守られた先に
俺は朝練に出るべく、重い体を引きずって歩いていた。
いつもやったら、十五分もかからん通学路を、のろのろと三十分近くもかけて、ようやっと校門が見えてくる。
すでに空高くに太陽が昇りはじめ、白い陽射しが頬に照ってきていた。
「し、しんど……」
ラケットバッグが、いつもの十倍重い。のそのそと更衣室に向かうと、机に座って雑誌を読んでたアッキーが、「おう」と声を上げる。
「つむぎ、遅かったやんけ。珍しい」
「おはよぉ。ちょっとな……」
へへへ、と誤魔化し笑いしながら、テニス部男子で固まって使っとるロッカーに、鞄を入れる。ロッカーの側のスノコに座ってた加藤と田中が、「おっす」と手を上げる。
「ほんまに珍しいな~、いつも一番に来てんのに」
「てか、つむぎお前、顔色悪ないか。大丈夫なん?」
「えっ! そんなことないで」
田中の指摘に、ぎょっとする。
「マジか。どうしたんや?」
加藤とアッキーまで詰め寄ってきて、俺は慌てて弁明した。
「ちょっと、寝不足っつーか。疲れが出たっつーか……とにかく大丈夫や!」
みんなの純粋な目が辛くて、俺は真っ赤になった。これが、先輩らとの練習の為なら、なんぼほど罪悪感がなかったやろうと思う。
「ほんまにかぁ? ムリしたらあかんぞ」
田中が言うたんに連なって、アッキーがドンと胸を叩く。
「つむぎはレギュラーで、今が大事な時期やからな。俺らも仲間として、支えるつもりなんやで」
「せやで~、ちゃんと俺らに頼り~よ」
口々に、あたたかい言葉をかけてくれる仲間に、胸がぐっと詰まった。
――こんなに、優しい皆が、信頼してくれてんのに。俺ときたら……!
俺は、すうと息を飲み込む。
みっともない真似をした昨夜の自分、弱い今朝の自分を張り飛ばすよう、両頬をぱちんとぶった。
「ありがとう! 俺、頑張るわ」
びっくりしとる皆に、ニカッと笑いかけた。
着替えてから、皆で連れ立って歩いてコートに向かう。
「渉と道前は、今日も遅いなあ」
ボールの籠を押しながら、アッキーがふとぼやく。俺はぎくりとしながら、笑う。
「朝練に行ってるやろから……もう来るんやないかな」
何か感づかれるのが怖くて、俺のせいで遅くなったし、と言う言葉は飲み込む。すると、アッキーは唸った。
「ふーむ。なんかこう……結束しとる感じないよなあ。せっかく、試合も近いねんからさ、もっとさあ」
「アッキーはスポ根漫画、好きやからな」
唇を尖らせるアッキーの背を、田中が励ますように叩く。
「スポ根ちゅうたら、みんな最新話読んだ~? アレめっちゃ熱かったよな~」
「あ……わかる!」
加藤が、明るい調子で話題を変えてくれた。皆で追っかけてる漫画の話に、わっと盛り上がる。
「おう、お前ら。朝から賑やかやなぁ」
爽やかな声が聞こえ、俺らはばっと頭を下げた。
「おはようございます、副キャプテン!」
「おはようさん。つむぎ、昨日はどうも」
副キャプが、ラケットのリムで肩を叩きながら、にこっとする。いつもながら爽やかな副キャプに、俺は昨夜の楽しい記憶が蘇る気がした。
自然と顔がほころぶ。
「こちらこそ、ありがとうございましたっ」
ぺこりと頭を下げると、田中らが不思議そうに「昨日?」と言い合っとる。近づいてきた副キャプが、
「ああ、昨日はな……」
と言いかけて、不自然に言葉を止める。俺を見て、さっと顔を強張らせた副キャプに、肩を掴まれた。
「つむぎ、お前――どうしたん?!」
「えっ……?」
副キャプらしくない、大きな声で問い詰められる。
でも、優しい兄貴が弟を心配する様な調子やったんで、怖くはなかった。ただ戸惑ってたら、副キャプは眉を寄せる。
「こんな青い顔して。なんか目もぼーっとしとるし……具合悪いんやろう?」
「あ……俺……」
大きい手に額を包まれる。ひんやりと冷たくて、心地いい。ひょっとして、俺が火照っとるんやろか――とぼんやり思ってたら、副キャプはますます心配そうに言う。
「よっぽど、疲れたんかな……つむぎ。今日は、無理せんと帰り。なあ、お前らも思うやろ」
「あ、そうすよね!」
「こいつ、朝から顔色悪いんすよ」
みんな、うんうんと頷く。俺は、慌てた。試合前の大事な時期に、練習を休むわけにいかへん。
「あの、俺は大丈夫で――!」
「何やってんの?」
低い声が、重なった。ぎくりとして振り返ると、渉が立ってたんや。
「渉……?」
無言でズカズカ歩み寄ってきた渉は、俺の腕をぐいと引っ張って、副キャプから乱暴に引き剥がす。厚い胸板に頬がぶつかって、ぐぇと呻いた。
――な……なんで、そんな怒っとるわけ……?
