ、と室内が騒めいた。


「……えっ?」


 思わず、耳を疑う。だって。ダブルス2が解散って、つまり――。

 俺の動揺をよそに、部長が言葉を続ける。


「そして、渉はシングルス3で出てもらうことにした」

「……!」


 ひゅ、と息を飲む。

 

 ――嘘……渉が、シングルス……!?

 

 部長に指名され、渉は目を見開いている。その横顔には、驚愕と……隠しきれない高揚が、見て取れた。


「おい、どういうことや?」

「ペア解消、いうこと? ほな……つむぎは?」


 ざわざわと、皆が囁く中、甲高い歓声が上がった。


「やったあーっ! やりましたねぇ、渉!」


 沙也さんやった。

 椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、沙也さんは渉に抱きつく。


「沙也……!?」

「すごいです、渉っ。渉の頑張りが認められたんですね!」


 はしゃいだ声をあげて、その場にピョンピョン飛び跳ねる。あからさまな態度に、胸がジュッと焼けついた。

 

 ――どうして……? 俺が、沙也さんと揉めたせいで……?

 

 罰があるのはわかってた。でも、渉とペアを解消するなんて、考えてもない。ガタガタと、膝が震える。


「――納得できませんッ!!」


 田中が叫び、勢いよく立ち上がった。


「なんで、つむぎだけがレギュラー外されるんすか?! つむぎは、俺らの為に怒ってくれたのに!」

「俺らも、罰則を分担します~……!」

「つむぎを落とすなんて、あんまりっす!」


 加藤とアッキーも、立ち上がる。みんな、俺の為に怒ってくれてるんや。


「田中……加藤、アッキー……」


 呆然と呟く。すると、部長が静かに言った。


「オーダーを変えたんは、道前と揉めたことと関係ない。ここんとこ、ずっと思うとったことや」


 部長は、ジャージの膝をぽんと叩く。


「試合までにと調整してきたが、間に合わんかった。今の俺には、シングルス3は荷が重い」

「……え?」


 俺は、部長を凝視する。


「そういや……渉が3やったら、部長も……」

「嘘やろ。膝、再発してはったんか……」


 みんな、驚いてどよめいとった。ただ――三年生の先輩らだけは、静かに落ち着いていた。全部、了解済みみたいに……。


「やから、シングルス3は渉にまかす。若い奴らに経験積ませたほうがええからな」

「でも……でも! なんで渉なんすか? 強い先輩なら、他にもたくさんっ……!」


 言い募った田中に、部長は静かな目を向けた。


「3を任せれるんは、渉しかおらん。それに、こないだの試合で確信が持てた――渉はシングルス向きや」

「――!」


 頭を、金槌でガツン、と打たれたみたいやった。

 こないだの、渉の独壇場が嫌でも過る。俺なんかおらんでもいいみたいに、コートを駆けまわる渉の姿が……。


「たしかに、癪やけど。高中を、小山内と遊ばせとく手はないわなぁー」

「ヤマ、黙り!」


 さっぱりと言い切った山田先輩を、副キャプが窘める。でも、皆……異を唱えへん。渉の強さを知ってるから、何も言えへんのやと、気づいた。

 

 ――納得、しかけてる……みんな……。

 

 胸が、ひたひたと冷たくなる。

 副キャプも、先輩たちも。

 田中、加藤、アッキーも……。渉がシングルスをやるべきやって。

 俺が、ダブルスを続けたいなんて、我儘でしかないんやと。

 でも、と思った。


「俺は、いやや……」


 気づけば、口にしていた。

 涙がこみ上げて、鼻の奥がツンとする。惨めな俺の言葉に、皆が憐憫の目を向けとるんが、分かる。でも、黙ってなんてられへんかった。


「ずっと前から、組んできたんや! こんな終わり方なんて、いやや……!」


 必死に訴える俺に、沙也さんが勝ち誇って言う。


「いい加減にして下さい。渉の挑戦を、邪魔しないでくれませんか?」


 俺は無視して、縋るように渉を見る。


「渉は、どうなん! ほんまに、それでええの……!? 俺がおらんでも、戦えんのかよ……!!」


 小さいときから、俺の後をひっついていた渉。

 

 『つむちゃん、手をひっぱってぇ』


 そう言って、甘えん坊やから。渉は俺がおらなあかんから。ひとりでなんて、おられへんはずや。

 なあ、そうやろ――?


