嘘にほだされて
ジリリリリリ。
けたたましい目覚ましの音が響く。浅い眠りの縁から、強制的に叩きだされて、俺は呻いた。
「……ぅぐ……うっさ……」
腕を伸ばして、スマホのアラームを止める。――五時半。いつもの時間に目が覚めたことに、いっそ感心する。
「……渉?」
すでに、ベッドはもぬけの殻や。寝起きの悪いあいつが、俺より先に起きてるやなんて……。
「あ……沙也さんとの朝練か……」
得意げな渉と沙也さんの顔が浮かんで、乾いた笑いが零れた。泊まった翌朝くらい、側に居てくれてもいいのに。
もぞもぞと身じろぐと、下肢に重い痛みが走る。うッと呻いて、体を丸めた。
――痛ったあ……あの野郎、むちゃくちゃしやがって……!
昨夜、さんざんな目にあったことを思い出し、奥歯を噛み締める。よほど鬱憤が溜まってたんか、渉は雑を通り越して乱暴やったねん。下半身はじんじんするし、腕やら膝やらも、どっかぶつけたんか内出血しとる。
「……」
俺は、青く打ち身になってる膝を、手のひらで包んだ。……夏やからきついけど、今日は短パン履けそうにないわ。
「……湿布、買ってあったかなぁ……」
ぼんやり呟いて、情けなくなる。
俺はいったい、何をしてるんやろう。渉の言うなりになって、体を痛めて。せっかく、先輩らと練習させてもらって、モチベーションあがってたのに……。
「渉のアホ……!」
まだ時間に余裕があるのを良いことに、もっぺん布団に包まる。今朝はもう、渉におにぎりなんか作ってやらへん。やから、もうちょっと眠って回復しよう。
そう、思ってたんやけど――。
バタンバタン、と玄関で物音がする。
「……え!?」
ぎょっとして身を起こせば、ドタバタと近づいてきて、寝室のドアが勢いよく開いた。
「なんや、つむぎ。まだ寝てたんかぁ?」
すでにジャージに着替えた渉が、ひょっこりと顔を出す。俺はびっくりして、ぱくぱくと口を開いた。
「な、なんでいるん?」
「はぁ?」
渉は片眉を上げ、大股に近づいて来た。片手に提げたコンビニの袋が、ガサガサと音を立てる。
「ほんまに、可愛ないなー。せっかく泊まったのに、すぐ追い出す気かぁ?」
「あたっ」
指で、ピンと額を弾かれた。
――なんやねん。おらんかったら、そう思うやん……。
ムッとはしてんけど、言い返す気力もなくて、黙ってた。そしたら、渉は頭をわしわしかいて、ベッドの側にしゃがみこんだ。
「ほら、見てみ。つむぎの分の朝メシ、買って来たったで」
コンビニの袋から、サンドイッチを取り出して、枕元に並べてく。ハムときゅうり、てりたま、ツナマヨ……。俺の好きな具ばっかりで、目を瞬く。
「これ……」
「つむぎ、した後はめっちゃ食うやん。昨日はぐうぐう寝てたから、腹減っとるやろ?」
「……っ」
珍しく優しい声で言われて、胸が詰まる。ほら、と促されて、サンドイッチを手に握らされた。
……こんなもん、当然やないか、と思う。目いっぱい練習してきたのに、あんな無茶苦茶されて……メシ食べる気力なんか、残ってるわけないわ。
――こんな、こんなことくらいで……帳消しになるようなことと違う……!
