伸ばせなかった手
――いや、何でおんの?
渉と着替えに行ったんちゃうんかい。俺はポカンとしてしもて、沙也さんの姿をまじまじと眺めた。
「人の話聞いてます?」
沙也さんが、苛立たしげに言う。俺は、それで直前に言われたことを思い返した。
「ええ……俺がなに、っちゅうことやっけ。どういう意味?」
何と言われても、何のことやら。ただでさえ具合が悪いもんで、頭がまわらんし。
問いに問いで返すと、沙也さんは舌打ちでもしそうな顔になる。バタン、と戸を閉め、つかつかと歩み寄ってきた。
「ふざけないでください。渉の邪魔ばかりして、何なんだって言う意味ですよ!」
白い指が、胸の中心を突く。二人きりの更衣室に、沙也さんの声が反響した。
「へ……?」
俺は、ぱちりと目を瞬いた。
――渉の邪魔? 俺が?
言葉を理解した途端、かっとこめかみが熱くなる。
「……あのさっ? 前から思ってたけど、沙也さん言葉きつくない。俺かて、そんな言い方されたら、傷つくんやけど」
「僕は本当のことを言っただけです。渉よりも、自分のプライドの方が大事なんですか?」
「な……っ」
沙也さんは、つんと澄ましたまま言う。俺は、わなわなと体が震えた。
――なに、こいつ……!?
何で、俺と渉のことをちっとも知らん奴に、そんな言われ方せなあかんのよ。すまし顔を張り飛ばしてやりたい衝動を、体の横で手を握って耐えた。
「だれも、そんなこと言ってへんよ。プライドも何も……事実として、俺と渉は、対等なペアやもん。助け合いってあると思うよ」
出来る限り穏やかに言えば、沙也さんが目を細めた。
「助け合い、ねえ」
ゆっくり、一音ずつ吐き出すように言う。ねばっこい言い方に、腹の底が不快にざわりとする。
「じゃあ、言うんですけど。あなたが、渉の助けになってることってあるんですか? 昨日の試合でも、足を引っ張ってばかりだったくせに」
「……!」
痛いところを突かれ、ひゅっと息を飲む。昨日の副キャプと山田先輩との試合は……たしかに、俺はあんまり役に立てへんかったけど。
それでも、俺だって。
「俺だって、頑張ってる! 昨日はええとこなかったけど、ずっと助け合って来たんやもん。渉かて、俺の力を必要として……!」
沙也さんは、はっと息を吐く。
「往生際が悪いんですよ! 渉ばっかり、あなたに尽くして! あなたが渉の役に立ってることなんて、少しもありません。実際、僕は見たことありませんし、これからだってあり得ません! 渉は、あなたなんか、全然必要じゃありませんからッ!!」
「……」
あまりにひどい侮辱に言葉を失った。なんで、知り合ったばっかの同級生にここまで言われなあかんねん。じくじくと痛むお腹が、苛立ちを突きまわす。
――あかん。怒ったら、負けや。
俺は長く、はーっと息を吐き、澄ました生っ白い顔を見た。
「……じゃあ、何? 何が言いたいの」
「渉から、離れなさい」
勝ち誇ったように、沙也さんは顎をつき上げる。
「少しでも、渉のことを考えていると言い張るなら、出来るでしょう? ペアも解消して、つきまとうのも止めてください。試合に出たいからって、渉を利用するのはやめてもらわないとね……!」
つらつらと、舌先からナイフのような言葉が飛び出す。よくもここまで、人を馬鹿にできると感心するほど。
「レギュラーは……先輩らが、判断してくれたことやから」
「ふん。あんな無様な試合しておいて、ペアに居座るなんて図々しいって思ってますよ」
「……そんなこと!」
「無いって言いたいんですか!? 呆れた。あなたって、本当に自意識過剰なんですね。ああ、でないと、渉に付きまとったりできないか。テニスも、私生活も――全く釣り合ってないって、気づきもしないで!」
沙也さんは、渉とお揃いのウェアを撫で、馬鹿にしたように笑う。俺は、かあっと頭に血が上った。