「つむぎ」


 けれど、振り返った渉の目は、黒く澄んでいた。


「俺は、一人でやりたい」


 一言、渉は呟いた。


「――!」


 俺は、目の前が真っ白になる。

 気がつけば、その場を逃げ出していた。


「つむぎ!」


 田中の声が、背に突き刺さる。俺は、振り返れへんかった。


 

 *


 

『つむちゃん、待ってぇ』


 小さいころ、渉は泣き虫やった。

 背も小さくて、痩せっぽちで、同級生にからかわれることも多かったんや。

 

『やーい、アルファのくせに!』

『わああん……やめてえよ……!』


 いっつも囲まれて、泣かされて。怖がりやから、反撃もようせんと、じっと蹲って。

 

『――お前らあ! 渉をいじめんな!』


 やから……そんな渉を助けるんは、俺の役目やったねん。


『うわあ、つむぎや! 逃げろー!』


 拳を振り上げて、いじめっこを蹴散らすと、俺は渉の頭を撫でた。

 

『渉、もう大丈夫やぞ』

『つむちゃん……』


 涙でべしょべしょの顔で、俺を見上げる。真っ黒い目は、きらきら輝いてて。

 尊敬に満ちたその目を向けられると、誇らしくてたまらんかった。

 

『渉、泣かんでええ。俺が一緒におったるから!』

『つむちゃん、ありがとぉ』


 えへ、と笑った顔が可愛かった。きゅ、と胸が痛くなって……俺は、ませてたから。小学生になるころには、”愛しい”の意味を知ってたん。

 

『ほら、帰るで』

『待って』


 ランドセルの靴跡を払ってやり、歩き出すと……渉がもたもたとついてくる。転びそうな様子にくすりと笑うと、モミジのような手が伸ばされた。

 

『つむちゃん、手を引っ張ってぇ』

『……しゃあないなあ、渉は』


 握った小さな手はしめってて、火みたいに熱かった。手を引いて歩くと、安心したように渉はついてくる。また胸がきゅっとする。


『ちゃんと前見やな、転ぶでっ』


 ついつい笑ってしまう顔を隠すように、俺も前を向く。

 夕陽に染まる道に、俺らの影が伸びていた。

 

『影も手をつないどる』

『俺らの影やもん』


 繋いだ手に、しっかりと力を込めて。

 渉を安心させてやるように――。


 

 *


 

「はあ、はあ……」


 わき目もふらずに走って、走って……辿り着いたんは、校庭にある水飲み場やった。

 いつの間にか、授業が始まっていたせいか、人っ子一人見当たらん。

 俺は、灼けそうな喉を押さえ、冷たい手洗いに腰かけた。


「……はあ」


 呼吸を整えて、頬を伝う汗を拭う。暑い中走ったせいか、汗だくや。川でも流れとるみたいに、いくら拭いても濡れたままで――。


「しつこいなあ! なんで……」


 ゴシゴシ、と乱暴に拭うと、顎から伝った雫が、制服の膝に落ちた。


「あ」


 ぽたぽた、と次から次へ。落ちた雫が、染みを作る。

 汗やなくて、泣いてるんやと。今更に気がついて、言葉を失う。

 涙に濡れた手の甲が、陽光に照っている。

 丸めた指を、ゆっくりと開く。――空っぽの手のひらに、涙が落ちた。

 

『つむちゃん、手をひっぱってぇ』


 小さいころの渉の、甘えた声が蘇る。

 甘えん坊で、俺がおらなあかんかった。怖がりで、俺が手を引いてやらんと、どこにも行けへんかった渉。

 

『俺は、一人でやりたい』

 

 いまの渉の声が、重なる。甘さのない男の声は、俺を必要とはせんかった。

 ぎゅう、と痛む胸に拳を押し付ける。


「はは……」


 俺は、乾いた笑いをこぼす。


「アホやなぁ、俺……」


 滑稽で、しかたない。からからと笑う頬に、陽が照る。情け容赦なく、眩しいそれのせいや。こんなに、涙が止まらへんのは。

 

 ――ずっと、気づかんふりしてた。

 

 もう、俺が手を引かんでも、渉は平気なこと。

 二人のコートを、狭そうにしとることも……本当は、うすうすわかっていたのに。


「……しがみついてたのは、俺や……」


 俺がおらなあかんからって言い訳して、あいつの手を放さへんかった。

「しゃあないなあ」なんて言うて、ほんまは必要とされたかったのに。


「ううっ……」


 ほんまは、俺が。

 ずっと、渉と手を繋いでいたかったのに……!

 ひっ、と喉が引き攣る。


「うわあああん……!」


 からっと晴れた水飲み場に、俺の泣き声が響いた。誰もおらんのをええことに、俺は泣いて、泣いて、泣き続けた。

 もう帰ってこん日々を、惜しむように。


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