ポカンとして、渉を見上げる。その肩越しに……沙也さんが、鋭い目でこっちを睨んどった。
「おいおい。なに怒ってんねんな、渉」
田中が戸惑った声を上げた。友達の声に、沙也さんに取られていた気が、戻ってくる。
「そ、そうやで。ちょっと離してや」
俺は、慌てて渉の胸を押す。けど、分厚い胸は岩盤みたいに動かんくて、ぎょっとする。
「渉?」
戸惑って、見上げた渉の顔は険しい。いったい、なんで――胸をぐいぐい押しとったら、うるさそうに引き寄せられた。
「じっとしときや」
スパイシーなフェロモンが強く香り、ふらっとする。膝から力がぬけかかったのを、渉のTシャツにしがみ付いて耐えた。
いつもやったら平気やのに、昨夜の余韻のせいか、てきめんに効いてしまう。
「こら、渉。乱暴なことせんとき」
ふいに、副キャプが静かに諫めの声を上げはった。落ち着いた声音に、知らず張り詰めていた気持ちがほどけるようや。
「つむぎ、具合が悪いみたいなんや。みんなで、今日は無理せん方がええんやないかって話してたんやで」
「お、おお。そうやで!」
田中たちも、うんうんと頷く。副キャプが前に出て、渉の正面に立つ。
「お前は、道前と着替えに行くやろ。つむぎのことは、俺に任せえ」
爽やかに微笑んでるのに、副キャプは揺るぎない。対する渉は、黙ったまま眉根を寄せていた。
「渉っ、そうしましょう? 早くしないと、朝練に間に合いませんよ」
沙也さんが渉の袖を引き、明るく言う。俺は、ずきりと胸が痛んだ。
――ああ、いつものパターンや。
俺のことなんて忘れて、沙也さんの方へ向かう背中を思い浮かべる。いまに俺を放り出して、「沙也!」って駆け出すに違いない――そう思って、俺は渉の腕をぺんと叩いた。
「ほら、行っといでよ」
「……」
重い頬を持ち上げて笑いかけると、渉の顔が一段と険しくなった。
「――痛っ!」
俺を抱く腕に、乱暴なほどの力が籠る。渉は低い声で、副キャプの親切を突き放すように言う。
「必要ないすわ。つむぎは、俺が連れてくんで」
ぎり、と体を締め付ける痛みに、小さい悲鳴が漏れる。
「渉!」
副キャプテンが咎める。
「離したり! 痛がってるやないか」
渉は聞こえてへんみたいに、俺を引きずって歩き出す。
「渉ッ、どうしたんです?」
「おい、何や?」
沙也さんや田中たちも驚いている。もちろん、俺もや。引きずられながら、必死に問う。
「ちょ、何をムキになってんねん……!」
「うっさい」
「はあ!?」
犬のようにあしらわれ、カッとなる。こいつの思うようにされたくなくて、足を踏ん張ったら、脚に痛みが走った。
「いっ……」
「つむぎ……! 渉、ええかげんに――」
追いついて来た副キャプが、渉の肩を掴む。振り返った渉の目に、剣呑な光が過る。
――やばい!
さあっと血の気が引いた。
「お前ら、何をしてるんや」
突然、厳しい声が響く。
皆、弾かれたようにそっちを見た。少し離れた場所で、腕組みをして部長が立ってはる。
「もう部活が始まるっちゅうのに、何を揉めとるんや。一年、お前らはコートの準備があるやろ!」
「――はい!」
田中・アッキー・加藤の三人はびしっと背を伸ばした。俺も、渉の腕に抱えられた無様な格好のまま声を張り上げる。
「つむぎ、なんやその様は?」
案の定、つっこまれて顔が赤らむ。副キャプが、すぐに応じた。
「具合悪いみたいなんや。大事とって休んだ方がええんちゃうかってな」
「ほう……」
部長が近づいてきて、俺の顔を覗き込む。厳しい瞳にじっと見据えられて、ギクリと肩が震えた。
――なんか……いろんな事情が見透かされてしまいそうや。
やっとの思いで、目だけは逸らすまいとしていると……部長はうむと頷いた。
「確かに、これはあかんな。つむぎ、今日は休め」
「え……!」
目を見ひらいた。部長は淡々と続けはる。
「学校は、早退したかったらしとけ。部活でえへんのに授業出るくらいやったら、寝てた方が有意義やからな」
すげえこと言うな、この人……と思ってたら、副キャプがホッとしたみたいに笑った。
「そうやんな! 兼蔵、俺はつむぎを送ってくるから、部活任せてええか」
「おう」
副キャプの言葉に、部長は頷き、渉は目を見ひらいた。
「は? なんで、あんたが!」
「渉、お前は練習があるやろ。それに……俺の目は節穴やないぞ」
食ってかかろうとした渉に、部長が被せる。後半は声が低すぎて、何言うてるかわからへんかったけど……聞き取れたらしい渉は悔し気に唇を引き結んだ。
「あ……」
きゅうに拘束が解けて、地面にへたり込んだ。
「おっと」
副キャプが、手を取って立たせてくれる。
「じゃあ、着替えておいで。保健室まで連れて行くわ」
「すみません……」
「つむぎ、部活のことは俺らにまかせとけ」
「ありがとう、田中。加藤、アッキー」
先輩と同期の優しさに触れて、じんとしてしまう。俺は、ペコリと頭を下げ、更衣室に戻ることにした。
「……」
もの言いたげな渉の視線が、背に突き刺さるのを感じながら。
*
なんやったんやろう。
更衣室で着替えながら、俺は渉の態度に思いを馳せた。
「……なんか、急に……やきもち、なんやろか?」
ぽつりと呟いて、それはないか、と打ち消す。部活が始まったから、人っ子一人いない更衣室に俺の声が響いた。
――でも……あんな風にされたん久しぶりや。
きつく掴まれた腕を撫で、ため息をつく。まだ、渉の指の感触が残っている気さえして……。
「――あなた、いったい何なんですか?」
鋭い声が、放たれる。
「!」
振り返ると――開け放たれた更衣室の扉に、沙也さんが凭れかかり立っていた。