ハムサンドの包装に、涙が落ちる。
頭では、ちゃんと怒ってるのに。どうしようもなく、このアホのことが好きな心が、また嬉しがってる。渉からしたら、適当に握らせたやろうハムサンドが……俺がいつも一番に食べるもので。そんな些細なことさえ、許すきっかけにしたがってんねん。
「うぅ……!」
「なんや。つむちゃん、泣き虫やなぁ」
サンドイッチの包みを額につけて、涙を堪える。そうしたら、甘ったれた声で、渉が俺の頭を撫でてきた。荒い手つきに、ひっくと喉を鳴らす。
渉は、「しゃあないな」ってサンドイッチを取り上げると、包装をはいだ。
「ほれ、早う食べや」
「……ん」
口元にしんなりとやわらかいパンを差し出された。おずおず、小さくかじったら、嬉しそうに渉が目を細める。
「よしよし、ええ子や」
「……犬か、俺は」
憎まれ口をたたいても、渉は上機嫌のままや。ビニル袋に手を突っ込んで、フルーツジュースのパックを取り出した。
「飲み物いるか?」
俺が頷くと、ストローを差した飲み口を向けられる。やたらかいがいしく、俺のことを構う渉に戸惑ってまう。
――な、何やねん……?
俺の機嫌を取るみたいで、渉らしくない。恐る恐るストローからジュースを吸うと、よく冷えていて甘酸っぱい。火照って渇いた胸に、沁み込んでいく。
「ほら、もっと食え」
「……」
ジュースを飲んだら、またサンドイッチ。ほんま言うと……お腹がじくじく痛くて、いつもより食欲はないねん。
でも、久しぶりの和やかな空気を壊したくなくて、俺はもそもそとハムサンドを頬張った。噛むのが難儀で、やわらかいパンからはみ出したマヨネーズが、唇を汚す。
「うわ、やば……ティッシュっ」
渉は、ひょいと指で拭って笑った。
「くく。だらしないなあ」
甘い声に、きゅうと胸が痛んだ。
――こんなん、久しぶりや。
なんでか感極まって、声も出せんといると、渉が身を屈めてきた。……キスしたいんや。でも、昨日みたいに嫌やとは思わんくて、大人しく目を閉じる。
「つむぎ」
唇が触れそうになったとき、
ピピピピピ。
空気を貫くように、着信音が響く。
「!」
「……おっ?」
渉が、ポケットからスマホを取り出す。点灯する画面に、『沙也』と表示されてるんが見えて、我に返った。
――ああ、時間切れか。
さっきまでの、ぬくぬくした気持ちが冷えて、顔が強張っていく。渉は気づかんと、スマホを耳に当てた。
「ああ、沙也? うん、もう起きてるで」
明るい声で、沙也さんと話しだす。楽しそうな顔から目を背け、俺はむくりと体を起こした。体の痛みに顔をしかめつつ、のそのそとベッドから出る。
「……おい?」
ふらふらと歩き出した俺に、渉が驚いたみたいに声を上げる。
「ごちそうさま。俺、ぼちぼち風呂入って、朝練の準備するわ」
「えっ……まだ、時間あるやろ?」
「ん、まあゆっくりしたいし……渉も、そっち行って来てええよ」
俺はニコッと笑って、スマホを指さした。渉が目を見ひらいたのを尻目に、壁伝いに廊下に出た。洗面所に入り、鍵を閉める。
「はあ……」
冷たい床にしゃがんで、膝を抱えた。
――なんてアホなんやろう。
お腹もどこも……胸も、全部痛い。せやのに、渉に簡単にほだされる心も。それでも、側に居てほしいくせに、かっこつけて送り出そうとするプライドも……全部、アホや。
「……っ」
噓を本当にするために、寝巻を脱ぎ捨てて、風呂に籠った。勢いよくシャワーのノズルを捻ると、先に渉が使ってあったんか、熱々の湯が溢れ出す。
「熱ッ……!」
もうもうと白い湯気が立ち込めて、鏡が曇る。みっともない泣き腫らした顔を見んで済むから、好都合や。俺は、きつく目を瞑って、顔面に湯をぶちかけた。
どうぞ腫れを引かせてくれ、と念じながら――。
シャワーの音に紛れて、玄関の扉が閉まったことに、気づかへんふりをして。