「そんなん……沙也さんにいわれたくないわ! 沙也さんこそ、ちっとも関係ないくせにッ!」
押さえようとしても、怒りが噴き出した。
――俺は、渉のペアやし、幼なじみで……恋人やもん。
ぽっと出のお前なんかより、渉を知ってるんや。
怒鳴り返すと、相手はさっと顔を上気させ、詰め寄ってきた。爪先が、俺のシューズを踏み、指に痛みが走る。
「あります! 僕と渉は、大切に想いあってるんですから……あなたなんかより、ずぅっとね!」
「この……っ!」
よくも、ぬけぬけとと思った。――でも、手を出そうなんて思わへんかってん。俺は部活のレギュラーで、もうすぐ試合を控えとる。
やから、こらえたつもりやったのに。
「……ほんまに、うるさい! もう、あっち行ってくれん? 俺、副キャプ待たせてるからっ……!」
俺は、目の前の肩を押した。足をどけてほしかっただけで、そんなに力を入れへんかったのに――。
「――ひゃああっ!!」
沙也さんが、悲鳴を上げて吹き飛んだ。
ゆうゆうと、二メートルは吹っ飛んで、砂だらけの床に尻もちをつく。
「痛い……っ、うう……!」
体を丸めて呻く沙也さんに、俺は呆然とする。それから自分の手を見て、青褪める。
「う、うそ……ちょっと、大丈夫?」
慌てて、駆け寄ろうとしたときやった。
バン!
勢いよく更衣室の扉が開いた。
「何事や!?」
「どうした!」
たくさんの人が集まってきた。テニス部も、他の運動部もいる。
「おい何が起こった? なんで、道前は倒れてるんや」
「……っ」
怪訝そうに問われ、俺はさあっと血の気が引く。
――まずい。この状況……。
密室で倒れてる沙也さんと、立ち尽くす俺。こんなん、どう見たって――。
「沙也!」
人垣から、渉が飛び出してくる。心配そうに沙也さんに駆け寄って、そばに膝まづいた。
「なにがあったんや、つむぎ! 沙也に何した!」
俺を睨みつける渉に、動揺して声が出えへん。すると、沙也さんが渉の首にすがりつく。
「渉ぅ! ――暴行されました!」
沙也さんが、引き攣った声で叫んだ。
「な……!」
「着替えようと、更衣室に来たら……先にいたので、話してただけなのに。いきなり襲い掛かってきて……!」
黒目がちの目がじゅわりと潤む。凛とした沙也さんが怯えるさまは、ひどく庇護欲をそそる。周囲が、ざわつきはじめた。
「まじかぁ喧嘩?」
「怖ーッ」
白い目が突き刺さる。でも、それより俺を震え上がらせたのは――。
「ほんまか、つむぎ」
氷みたいな、渉の目ぇやった。
「……渉、俺は……」
弁解しようとして、声が震えた。ほんまに、沙也さんに襲い掛かったつもりなんてない。でも、押してしもたのは事実やったから、何も言えんと項垂れてしまう。
「……見損なったわ」
渉は冷たく言い捨てて、沙也さんを抱き上げる。沙也さんは、ヒーローを見るようにうっとりと渉を見上げ、広い胸に顔を埋めた。
「渉ぅ、怖かったです」
「大丈夫。すぐ、保健室に連れてくわ」
優しく言うと、渉は踵を返した。人波が、さっと避けていく中心を、堂々と歩んでいく。
――渉……!
俺は振り返って欲しくて、手をのばしかける。けど、あっという間に小さくなる背に、結局何も出来んまま……喧騒に取り残されてまう。
「あ……」
足から力がぬけ、俺はその場にへたり込んだ。
「どけって! ちょっと、通してくれや……!」
野次馬の騒めきをかき分けて、副キャプが駆け寄ってくる。大きな手に背を撫でられ、自分がガタガタ震えてたことに気づく。
「副、キャプテン……」
「おい大丈夫か。つむぎ、何があったんや?」
副キャプテンは酷く青褪めていた。唇が震えて、何も言えんでいると――その肩のむこう、厳しい顔をした部長が見下ろしとるんが見えた。
胸の底が、ひやっとなる。
「つむぎ、来い」
鋼みたいに固い声に、俺はつばを飲み込んだ。




